第8話 鬼の裔(8)

 相瀬あいせは何も問うていないのに、姫様は一つ頷いて、続けた。

 「きっかけを相良様がお作りになられたのか、それとも、相良様が推挙すいきょされた近臣のだれかが言ったのか、それはわかりません。ともかく、大炊頭おおいのかみは、いつまでも世継ぎが生まれないことを気にしていました」

 「ああ」

 「それに乗じてだれかが吹きこんだのでしょう。わたしの母上は正妻ではありませんでした。正妻の奥方様は江戸におられます。岡平の御領で大炊頭に寄り添っていたのがわたしの母で、それでわたしが生まれました。しかし江戸の奥方様からはお子が生まれませんでした。それは、わたしの母上が、正妻の奥方様から世継ぎが生まれないようにと呪詛じゅそして――つまり何かの悪いまじないをしているからだということを大炊頭に言ったのです。そして大炊頭はそれを信じてしまった。そして……」

 短く目を閉じる。

 「あるとき突然に逆上して母上を捕え、ご自身と近臣とでなぶり殺しにしてしまいました。わたしが父上に――いまの父上に呼ばれて駆けつけたときには……」

 きつく目を閉じて、頭を垂れて、何回か息をして。

 「母上はもう人の姿をしておられなかった。でも、そんな姿でも、わたしがいるのをご覧になって、母上は、玉藻たまも、と最後に呼ばれたのです」

 人の姿をしていないとは、どんな仕打ちをしたのだろう。

 ただ姫様を見て名を呼んだということは、まだ目は見えたんだな、ということをぼんやりと考える。

 これでは姫様は憎むはずだ。

 オーイノカミも、サンシューも。

 「そのままならばわたしも殺されたのかも知れません。でも、わたしといっしょに駆けつけたいまの父上が大炊頭を厳しい声で叱責しっせきされました。大炊頭は、最初は、弟が何を言うか、支領の領主が何を言うかと高慢に言い返していましたが、ついに子どものように泣き出したのをわたしは覚えています。母上を助けようともせず、一人、涙を流して泣いて転げ回っていたのを」

 それはよけいに許せないだろうと思う。

 「わたしはそのあとすぐに岡下おかしたに移されました。たぶん岡平おかだいらのお城に置いておくとわたしは殺されてしまうと父上がお考えだったからでしょう。じっさい、そのあとも、大炊頭は、軽いあやまちを犯しただけの臣下を足蹴あしげにするとか、みずから罪人の取り調べの場に行って、もう白状している罪人に疑われてもいない罪を押しつけてさらに責め苦を負わせるとかいう乱行を繰り返したそうです。そして、ついに大炊頭は、狩りと称して山に向かう途中、林のなかでみだらなことをしていた村の男の人と女の人を見つけ、母上と同じようになぶり殺しにしてしまいました。みだらなことというのは取りつくろった言いわけで、若いふた親が生まれたばかりの子どもをあやしていたのだ、という話も伝わってきました。たぶんそちらがほんとうでしょう。自分には世継ぎが生まれないのに、どうして小百姓こびゃくしょうにこんなにたやすく子が生まれるのか、と。それは何かよこしまな行いをしているからに違いないと思って殺してしまったのです。いま思うと、その心持ちが手にとって見るようにわかります」

 姫様はあざけるように短く鋭く笑った。

 相瀬だって、まったくの他人ごとだったら、そんなばかな、と大笑いしているところだ。

 「ともかく、それが公儀の知るところとなり、あわせて公儀から母上の死にも不審があるとなじられ、それから、これはご存じでしょう、嗷訴ごうその百姓を酷く扱ったことなども知られて、大炊頭は江戸に蟄居ちっきょと決まったのです」

 だいたいのことは大小母様にきいて知っていた。でも、身近にいた姫様からきくと、それは、考えれば気が触れてしまうほどにもの凄く、酷いと思う。

 姫様は声を低くした。

 「父上に叱責された大炊頭は、泣きながら、何度も繰り返しました。われは鬼党のすえぞ――と。そのことばがわたしの脳裡のうりを離れませんでした。それで、父が岡平領を継がれ、わたしが永遠寺ようおんじ真浄土院しんじょうどいんに預けられることになって、わたしは鬼党のことを調べたのです。でも、わたしの学問はつたなく、それが読めませんでした。それでわたしは学問を修めることにしたのです」

 「ああ、それで唐文字からもじばっかり百行、一日に……」

 「そうです」

 この話になると、姫様はもとの子どものような笑いに戻る。

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