二十一葉・想い
その日、市街にはしとしとと雨が降っていた。
折しも、前夜に降った雪が解け切る前の雨。
そうした中、その事故は起きた。
タイヤのスリップ、減速の不十分なまま転倒する車体、ハンドルから離れる手。そして……。
――軽傷二名、死者一名。
小さなその事故の報道は、ネットでは話題にもならず、テレビニュースでは一瞬取り上げられただけで終わった。
「……だから、知らなかった」
言い訳がましい小さな僕の呟きを、予報になかった雨音がかき消す。
明後日から四月だというのに、頬を濡らす露は凍りそうなくらい冷たくて。
季節代わりの冷雨は、凍えるような墓地の空気を一層冷え込ませた。
* *
一月の末に親友が死んでから、早いもので二回目の月命日が来た。
納骨は四十九日に合わせて行なわれたそうで、親友は今、冷たい土の下で眠っている。
納骨から最初の月命日という事もあってか、この日は朝から多くの人が小野家の墓の前で手を合わせていた。
時折人の気配が絶えても、すぐにまた誰かがやってきて。
その様子を、僕は少し離れた桜並木の陰からずっと眺めていた。
――人間関係を全然整理できてないじゃないか。
そう毒づきたくなるくらいの人出の多さに、改めて彼の人望の厚さを実感した。
ようやく人が途絶えたのは、午後になってからだった。
午前中とは打って変わって、墓地には静けさが染み入る。
その片隅で僕はただ一人、相変わらず彼の眠るお墓を遠目に眺めるばかりだった。
墓の前に歩み寄ることも、立ち去ることもできずに。
供えられた線香の煙が、ゆっくりと天に昇っていく。
ゆらゆらと流れるその様はまるで生きているようで、なんとなくそれが親友の意思であるかのように感じた。
――そう、彼は生きたがっていた。
その最期の瞬間、彼は「生きたい」と口にしたらしい。
まだ死ねない、みんなに会いたい。
そう言いながら死んだと、彼の祖母は教えてくれた。
親友は、生きたかったらしい。
「だったら、どうして……」
……どうして、遺書なんか残したんだろう。
そう思った。
悩みから解放されたように見えたのは、おばあさんの間違いだったのか。
あるいは、死を前にして恐怖したのか。
「それとも……」
――僕を苦しめるために、手紙を遺したのか。
そんな考えが浮かんで、僕は思わず身震いをした。
あり得ない、彼はそんなことをする人間でない――そんなことは僕自身がよく知っているはずなのに、それを心のどこかで肯定している自分がいることに、背筋が凍るような思いになった。
そしてその否定しがたい小さな納得は、否定しようとすればするほど指数関数的に大きくなっていって、やがて胸の内側を随分と久しい感覚に染め上げていった。
それは、自分自身が信じられない感覚。何を信じたらいいのか、分からなくなっていく感覚。
彼と出会う前に抱えていたのと同種の、へばりつくような重たくてどす黒い不信感が首をもたげて、感情が押さえられなくなっていく。
「もう嫌だ……」
自分が嫌だった。
そんなことを考えてしまう自分も、その考えを否定できない自分も。
しかし、よく考えるとその考えが浮かぶこともそれを否定できないことも、当然だった。
彼が生前追い詰められていたことは事実で、そして、その主な加虐者は僕なのだから。
――僕は
親友の言葉を思い出す。
僕は、その想いに気づくことが出来なかった。
だから、彼はいなくなってしまった。
僕のせいで、彼は追い詰められてしまった。
そのことだけは、確かな事実だった。
「あぁ……」
胸が潰れそうなくらいに痛い。
息が出来ないくらいに苦しい。
激情が、胸の内側で爆ぜるようで。
