第6話 鬼の裔(6)

 相瀬あいせは何も言えない。

 姫様はその相瀬の顔をじっと見ている。

 目をらしても、月の光の照り返しが壁の隙間すきまから漏れてきて、ぼんやりと部屋を照らしているだけだ。目を逸らしても目をやるところはない。

 この別院を造ったのも鬼――そして、その者たちは……。

 「わかりませんか?」

 再び姫様と目を合わせた相瀬に、姫様はりんとした声で言う。

 「岡平おかだいらの領主、いずみ家というのがその鬼の血筋なのです」

 「あ?」

 何を言われたか、よくわからない。

 岡平の御領、その御領の御領主、その泉家。

 それが……。

 鬼の血筋?

 「……いや、そんな……」

 ばかなことが、と言おうとする。

 でも、相瀬が領主家の何を知っているだろう?

 今度の件が起こるまで、殿様がギョーブ様というのだということすら知らなかった。少なくとも、御領主のお家については、姫様よりはるかに少しのことしか、相瀬は知らない。

 姫様は話し始めた。

 「昔、あるとき、そうですね、二百年ほど前でしょうか。鬼がこの国を襲ってきました。それは、相瀬さんの知っているほうの鬼、つまり、この貝のことを知っている鬼たちです」

 「あ、はぁ……」

 あの「鬼」たちが「襲ってくる」なんて、そんなにおっかない者たちだとは相瀬は信じられない。相瀬の会ったことのある「鬼」たちは、体は大きいけれど、おとなしい者たちだ。浜の漁師どものように騒がしくもないし、浜に来る商人たちのようにずるくもしわくもない。

 でも、ここはおとなしく姫様の言うことをきいていたほうがよさそうだ。

 「一方で、この国にもとから住んでいた人たちで、自分からその鬼の手先になろうとした人たちもいました。鬼たちのほうが強かったですからね。ずっと強かった。だから、その手先になってあっしょに荒らし回ったほうがいい、という人たちが出てきても、おかしくはありますまい」

 それはまあ……。

 おかしくはないよね。

 だれだって強い者の味方になりたい。そのほうがいい目を見られるのだから。

 「その両方がいっしょになって、海賊になってこのあたりの海岸を荒らしていたのです。そして、いま、わたしは、その海賊だったころの鬼たちの本拠に、こうやって座っているのですよ」

 この別院は、そういう建物だったのだ……。

 「じゃ、あの遺跡の街というのは……?」

 「もちろん、その海賊となった鬼たちが造った街です」

 姫様は答える。

 姫様にとっては当然のことなのだろう。

 「しかし、そのうちに、困ったことが起こりました。遠くから――たぶん鬼の国から襲ってきたほうの鬼たちの勢いがおとろえ、死に絶えてしまったのです」

 相瀬は驚く。

 鬼でも、勢いがおとろえたり、死に絶えてしまったするのだろうか?

 姫様が続ける。

 「そうなると、その鬼たちといっしょに海賊を働いていた、もとからこの国にいた者たちは困ったことになります。もうほんものの鬼はいない、しかし、自分たちは鬼の仲間として憎まれているのですから」

 姫様は首を傾げる。「わかりますか?」と問うているようだ。

 「あ、ええ。わかります」

 「その頭が、いずみ行廉ゆきかど、つまり瀚文公かんぶんこう様でした」

 澣文公様はこの岡平の御領を創められた方だ。仁慈じんじの心にあふれた立派な方だったという。

 だからほかのひとに言われれば驚いただろう。

 そのひとが、鬼だとか、海賊だとか。

 でも、姫様からきくと、それがあたりまえのことのように相瀬の心に入ってきた。

 「ああ……」

 「そのままだれも助けに現れなければ、瀚文公様は海賊として捕縛されていたか、殺されておしまいになっていたか、よくてもただの貧しい小百姓こびゃくしょうに戻って一生を終わられたことでしょう」

