第26話 別れ(5)

 真結まゆいは、目を閉じて、ひくっ、と喉を鳴らした。

 泣いているのだろうか?

 でも、真結は、相瀬あいせに向かって顔を上げて、笑って見せた。

 弱々しく、だけど。

 「相瀬さん、お姫様にわたしのこと言ったでしょ?」

 「うん」

 あたりまえのことのように、認める。

 「言った。でも、どうして?」

 「わたしがここへの入りかたをやっと突き止めて、ここに入ったとき、お姫様が言った。にこっと笑って、真結さんですね、って。とってもかわいらしい声で」

 姫様らしい。

 だったら、姫様は、真結に相瀬への言伝てを頼んだりしているだろうか。

 もう、どちらでもいい。

 いや。

 そうであったとしても、もう聞きたくなかった。

 姫様はいまも生きているだろうし、たぶんあと何日かは生きるだろう。

 生きている人のことを、死んだ人のようにあきらめてしまうのは、残酷なことだと思う。

 自分の命と引き替えにしてでも救い出すのがほんとうなのだろう。

 でも、相瀬はもう姫様を救い出そうとは思わなかった。姫様が相瀬が助けに来るのを待ち焦がれているかどうかも――たぶんそんなことはないと思うけれど――どうでもよかった。

 ただ、あとで真結に確かめておきたいことが一つあるだけだ。

 自分の答えをじっと待っている真結に、相瀬は別のことをきいてみることにした。

 「で、真結はさ」

 「……うん」

 「いつからわたしが姫様をここに隠してるって知ってたわけ?」

 答えを渋るだろうか?

 「あの……十七日の……夜。だから、あの大きい鮑に小さい玉みたいな石を入れるのをやった夜」

 「ああ、そうか」

 あの日、禁制の浜から参籠所に戻るときに、崖の上から短く白い光が射したように思った。

 あれは真結の顔――顔でなくても、色の白い真結の肌だったのだ。

 「でも、参籠所に正面からは入れないでしょ?」

 「だから」

 真結は説明する。

 「家から相瀬さんの家に戻って、浜から泳いで、あのあわびの様子を見に行ってたんだ。……だいじょうぶかな、って」

 細い声で言う。

 「それから相瀬さんにいろいろ話をきいてもらいたくて、参籠さんろう所まで上がって行ったけど」

 「わたしがいなかった、って」

 「……うん」

 そうか。

 正面から参籠所に上がろうとすると、入り口の神職の男の子に止められる。真結ならば入れてくれるはずだが、顔は見られる。

 浜から村の岬を回って、あの鮑の様子を見に行ったんだ。

 ちょうどそのとき、姫様と自分は、真結の仏性ぶっしょうについて話をしていたのだ。

 真結が傷をつけられた鮑の様子を夜中に見に行ったのも、その仏性というのが働いたからだろう。

 そして、相瀬が隠していたことも見つかった。

 おかしい。

 それに、じゃあ、それも真結の仏性のおかげだと考えれば、しようがないと思う。

 相瀬はきく。

 「でも、帰ってきたところを見ただけじゃ、わたしが禁制の浜のどこに行ってたかわからないでしょ?」

 ああ、なんだか普通に真結としゃべってるときの話しかたになってるな、と思う。

 それも、いいかも知れない。

 「あそこからここまでの道って、見つけたの?」

 真結は普通に首を振った。

 ああ、やっぱり真結もふだん通りに戻っている。

 それも、おかしい。

 「でも、ここの浜だったら、建物ってここしかないでしょ?」

 そうか。

 考えてみれば、そうだ。

 真結はここに遺跡の街があることを知らないのだ。

 だったら、この浜にあるものといえば、この別院べついんしか思いつかないのがあたりまえだ。

 それに、じっさい、いまも使える建物はこれだけなのだ。

 姫様の話から考えると、下に石造りの街が眠っているのかも知れない。ここから石で抜け道を造れるくらいならば、ただ道を造るだけで終わらせるとも思えない。もっといろんなものを造って遺しているのではないだろうか。

 でも、どちらにしても相瀬には確かめている機会はなさそうだ。

 「昨日さ、寝られなかったし、あの船とかの後始末をどうしようかってずっと考えてて、参籠所まで行ってみたんだ」

 「あの船」というのは、林助りんすけたちが乗って出て筒島に乗り上げた船のことだろう。

 昨日は、嵐のせいで、入り口で番をしている男の子がいなかった。だから真結はだれにも見られず参籠所まで上がれたのだ。

 「ああ、ずっと考えてたんだね。貞吉さだきちとかとも話をして」

 真結が小さく頷く。

 「浅葱あさぎ麻実あさみにきいたよ」

 ふだん通りに話が続く。でも、だから、真結は続けにくかったみたいだ。

 「……でも、相瀬さん、いなかった。岩をぴょんぴょんって跳んで、どこかに行くところだった」

 昨日はそんなに跳んだ覚えはないんだけど。岩が雨に濡れていて、すべりそうだったから。

 でも真結にはそう見えたのかも知れない。

 「それで、わたしはあの洞穴のところから海に出て、泳いでここに来てみた」

 ああ! ――と相瀬は思う。

 やっぱり真結の仏性なのだ!

 来るべき報いだった。

 ただ、相瀬に来なければいけない報いが、姫様に行ってしまった。

 ……姫様が、自分で言っていた。

 だれがだれの悪行の報いを受けることになるかはわからない、と。

 あのとき、相瀬は浜を見に行こうかと迷った。浜に難船者が流れ着いて、ここまで歩いてくる力も残っていないとすれば、助けなければ、とふと思った。

 そんな人がもしいれば、あのときは引き潮だったから、あとで潮が満ちてきたらまず助からない。

 でも、相瀬は浜を見に行かなかった。そんな難船者がいても、もともとここに流れ着いたら助けないことにしているのだから、と思った。それよりは姫様のことをまず考えるべきだと。

 しかし、あのとき浜に出ていたら……。

 海は月に照らされて明るかった。

 相瀬ならば、こちらに泳いでくる真結を見つけることができただろう。

 そうすれば、相瀬と真結と二人で姫様を助ける算段を相談できた。

 考えてみたらかんたんなことだ。真結といっしょにやったほうが楽に姫様を助けられたのだ。それに、真結はもうあの鬼鮑おにあわびのことを知っている。いっしょに姫様を助けたって、真結には隠さなければいけないことがもうひとつ増えるだけだった。

 しかも、姫様は真結に会いたがっていた。

 そうしていれば、姫様と真結は、今日のような不幸せなめぐり合わせで出会うことはなかった。

 大岬から身を投げた姫様を助けたのは善行だったとしよう。

 その善行を悪行が消してしまった!

 禁制の浜に流れ着いているかも知れない難船者は助けなくてもいいと考えたという悪行が。

 しかも、その悪行の因果が、姫様に降りかかった。

 いま真結と話していて、相瀬ははじめて後悔の心にとらわれた。

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