「うぅ……」
でも涙は出なかった。
――自分は、彼の死に涙も流せないくらいに、酷い人間だったのか。
焼き切れそうな脳みその片隅に、ちらりとそんな考えが閃いて消えた。
「――死んでしまいたい」
そう思った。
いつからか、雨が降っていた。
春はまだまだ遠くて、その雨だれは凍るように冷たくて。
日の出からずっと外気に晒し続けて冷え切った体から感覚が無くなり、まるで自分が溶けているかのような錯覚に陥った。
このまま、消えてしまいたい。
そう思うと途端に足から力が抜けて、僕は地面にへたり込んだ。
芝の香りが微かに鼻を突いた。
「大丈夫ですか?」
優しい声と共に、雨が止んだ。
ハッと振り返ると、綺麗な女性がひとり。
僕と同年代くらいの、絹のような美しい黒髪の女の子が、僕に傘を差しだしてくれていた。
「こんなに冷え切って……」
「あなたは……?」
女の子が自分の上着を羽織らせてくれていることを、なんだか他人事のように感じながら、僕は口を開いた。
自分のものとは思えないくらいに小さく、掠れた、情けない声が漏れ出た。
「私は……」
女の子は一瞬言いよどんで、それからふわりと優しい笑みを浮かべた。
「私は、
* *
雨は、いつしか季節外れの雪へと変わっていた。
ちらちらと舞い降る雪の中で、僕と結美は並んで墓の前に立つ。
粉雪の舞い降る中で、ゆらゆら漂いながら昇っていく線香の煙は美しかった。
「ここに、孝太くんがいるんですね」
ぼんやりとしている僕の隣で、結美がほろりと雪のように儚い呟きを零した。
「ほんとに……この下に……」
「……」
目の前の事実を噛みしめるように呟く結美。
その言葉に何も返すことが出来なくて、僕は『小野家之墓』と書かれた目の前の墓石をぼんやりと眺める。
――僕は、このお墓の前に立つ資格があるのだろうか。
そんなことを考えながら、でも、焼き切れた脳みそではそれ以上何も考えられなくて、酷く気怠い心持ちのままぼんやりと立っていた。
「私ね、中学生のころに病気をしてたんです」
不意に、結美が口を開いた。
彼女に目を向けるとその眼は酷く虚ろで、そこには何も映っていなくて。
でも、その声は確かに僕に向けられたものだった。
「お医者様からは、難しい病気だって聞かされていました。これ以上放置すると死に至る病で、完治までに時間のかかる病だと言われました」
とても重い話だった。
少なくとも、出会って間もない相手にするような話ではなくて。
風変わりな人だなと思った瞬間、ふと、親友の手紙に書かれていた結美自身の言葉を思い出した。
――見知らぬ相手なら、気兼ねなく話せるでしょ?
そう考えると、彼女の語りの背景がなんとなく腑に落ちるような気がした。
「自暴自棄になりました。これから先の人生が、病気で塗りつぶされてしまうような絶望感を覚えました」
そんな僕の思索など露ほども気に掛けず、結美はつらつらと語りを連ねていく。
「そんな時に出会ったのが、孝太くんだったんです。彼は、私の話をいつもよく聞いてくれました。どんなに重い話でも、どんなに苦しい話でも、いつも優しくて、そしてどこか悲しい表情を浮かべながら聞いてくれて……。そして、それが当時の私には嬉しかった。いつもの場所に行けば、彼がいて、話を聞いてくれる。その時間が、どれほど私を支えてくれていたか……。孝太くんは、私の恩人でした。いつか、何かを返したいとずっと思っていたのですが……残念です」
そう言って、そこで初めて結美は僕の方を振り返った。
琥珀のように大きく美しい瞳に、僕が映った。
「
「えっ……!?」
突然名前を言われて、僕はどきりとした。
同時に僕は、自分が名乗りそびれていたことを思い出す。
「どうして、僕の名前を?」
「ふふ……実は、ずっとあなたに会いたいと思っていたんです」
小さく笑って、結美は視線を墓石に戻した。
風が吹いて、彼女の美しい黒髪がさらりと流れた。
「朝からずっとあの桜の木の陰から、お墓を見ておられましたよね」
ドキリとした。
思わず彼女の方を振り向くと、その美しい横顔がばつの悪そうにゆがんだ。
「ごめんなさい、盗み見るつもりはなかったのですが……」
「いえ、そうではなくて……あなたも朝から?」
「えぇ……」
頷いてから、少女は目を伏せた。
長い髪の毛が落ちて、表情が見えなくなった。
「……僕、本当はすぐに帰るつもりだったんです」
気がつけば、言葉が口から流れ出ていた。
「彼を知る人と会う前にお参りをして、誰かと会う前に帰るつもりだったんです。でも、いざここに来てみると、足が全然動かなくて。彼の墓前でいったい何を言えばいいのか、今さら彼にどんな顔をして会えばいいのか、それが全然分からなくて……。だって、彼は……」
彼は僕のことが好きだったから。
そんなことは言えなくて、僕は一瞬口篭もった。
しかし――。
『――見知らぬ相手なら、気兼ねなく話せるでしょ?』
脳裏に、言葉が閃く。
「……彼がいなくなってしまったのは、僕のせいなんです」
「え……?」
絞り出すように呟くと、結美は小さく声を上げた。
「彼は、私のせいでずっと悩んでいたんです。いつも一緒にいたのに、何も気づいてあげられなかったから彼は悩んで……悩んで……そして、悩む彼に僕は塩を塗り込むようなことを……」
目を閉じる。
彼の乱れた字が、瞼の裏に浮かんだ。
「……僕、彼から手紙をもらったんです。そこには遺書って書かれていて、彼の人生と後悔と想いが書かれていました」
「彼の想い……」
「もし……」
もし、僕がその想いに気づいていたなら、彼は死ななかったのだろうか。
もし、その想いに気づけていたなら、僕は受け入れただろうか。
そんな、あるはずのない「もし」を飲み込んで、僕は言葉を拾い集める。
「その遺された想いを、宛てられた僕はどう処理したらいいんだろう……その問いの答えが見つからなくて……僕は、彼の前に立つことが出来なかったんです」
語り終えると、二人の間には沈黙が降りる。
僕はもはや語る言葉を持っていなくて、結美も顔を伏せたまま。
静寂が、墓場に降り積もった。
「……郁乃さんは」
永遠にも思えるような時間の後。
やがて、結美は静かに口を開いた。
「郁乃さんは、どうしたいんですか?」
「僕……?」
――孝太くんの想いを、受け止めること。
結美の問いかけに、優衣の言葉が脳裏に閃いた。
彼の想いを、受け止める。
きっと模範解答は、これなのだろうと思った。
でも。
「受け止め……られない」
ズキリと、鈍い痛みに頭が揺れた。
――果たして、彼はそれを望んでいるのだろうか。
手紙を読み終えてからの数週間、何度も考えた疑問が胸のうちで再び首をもたげる。
「受け止めなきゃって思った。僕だけが明かされた想いなら、僕がそれを受け入れないとって。でも……」
ズキン、ズキン、ズキン。
頭が痛む。
これ以上、考えたくなかった。
思考が痛みの霧へと紛れて考えがまとまらなくなり、代わりに、胸の奥に押し込めていた想いが押さえきれなくなる。
「そんなことが、僕に許されるのかな? 僕にそんな資格はあるのかな?」
いや、むしろ、その前から。
「僕はどうするべきだったの? どうして僕は、何もしてあげられなかったの? どうして……」
――どうして君は、死んでしまったの?
