第10話 鬼の裔(10)

 ギョーブ様のその後の容態ようだいはきいていない。おれも何も来ていないということは、ギョーブ様は死んではいないということだろう。

 でも、治ったのかどうかもわからない。治っていてほしいとは思うけれど、サンシューがこの殿様を治らせるわけがない。ギョーブ様が治ってしまったら、ギョーブ様は姫様への手配を取り消させるかも知れないし、だいいち、サンシューの実の子のシュメにお家を乗っ取らせるという手順が狂う。

 「相良さがら様も、この毒のことをご存じならば、ただの舞茸まいたけを毒きのこだなどと言ってさわぐことはなかった。それに、相良様も山に領地をお持ちなのですから、舞茸に毒がないことぐらいご存じでしょうに」

 サンシューはご存じかも知れないけれど、相瀬あいせが知らない。マイタケと言われても何のことかわからない。

 それにサンシューだって知らないだろうと思う。海辺を取り締まる奉行でも海のことは知らないのだから、山に領地を持っていても山のことは何も知らないだろう。

 だけど、あのクワエなら知っているんだろうな――と思う。

 クワエと姫様だって、いっしょにいろんなことを話していろんなことを進めれば、この領内の困ったことがいくつも解決すると思うのだ。でも、二人はいま顔を合わせてはならない立場におかれている。

 そんな立場にしたのは、だれだ?

 「そんなことをなさらなくても、相良様は、玉藻姫たまもひめは毒を所持している、と言って、わたしを罪にすることができたはずです。それができないということは、相良様はこの毒のことをご存じない、つまり、鬼党のことはほんとうはよくご存じないというよい証拠なのです」

 「はあ……」

 しかし、だったら姫様はどうしてわざわざこんな話を相瀬にしたのだろう。

 「でも、もしこの毒が人を殺せるとしたら」

 意地の悪い笑いをたたえたまま、姫様は、ゆっくりと続けた。

 「わたしは父上に差し上げるさいにこの毒を仕込んだと思いますか?」

 そして、じっと相瀬を見る。

 「い……いえ……」

 相瀬はなぜかなかなかことばが出なかった。「姫様がそんなことをするはずがない」と続けたいのに、そこまで言ってことばがとぎれる。

 姫様は頬を緩めた。

 「その鬼党きとうの血を絶やすために父上を殺す、そして自分が疑われるように仕向けて、自分も殺される。もし、この毒で人を殺せるとしたら、わたしはそんなふうにしたと思いませんか?」

 それで相瀬も頬を緩めることができた。

 「思いません」

 言い切る。

 だいいち、そのやり方だと、いまの岡下の殿様と、シュゼンとかいうその息子の血筋は残ってしまう。鬼党の血は絶えない。

 けれどもそれはどうでもよかった。

 「姫様は、自分がそんなことをしたと思っているんですか」

 「いまは思いません」

 姫様は、軽くまぶたを閉じ、まぶたを開いてからも目を逸らして言った。

 「でも、ずっとその思いにさいなまれてきたのです」

 「そんなことありませんって」

 相瀬はわざとなまいきに言った。

 「姫様はありがたいお経も知ってるし、仏性ぶっしょうのこととか、功徳くどくのこととか、いろいろ話してくれたでしょう? そういう人がそんなこと考えませんって」

 姫様は小さく首を振った。お上品にも、悲しいようにも見える。

 「大炊頭おおいのかみのほうの父のことは話したでしょう? その父は、正邪、誠と偽りということにはほんとうに厳しい人でした。そのことだけ言えば、立派な人ですよね?」

 「いや、だから」

 ……嫌いなだけではないのか? この父親のことが……。

 「それでも、やっていいことといけないことがあって……」

 「そうです」

 姫様は頷く。

 「でも、父を見ていてわかるでしょう? 自分は正しいとか、自分はよいことをしているとかいうことを信じてしまうと、だから、自分は世間の人がやってはいけないこともやっていい、と信じてしまうものなのです。ところで、自分は正しいことをしている、自分はよいことをしている、自分は功徳を積んでいるということを少しも自分で思わないで、正しいことやよいことをすることはできないですよね? できる、というひともいますが、わたしはできないと思います」

 「いや、だからさぁ」

 姫様がまじめに清らかに語るのに合わせない。だらけた口ぶりで言う。

 「自分は正しいこともやってるけど、まちがったこともやってるって、そう思っておけばいいわけでしょう? いいこともやってるし、悪いこともやってるって。そうしたら、自分は何をやってもいいなんて思わないって思いますよ。だいたい、何をやってもいいって思っても、それはできないわけだから」

 「領主はできるのです」

 姫様が厳しく言い返してくる。

 「もちろん、天地のこととか、領内以外のこととかは何でもできるわけではありません。しかし、領内のことなら、たいていのことは、領主が命じればそのとおりになるものなのです。ある人を名指しして死ねと言えば殺すことができますし、ある人に褒美ほうびを取らすと言えばそうすることができる」

 それは、この領主家の姫にとって、何のうれしいことでもないのだ……。

 「でも、そうですね」

 姫様は力を抜いた。

 「そう考えればよかったのです。相瀬さんの言ったとおり、ご先祖様がいらっしゃるから、いまのわたしたちがいる。それはありがたいことです。わたしはそのことを相瀬さんに教えられました」

 相瀬はびっくりする。

 「いえ、そんな! わたしが姫様に何か教えるなんて! だって、だってほら」

 言い淀むと姫様が何か難しいことを言いそうだと思う。相瀬は無理をしてことばを続ける。

 「だって、姫様、さっき言ったじゃないですか。そんなことを言われても、そんなのは自分とは関わりのないことだって言い返せる、って」

 姫様はさびしそうににっこりと笑う。

 「だから、相良様に、わたしは鬼のすえで、したがって罪の子だ、などと言われたら、そう言い返します。けれど、考え方を変えれば、ご先祖様のおかげでわたしが生きているということは」

 姫様は短く息を継ぐ。

 「それは、ご先祖様の悪行のお蔭でわたしたちが生きているということかも知れないのです。わたしの先祖は海賊でした。人を殺し、人をさらって来、死ぬまでこき使い、言うことをきかなければ死ぬまで殴り、売り払う――ずいぶん残酷なこともしたと思います。それを、やはりご先祖様がわたしには知らせないように隠してしまわれた。しかし、わたしは知ってしまいました。そして、わたしは、それを知った以上、その悪の血筋を絶やすのが自分の役目ではないかと、その思いに苛まれてきました」

 また笑う。今度はさびしそうに。

 「だから、相良様がわたしを人殺しだと言い立てたとき、わたしには思い当たるところがあったのです。その思いはずっと消えませんでした」

 「いや、いやいや……」

 相瀬が俗っぽい言いかたで口をはさむ。

 「いや、それは、姫様までそのサンシューのりくつに騙されてるんですよ。だって……」

 「いいえ」

 姫様は相瀬のことばをさえぎって顔を上げた。

 「そう思っていたからこそ、わたしには、かなえが、わたしの欲するところをなみしてまでもわたしを連れ出し、相瀬さんが、わたしをお城に曳き出してくださいと言ってもこうやってかくまってくださる、そのことがありがたく感じられたのです。そんな、罪深いかも知れないわたしに生きていてほしいと願っている人がいる。そう願う人の数の多い少ないではありません。叶と相瀬さんの二人を得ただけで十分です。だから」

 やっと姫様はけなげで晴れやかな顔に戻った。

 「わたしはもう自分から死のうとは思いません。相瀬さんに連れて行ってもらって、それで、鬼たちの国に行きます。だから、その夜まで、よろしくお願いします」

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