第3話 鬼の裔(3)
「ええ」
姫様はそれまでと変わらない声で答えた。
「それで?」
「今日が二十二日の夜、明日が二十三夜様の月待ちで、その次が二十四日の夜なんですが」
自分で言っておいて、まあそれはそうだな、と思う。日数が一日ずつ増えていくのはあたりまえだ。
「ええ、それで?」
「二十四日の夜、鬼が来ます」
「……はい」
「その鬼に、姫様を預けようと思うんです」
「……はい」
順番に説明したつもりだったが、でも、やっぱりすぐにはわかってもらえないな、と思う。
「いやぁ、姫様をどうやって連れ出そうか、いろいろ考えたんですよ」
だから正直にそこから説明することにする。
「よその領内に出て、お伊勢様にお参りするというふりをして江戸に行くとか、海づたいに江戸に行って
「ああ、
姫様があっさりと言う。
それはそうだな。姫様の乳母を務めた人ならば、それぐらいは考える。
あのひとも生きていてくれて、話し相手になってくれていたらもっと楽だったろうと思う。そうしたら、その叶さんの考えたところから
それに、この姫様を育てた人なんだから、話せばおもしろい人だったに違いない。
「わたしたちは最初に
いや、サンシューのようなやつに「お手」なんて言ってやらなくていいと思うのだけど。
「それでわたしたちはここから自害しようとしたのです。それに、江戸に着いたとしても、とっくに江戸のお屋敷の人たちが手を回していて、わたしたちが
ああ、そうなのか。
公方様のおん許に行けば、悪臣の小細工など相手にされず、公方様の正しいお裁きを受けられると思っていた。
そういうわけにもいかないらしい。
「もっとも、先にはいま江戸にいる父が乱行で
そう言う姫様のことばは、さっき
「それで、相瀬さんのいう鬼に、わたしを預けると」
だから、姫様が話をいまの自分に戻したことで、相瀬はほっとした。
鬼の話に戻ってほっとするなんて……。
「はい」
「では、その鬼はどこから来るのですか? 預けられたわたしは、どこへ行くのですか?」
姫様はいちばん答えにくいところをきいてくる。
でも、そうだよな、と思う。姫様には学問があるのだから。
正直に答えるしかない。
「それがわからないんです。どこかに鬼の国というのがあって、そこに行くのだ、というぐらいしか」
「でも、どこかでその鬼の人たちとは会えるんですよね? そうでないと、わたしを引き渡すことはできません」
姫様が理屈を追って考えてくれることが、いまは相瀬には嬉しい。
それに、いまのことばで、姫様も、「鬼」というのは人のうちだと考えているという見当がついた。
「それはどこで、ですか?」
「海の上です」
相瀬は目を閉じ、どこまで言うかを考える。
でも、もうここまで話せば、姫様に黙っているのはかえってよくないと思った。
「前に、初めて海女になる子が泳いで行かなければいけない
「ええ」
答えはそっけない。でも、この姫様ならば、ただ話を合わせただけでなく、ちゃんと覚えていてくれての返事だろうと思う。
「そのもう少し沖です」
「でも、わたし泳げませんよ」
やっぱり泳げないのか!
でも、それはもう考えに入れてある。もし姫様が泳げたとしても、「海女の娘と同じように泳げる」ことなんか最初から望んではいない。
最初から「自分は泳げない」と思っていてくれるほうが助かる。
「板きれにつかまれば人の体は浮きます。それでわたしが引っぱって行きます。途中で、二度、休むことができます。それでも水に
そうなったら舟に載せていくしかない。そうすることも考えに入れているけれど、それはできればやめておきたかった。
舟を使うと目立つ。それに、泳ぐのならばここの禁制の浜から泳いで行けるが、舟は唐子浜からここまで回してこなければいけない。夜のうちに浜に出ただれかが海女組の舟が一艘ないということに気づくかも知れない。
「いやだなんて申しません」
よかった、と思う。
「ただ、相瀬さんにご無理をさせるのでなければ、ですけど」
「あ、いや。そんな。無理ではないです、ぜんぜん無理ではないです」
相瀬は笑って答える。
「ま、無理であってもなくても、やろうと思ったことをなさるのが相瀬さんですからね」
言って、姫様はくすんと笑う。
「相瀬さんを信じます」
姫様と会ってからひと月も経っていない。それでこの姫様は相瀬のそういうところをよく知ってくれている。
ここでそういう話ばかりしたから――だろうか?
姫様は続ける。
「それに、その鬼の国というところに行ってからのことですが、そんなにひどいことにはならないと思いますよ。少なくともここの領内でわたしが受ける扱いよりはずっといい暮らしができると思います。もちろんその鬼の国というのは地獄絵図の地獄のようなところではないだろうと思います。ただ、そこに行ってしまうと、相瀬さんにもだれにも、まず、もう二度と会えなくなってしまうとは思いますが」
「ええ……」
それは相瀬も思っている。
しかし、姫様が「鬼の国」に行くことをここまでかんたんに受け入れてくれるとは、相瀬も思っていなかった。
姫様は、やはりほんとうに「鬼」に会ったことがあるのだろうか?
なぜ「鬼の国」が地獄とは違うことを姫様は知っている?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます