第9話 鬼の裔(9)
「学問」というのは、そういう強い思いがあって成功するものなんだな、と、
――だから、自分には無理だ、と。
そんなことを考えている相瀬の前に、姫様は、またあの小さい「
何か得意そうに、勝ち誇ったように笑いながら。
「この中に何が入っていると思います?」
「はい?」
なかみがあるのか!
貝殻だけだと思っていた。
「手にとって見てみてください。でも、なかみにはさわらないように」
「……あ、はい」
姫様の手から貝を受け取って、隙間から入ってくる月の光に透かす。その貝の口から中を見てみる。
何か暗い色のねっとりしたものが入っているようだ。相瀬は顔を上げた。
「
「毒です」
姫様は平気で言う。
「毒?」
でも、どうしてそんなものを、この貝殻に入れて……?
姫様が説明した。
「その貝を生きたまま火にかけて
酷いのか。
この姫様も真結と同じように貝の身になって言っている。
相瀬は、そんなの、さざえを食べるときには普通にやっていると思う。でも言わなかった。
お姫様がそんな食べかたを知っているとも思わなかったから。
「そうして焼けた身を
「ああ」
そう言われると納得できる。
「この貝は、大きくなると、貝殻の内側がまっ赤になるんです」
「いえ、小さいのもそうです」
姫様がすかさず言う。
「もっとも、火で炙るとその赤いところがはがれてしまいますが」
そんなことは知らなかった。
姫様といっしょに調べれば、この貝についていろいろなことがわかるだろうにと思う。
でも、それは当分は無理そうだ。
相瀬が続ける。
「そして、この貝の身を手で触ると、手が
それにしても、よくこのがさつな自分がこれまであの貝の身にじかに手を触れなかったものだと思う。
姫様は
「同じ毒だと思います。もっとも、こうして練り物にしておくと手で少し触れたくらいならば手が爛れたりはしませんが」
「ええ」
でも、どうしてそんなものを……?
姫様が手を差し出したので、相瀬は貝を返す。相瀬だって毒とわかっているものをいつまでも手に持っていたくはない。
「しかし口に含むと猛毒です」
姫様は唇を閉じ、その両端を引いて目を細めた。
続けて言う。
「少しでも飲み下すとすぐに口のあたりに
その細めたまぶたのなかの瞳で、姫様はじっと相瀬の目を見る。
相瀬は目が離せない。
もう姫様は毒の説明をしているのではない……。
「気は失いますが、死にはしません」
姫様は、相瀬がある考えに行き着くように導いている。
そして、姫様は相瀬がそこに行き着けるかどうか、試しているのだ。
「まさか……」
もちろん相瀬はそこに行き着いている。
「ほんとに姫様がやったんじゃありませんよね?」
ギョーブ様は、この姫様の手作りの
それは菜に仕込まれたきのこのせいだということになっている。しかしそんなきのこはないとクワエシンノジョーは言った。
だが、そうではなくて、仕込まれた毒がこの「鬼鮑」の毒だったら?
「ええ」
姫様はさっきの意地の悪い微笑のまま答える。
「わたしではありません。だって、この毒は、次の日まで残りませんから。多めに摂っても、次の日にちょっと痺れは残りますし、気分は優れませんが、それでも死にはしません。やがては毒を飲んだことも忘れてしまうほどになります」
そのはっきりした言いかたに相瀬は
「それは……何か本に書いてあった……?」
「ええ。
……この姫様、読めるのか、阿蘭陀語まで……?
「でも、そういうことを知っているのは、自分で試したからですよ」
「試した?」
相瀬が、きょとん、とする。
「ええ。そうです。何回か、少しずつ飲む量を増やしていって、それで、ある量以上を飲むともう効き目が変わらなくなるということを確かめました」
「何するんですかっ!」
相瀬は思わず叱りつける。
「そんなことしたら、下手すると死んじゃうかも知れないのに!」
「ええ」
姫様はあたりまえのことのように答える。
「でも、試してみないとわからないではありませんか」
軽く首を傾げる。
「もしかすると、その大きく育った貝ならば、人を殺せるかも知れません。逆に、身が大きくなって毒が薄まって、毒分が減っているかも知れませんね」
いや、そういう話ではないのだけれど……。
こんなことを言っているのが
でも、いま、自分よりずっと命を危ないところにさらされているお姫様に、それは言えない。
「じゃあ、姫様は無実だ」
「ええ」
そう答えてくれたのでほっとする。
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