第25話 別れ(4)

 頭がつっかえる。ここは立って話すところじゃないな、と相瀬あいせは思う。

 姫様相手に見下ろしてしゃべるわけにはいかなかったので、これまで立って話したことがなかった。だから気づかなかった。

 「……お姫様を連れ戻しに行くの?」

 身を乗り出して真結まゆいはきく。

 「ううん」

 相瀬は首を横に振った。

 「だって、無理でしょ? どこに連れて行かれたかもわからないのに」

 「でも、昨日、相瀬さんは流されたわたしをずっと追いかけてきてくれた!」

 真結が顔を上げて、訴えるように言う。

 相瀬は、天井板から手を放し、大きく息をついて、床に腰を下ろした。

 さっきほどゆるんだ座りかたではないが、いいかげんに床に座る。

 「だから、あれは真結がどこに流されたか見当がついてたからでしょう?」

 そうであるようでもあり、ないようでもある。

 見当がついていなくても、相瀬は力が尽きるまで泳いで探し続けただろう。

 「桑江くわえ様がお姫様をどこに連れていらしたかわからないしさぁ、それに、陸のほうはわたしぜんぜんわからないんだよ」

 笑う。

 「そりゃあさ、お城の前でずっと見張ってたら、もしかすると桑江様がお姫様を連れてくるところに会えるかも知れないよ。でも、そんなの奪い返しに行ったら、こっちが殺される。それにさ、真結」

 相瀬は笑いを消して、まじめに真結の顔を前から見た。

 「真結は正しいことをやったんだよ」

 「……どういうこと?」

 こわごわ、という様子で、真結がきく。

 「だって、お城から、つかまえて突き出せ、ってお触れが出てる罪人をちゃんと突き出したんじゃない」

 たしかに、そういうことになる。

 相瀬は短く息をつき、目を伏せた。

 「わたしはできなかったんだ。成り行きで見つけてさ、助けて。助けたあとに、それがそのお触れに出てたお姫様だって知った。でもさ、情が移っちゃってさ。でも、それはまちがったことだよ。だから、それを真結がちゃんと正しく始末してくれたんじゃない」

 「始末するって!」

 真結は前に手をついて激しく言った。

 「始末する」を、姫様の命を始末する、という意味で取ったらしい。

 たいして違いはないけれど……。

 真結はそこで大きくため息をついて、目を伏せて言った。

 「相瀬さんは、あの姫様がほんとうにお殿様を殺したと思うの?」

 「思わないよ」

 でも、殺そうかどうしようか迷ったというのは、たぶんほんとうなんだろうな。

 「それだったら、どうして、そのお姫様をお役人に渡すのが正しい始末になるわけ?」

 そんなの、自分がやったことじゃない? ――とは言わない。

 「二つあってさ」

 相瀬はわざとゆっくりと説明してきかせる。

 「一つは、それでもおきては掟だもの。守らないと。だから、わたしはまちがってたって言ってるんだよ」

 「……うん」

 「もう一つは、引き渡した相手が桑江様だから」

 「桑江様……だから……?」

 真結は、前に手をついたまま、顔を上げて、相瀬の顔をうかがう。

 相瀬は軽く頷いて見せた。

 「真結は知ってるでしょ、たぶんわたしより。桑江様はしっかりご自身の考えをお持ちの方だって」

 「ああ……ええ……」

 真結は知っている、ただ、相瀬の前でクワエをどう思っているか、言いたくないだけだ――と相瀬は思う。

 「桑江様は舟に乗って、姫様を迎えに来たんでしょ?」

 「……うん」

 「わたしが桑江様だったら、やることは決まってるな」

 そう言って謎をかけるように少し上を向いて見せる。

 「……何?」

 真結はわからないふりをしているのか。

 いや、わからないのだろう。

 まだ。

 「舟から姫様を突き落とす」

 真結が、小さく息を吸った。

 相瀬を上目づかいで見上げている。

 「……どうして……?」

 かすれ声で言う。

 「だってさ」

 相瀬は声に力をこめた。

 「まず、お城では、お役人から上のほうの人たちまでみんな、姫様はもう死んだって思ってるよ」

 「ひっ……!」

 真結が短く息を吸う。

 ――真結はわかっていなかった。

 たぶん、そうだ。

 相瀬はクワエからもヨシイからもキタムラからもそのことをきいている。

 真結は相瀬よりもクワエと話をする機会は多かったはずだ。

 でも真結は知らなかった。

 「それにさ」

 少しだけ声を落として言う。

 「姫様がお城に出て、御法度はっとで公明に裁いてもらえると思う?」

 「……」

 相瀬はさらに声を低くした。

 「だって、サガラサンシュー様っていえば」

 いちおう「様」ぐらいはつけたほうがいいだろう。

 「前の殿様が、あのお姫様のお母さんをなぶり殺しにしたときからの家老様だよ? おんなじようになぶり殺しにするに決まってるじゃない?」

 自分で言って、自分の首筋の後ろがぞわっと震える。

 「ひっ……!」

 真結がまた息を吸う。

 悲鳴も上げられない――といったところだろう。

 「そうならないように、桑江様は、たぶん姫様を水に突き落とす」

 突き落とさないだろうと思う。

 「姫様だって、そう望むはずだよ」

 望まない。

 クワエはまじめだから、姫様の命を預かったら、お城に送り届けるだろう。

 それは自害を勧めるぐらいのことはするかも知れない。でも、姫様がそれを拒めば、自分から命を奪うようなことはしないだろう。

 そして、姫様は、法度に従った裁きなんか受けられないとわかっていても、自分から自分の命を投げ出すことはしない。

 その先は、考えたくなかった。

 声も立てられずに震えている真結に、相瀬は言う。

 「だから、真結が姫様を突き出す、桑江様が姫様を自害させる。それがいちばんいい始末のつけかただったんだ」

 ――相瀬が考えたやり方たった一つだけを別にすれば、だけど。

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