 「はい」

 相瀬は釣られるように言う。

 「ということは、だれかが助けに現れた……?」

 「そのとおりです。それがだれか、わかりますか?」

 相瀬はすなおに首を振った。姫様の唇に軽い笑みが浮かぶ。

 「西のほうから流れてきて、自分は名族の出だと名のっていた武士です。その血筋はほんとうかどうかはわかりません。その武士は」

と短くことばを切ってから、

相良さがら右衛門尉うえもんのじょうと名のっていました」

 そうか、と思う。

 「それがあのサガラサンシューの祖先……?」

 「そうです」

 姫様が頷く。

 「相良右衛門尉は、江戸に来られたばかりのご公儀こうぎと話をつけて、泉家をこの岡平の領主として安堵あんどさせることに成功したのです。相良家の方がたが家老職を占めるのはそのご功績によります。おかげで、官途かんども右衛門尉から讃岐守さぬきのかみ、つまり讃州さんしゅうに進んだわけです」

 「ああ……」

 カンドだ何だというのはよくわからないけれど、とりあえず感心しておくしかない。

 「瀚文公様と相良右衛門尉様は、泉家が鬼の党、鬼党きとうと恐れられていたことを口外することを禁じ、そのことを記した領内の文書を執拗に探し出してすべて召し上げてしまわれました。しかも、それから、岡平だけではなく天下全部が泰平となり、瀚文公様ご自身、その次の代の瀚桓公かんかんこう様、次の次の瀚成公かんせいこう様と善政を行われたために、泉家の者が鬼たちの棟梁だったこと、いや、鬼たちが領内いたことも、みんな忘れてしまいました」

 忘れてしまったのだ……。

 それは、たぶん、「鬼」だと思っていた泉家のご先祖が、この御領のためを思ってほんとうによく治められたからだろう。

 実際、澣文公様、澣桓公様、澣成公様といえば、御領内で神様としてまつられるほどあがめられ、慕われている。

 最初のころは「鬼」だからと嫌っていた人たちも、御領のためにこんなによくしてくれる殿様ならば「鬼」のわけがないと思い直したのだ。

 姫様の話は続く。

 「さらに、瀚成公様は、晩年のお子の浩文侯こうぶんこう様に岡下おかしたをお与えになり、公儀に願い出て支領の岡下領をお開きになりました。名君瀚成公といえども晩年のお子がかわいかったからだ、と言われていますし、それはそうだったのでしょうが、岡下領を分離した理由はそれだけではありません」

 「ブンリ」がまたわからないけれど、きかないことにする。

 「それは……?」

 「泉家の過去を記した文書を、岡平から岡下に移すためです。そして、その文書を、浩文侯様のご子孫に託しました。そんなものは焼き捨てればよいようなものですが、瀚文公様、瀚桓公様、瀚成公様ともにご立派な方で、ふみとして書かれたものは後の世に残さなければ、という気もちをお持ちだったのでしょう。でも、岡平にそのまま置いておいたのでは、何かあったときに危険です。だから岡下に支領を設けて、そこに移された。岡下泉家では、菩提寺の永遠寺ようおんじ真浄土院しんじょうどいんを設けて、その文をそこに預けられました」

 難しいことばと名まえが次々に出てくる話は相瀬は苦手だが、「永遠寺の真浄土院」は思い出せた。

 「そこに姫様が預けられていたわけですね?」

 「そうです。もちろんそんな文書はだれも見られません。領主家の者にも見せないおきてになっているそうです。でも、わたしは真浄土院の若い尼の娘さんと仲よくなり、文書を見せてもらえるようになりました。わたしが鬼党について知っているのはそのためなのです」

 「では」

ときいてみる。

 「ご領主の方がたも、その、鬼たちの、棟梁、ですか? ご自分の家がそういうところだったことはもう覚えておられない?」

 「岡平はそうです。もう瀚宣公かんせんこう様、つまり瀚成公様の次の代にはわからなくなっていたようです。瀚成公様は、文書を岡下にお出しになり、ご子息にはもう鬼党のことはお伝えにならなかったのでしょう。岡下の領主は、その文書を預かったという役目があるので、鬼党の棟梁とうりょうだった、ということは伝えられていたようです。だから父上もそれはご存じだったのでしょう。でも、では、鬼党というのは何なのか、というと、ご存じないご様子でした」

 「父上」というのはギョーブのことだろう。

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