第7話 鬼の裔(7)

 姫様は、軽く息を継いで、言う。

 「しかし、その忘れられていた鬼党きとうのことを、私の父、こちらは大炊頭おおいのかみのほうの父ですが、その父に思い出させた者がいます」

 ここの話の流れはつかめる。

 「それがサガラサンシュー……?」

 「そうです」

 わざと、だろう。姫様は、唇を閉じたまま、ふっ、と鼻から勢いよく息をして見せた。

 「困ったものです」

 いや、ほんとうに困ったものだ。

 困ったものなのだが。

 「相良さがら様だってほんとうは鬼党が何なのかご存じないのです。たぶん相良家にはそのことが伝わっていない、いえ、祖のその相良さがら右衛門尉うえもんのじょう様すら、鬼党がそれまで何をしていたかは詳しいところまではご存じなかったのかも知れません。せいぜい、海賊だった、ということがかろうじて伝わっているくらいだと思います。だから、いまの相良讃州さんしゅう様も、ただ、鬼の党、というからには、恐ろしげで、何か非道なことをしていたのだろうと、そうお考えになっているだけなのだろうと思います」

 姫様は短く間をおいてから、続ける。

 「また、相良様にとって、鬼党がほんとうは何だったかなど、どうでもよいのです。申しましたよね、わたしのその大炊頭のほうの父が、正しいこととよこしまなこと、誠と偽りを強く区別なさる方だったということ」

 「ええ」

 いまの言いかたで、姫様が、このオーイノカミという自分の生みの親を憎んでいること、さげすんですらいることがわかった。サンシューにすら「様」をつけているのに、オーイノカミは呼び捨てだ。

 姫様がそんな気もちを表に出すことはほかではないだろうと相瀬あいせは思う。

 「大炊頭は、もともと領主の職を継げる立場ではありませんでした。しかし、澣恵公かんけいこう様のご嗣子しし哀侯あいこう様の急逝きゅうせいによって、つまり、哀侯様が突然に亡くなられたことによって、急ぎ、領主を継ぐことになったのです。澣恵公様の前の澣思公かんしこう様も急逝されていて、つまり突然に亡くなられていて、そのころの領主家には悪い気が溜まっていました。わたしは何が起こったかすべて知っていますが、領主家の恥ですし、公儀こうぎにも隠しおおせていることですから、いまは申しますまい。悪い気のせいということにしておきます」

 急にいろんな名まえが出てきて相瀬はわからなくなる。カンなんとかコーというのは亡くなった御領主のことだから、御領主のお家で、何人も、何の前ぶれもなく亡くなった方がいる、とか、たぶん、そういうことだ。

 「そんなことがあった後に領主になった大炊頭は期するところがあったのでしょう。自分の手で善政を行い、御領の乱れを正す、とか、そういう大それたことを。しかし、思いどおりには行きません。大炊頭は、それを、領内によほど大きな悪、正体もつかめないほど大きな悪の神がいついているから、自分の思いどおりにいかない、と信じてしまった」

 思いどおりに行かない。それは相瀬でもよくあることだ。

 そんなとき、人を憎んだり、ましてや神仏を恨んだりしてはならないと、相瀬は教えられて育った。

 「そこで、その、大炊頭の、その悪を憎む心が、日々、高まって行ったのだろうと思います。それが高まっているところに、相良様は漏らされたのです――大炊頭の祖先が鬼としてこの一帯の人びとに恐れられている徒党ととう棟梁とうりょうだったということを。まぁ、そう言われても、いまのわたしならば、そうですか、それがどうかしたのですか、と平気で言い返すでしょうけれど」

 きもわった姫様だと思う。

 姫様が相瀬の目をちらっと見たので、

「ああ、わたしだったとしても、たぶん」

と相瀬は言った。

 「だって、ご先祖様って、たとえそれがどんな悪い人だったとしても、いまわたしがここにいるのはご先祖様がいたおかげで、ご先祖様がいなければわたしはいないわけだから、そのことだけで、ご先祖様って、わたしにとってはいい人だから」

 とっさに考えついた理屈だった。

 でも、相瀬は、顔を合わせたことのある両親以外、ご先祖様というのがどんな人か知らない。

 家とお寺には過去帳かこちょうはあるが、相瀬には読めない。

 だから、そんな立派なことが言える義理ではまったくなかったのだけど。

 姫様はきいてくすっと笑う。

 「とても立派なお考えだと思います」

 きれいな、子どものような笑いだった。姫様は続ける。

 「そうです。大炊頭もそう考えないといけなかった。でもそうは考えなかったのです。何よりよこしまなことを憎む自分が、よこしまなことこのうえない海賊の血筋だと思っただけで耐えられなかった。領内のこの大きな悪の元は自分の血筋だった。そう気づいたのです。そして、悩み抜いた末、ご自分が「鬼」であるのは、この世の邪悪と偽りを退治するため、それが天から与えられたご自身のお役目だと思ってしまわれたのです。身勝手なことです」

 そこからあのオーイノカミの「ランギョー」が始まる――そういうことだろう。

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