第19話 二十三夜(8)

 「あのひとね、いろいろ考え直そうとしてるみたい」

 美絹みきぬは、相瀬あいせを見ないで、脇に目を伏せて言う。

 「いろいろ、って?」

 「佃屋つくだやさんの養子っていうのは断ろう、とかね」

 「そんなのあたりまえじゃないですか」

 相瀬は突き放す。

 「さだが大きい商人の家の養子なんて似合わないですよ。それに、もし佃屋さんのところで仕事するにしたって、養子でなくても仕事はできるでしょ?」

 「うーん」

 美絹は顔を上げ、謎をかけるように相瀬を見る。

 「それはそうなんだけどね。一つは、さ、佃屋さんのところで先に働いている人がほかにいるわけじゃない?」

 「ああ、それはそうです」

 「ただの奉公人として入ったら、その人たちより下で仕事するところから始めないといけないでしょ? でも、佃屋さんは、貞が海で獲れるものに目が利くからって雇うんだから、ほかの奉公人さんの下に貞をつけるってことはしたくない。だから、養子として貞を入れて、最初から奉公人を差配する立場に置こうってことらしいのよ」

 「そういうのって、貞、いやがるんじゃないかと思うんですけど……」

 正直に言う。すると、美絹も、

「そう!」

と言った。

 「だからそういうのはありがた迷惑だと思ってるみたい。でも、わたしとかお父さんとかの手前を考えるとね、奉公人としてご城下に行きます、じゃあ、わたしたちに悪いって考えてもいるみたい」

 「よけいな気を使うやつですよねぇ」

 こんな言いかたをするとさすがに美絹さんが怒るかな、と思ったが、美絹は

「うんー……」

と、べつにそうでもない。相瀬はきく。

 「で、その養子になる、っていうのはやめるんですか?」

 「ところがねぇ」

 ――やめないんだな。

 「昨日、あんなことがあって、みんな佃屋さんを恨んでるじゃない?」

 「いやぁ」

 相瀬は大げさに首を傾げて見る。

 「恨むような筋合いかなぁ?」

 それは佃屋というのがいい商人とは思わない。あのサンシューの手先ではないにしても、サンシューと組んでいるのは確かだ。

 でも、昨日の注文は、もしかすると、海のことを知らない佃屋が、あんな嵐が来るとは思わず出した注文なのかも知れない。

 断ればよかったのだ。

 「だって、ふだんの倍の値段とか言われて、大人組の頭や大小母様の言うことをきかずに船を出したの、若者組の身勝手でしょ――あの林助りんすけとかの。そりゃあ佃屋さんだって悪いと思うけれど、あいつらが佃屋さんを恨むとしたら、やっぱりそれはへんですよ」

 美絹が得意そうに笑う。

 「ほんと、相瀬ちゃんって、貞とおんなじような考えかたをするのね」

 貞吉もそう考えたのか。

 「いや」

 でも、「おんなじような考えかたをする」から「気が合う」なんて思われては困る。

 「それは、たまたま、っていうより、普通、そう考えません?」

 「ま、わたしもそう思うけどね」

 美絹は澄まして言った。

 「ともかく、そうやってみんなが佃屋さんを恨んでるときに、やっぱり養子の話は断ります、とか言ったら、ほかの人の言ってることにただ乗せられてるみたいじゃない? それもいやなのよね、あのひと」

 ぜいたくなやつだ、と思う。

 でも、ぜいたくなのは貞吉さだきちだけだろうか?

 「いや、だから、漁師組の人たちがもっと貞をだいじにしたら、こんなことでこじれないわけじゃないですか?」

 「こういうのはわたしたちにはわからないところだけどね」

 美絹は前置きしてから言う。

 「わたしたち海女は、一人ひとりの才とかがんばりとかが、そのまま獲れ高になって見えるからね、でも、網打ったりするのってみんなでやる仕事でしょ? 一人ひとりの才とか能とかもだけど、どれだけ力合わせられるか、息を合わせられるかっていうほうが大事でしょ? あのひと、そういうのが得意じゃないのよね」

 「いや、それはわかりますけど」

 それはよくわかる。美絹は、うん、と頷いて、続けた。

 「あの林助って子がいなければ、貞がみんなをまとめる立場に立って号令すればそれですむわけだけど、そういう号令したがる人って一つの組に二人はいらないから」

 「でも、あの林助の能のなさっていうの、みんな、昨日思い知ったと思うんですけど」

 相瀬が言う。美絹は笑った。

 「その前に貞の我の強さっていうのも思い知ってるから。でも、我が強いくせに、自分の我が通りそうになったら引っこめるのよね、相手のことを考えて」

 ああ、そうかと思う。

 そういえばそういうやつだった。貞吉がむきになるのは、自分が負けそうなとき、少なくとも相手が勝ちそうなときだ。子どものときに相瀬と取っ組み合いをしたのも、相瀬のほうが声が高くて、相瀬に言い負けると思ったからだったのかも知れない。

 だとすれば、あんなに海女の娘組のしきたりを悪く言ったのも、自分のほうに分がないと思っていたからなのだろうか?

 「だからって、佃屋さんが分が悪いからって、自分の言うこと引っこめることないと思うんですけど? だって、いくらいま佃屋さんの評判が悪いって言ったって、こっちは小百姓なんだし、向こうは城下の大商人でしょ? それにさぁ、佃屋さんが江戸とか江戸の近郷きんごうとかの商売とか大きいこと考えて来るんだったら、貞吉も大きく考えればいいと思うんだけど」

 美絹はくすっと笑った。こういうふうに笑うと、このひとは相瀬よりも歳下に見えるくらいの笑顔になる。

 「相瀬ちゃんもわりと立派に考えるようになったわよねぇ」

 美絹さんはこういう皮肉を言わないひとなので、じゃあほんとにそうなのだ、と相瀬は思う。

 もし「立派」に考えられるようになったとしたら、それは、毎日、そういう「立派」な話をしてきたからだ。

 姫様のお蔭だ。

 「あのひとも大きく考えてるわよ。城下に行かずに、村にいて、それで商売の役にも立って、漁師としても役に立てるやり方はないかってね。だから、佃屋さんと喧嘩けんか別れするつもりはないけど、ほとぼりがさめたら養子の話は断っちゃうんじゃないかな?」

 いや、断るとしたらどちらにしても佃屋には恨まれるのだから、ほとぼりがさめないうちに断っておくほうがいいんじゃないか?

 でも、貞はそういう考えはしないのだろうし、あとは、それをその佃屋という商人が受け入れるかどうかだ。

 「それより、浜の漁師組のほうで、貞がどうするかですよね」

 相瀬が言うと、美絹も自分の膝に身を寄せてうつむ

「そうなのよね」

と言う。

 相瀬が乗り出しても喧嘩になって、かえって拗れるばかりだ。

 でも、真結なら……?

 そう考え始めたところへ、神主様が足をしのばせて寄って来た。

 「おもり様、そろそろですよ」

 「あ、はい」

 その耳打ちを見て、美絹が立ち上がる。美絹はもちろん前に海女の娘組の頭として「お籠もり様」だったことがあるのだから、その耳打ちの理由はわかっている。

 美絹が拝殿から下りるためにさっさっと歩いて行く姿を見て、ああ、もう海女の歩きかたじゃないな、と相瀬は思った。

 もちろん美絹はいまも海女をやっているのだから、海女らしい歩きかたもできるのだろう。けれど、床の上を歩くときには、もう家を切り盛りする「家の奥様」だ。

 あんがい、町家の奥様が似合うのではないか、と相瀬は思う。

 思って、おもむろに立ち上がった。

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