考えてもわからない疑問たちがぐるぐると頭の中を駆けまわった。
その疑問に向き合うと胸が苦しくなって、吐きそうになった。
「もう、何も分からない……考えたくない……」
「郁乃さん」
優しい声が、ノイズであふれた頭の中をすぅっと一直線に通って、心に響いた。
顔をあげると、泣きたくなるくらいに柔らかな瞳が僕を見つめていた。
「郁乃さんは、孝太くんのことをどう思っていたんですか?」
彼のことを、どう思っていたのか。
思いがけない言葉に固まっていると、彼女は言葉は重ねた。
「好きでしたか? それとも、愛していましたか?」
僕は……私は、彼のことを……どう思っていたんだろう。
「私はね、孝太くんのことが好きでした」
考える前に、結美がそう言い切った。
すがすがしいほどの告白に、僕は一瞬呆然とした。
「……え?」
「私ね、孝太くんが大好きだったんです」
聞いてもいないのに、もう一度念入りに「大好き」と言い切ると、結美は視線をお墓に向けた。
「郁乃さんは、孝太くんがいなくなったことを、自分のせいだっておっしゃいましたよね」
「……」
「私も、彼の死は自分のせいだと思っているんです」
こともなげに、彼女はそう言った。
まるで、何でもないことのように。まるで、世間話でもしているかのように。
その、あまりにも「普通」な声色が、今この場においては強烈な違和感となって僕の脳みそを揺さぶる。
「どう……して……」
「私、多分孝太くんと最期に話した人間なんです」
「え……」
思わず言葉を零した僕に、彼女は寂しい笑いを浮かべた。
「彼が亡くなったのは、一月三十日の朝。その前日の二十九日、僕は偶然彼と会いました」
* *
「彼との再会は、本当に偶然でした。数年来探しても会えなかったから、私にとっては奇跡かと思うほどの幸運でした」
淡々と語る結美。
その隣で、固まったままの僕の事など露ほども気に懸けず、彼女は淡々と言葉を紡いでゆく。
「彼とは、たくさん話をしました。はじめはお互いの近況を話したりしてしていたんですけど、そのうちどうにも彼の元気がない様子が気になってしまって。いつしか、彼自身の懺悔とか後悔とかを聞く時間に変わっていました。どれだけの時間話したんでしょうね、相当長い間、彼の話を聞きました」
きっとあなたもご存じでしょうが、とても重い話でした――そう言って結美は、少し困ったような笑いを僕に向けた。
「私は何もしてあげられませんでした。でも人に話したことで、彼自身の中では何かを整理することが出来たのでしょう。別れ際、彼は『生きる気力が湧いてきた、もう一回頑張ってみる』と言って、笑ってくれました。その笑顔はとてもまぶしくて、ドキドキして。――あぁ、彼とたくさんの時間をこれから一緒に過ごしたいなって思ったんです」
なのに、彼は次の日に死んでしまった。
「彼の死を新聞で見た時、夢かなって思いました。信じられないまま、大急ぎで彼の家に行くとお通夜が執り行われていて……それからのことは、よく覚えていません。ただ、これから始まるはずだった未来が閉ざされて、これ以上彼との時間を増やすことはできないってことばかりを、ぐるぐる考え続けました」
結美は髪の毛を掻き上げる。
血の気のない、蒼白な頬が見えた。
「どれだけそのことについて考えたでしょうか。やがて私は、彼の死を自分のせいだと思うようになりました。自分が会ってしまったから、こんなことになったんじゃないか……ってね」
「そんなこと……」
――ない。
そう呟きかけて、僕はハッと口を押えた。
そんなこと、目の前の少女も分かっているはずだった。
そして、僕自身も分かっているはずで。
「ないでしょうね。でも、そう自分を責めないと、やっていけなかったんですよ」
思わず固まる僕に、結美は慈愛に満ちた笑みを向けて、それから再び言葉を紡ぎだした。
「戻らない時間を戻したいと思いました。過去が離れていくことを受け入れることが出来なくなりました――眠れなくなったんです。寝たら明日が来てしまう。明日が来たら彼のいた時間が遠のいてしまう。だから、眠ることが出来なかった。有り余った時間は、自分を責めることに使いました。でも、そうやっても彼は帰ってこなかった」
この子は親友に似ているなと、僕はぼんやり思った。
どこまでも不器用な二人。
彼が生きていれば、きっとお似合いの二人になっただろう。
そんなあり得ない未来を夢想して、鼻の奥がツンとした。
「なら、次はどうしようかと考えて、今度は彼を永遠のものにしようと思いました。正確には、彼との思い出を風化させまいとしたんですね。そうして、彼との最後の会話を振り返りました。何を話したのか、自分が何を言ったのか、そして、彼はどんな反応をしたのか。そうして整理をしてみると、一つのことに気がついたんです」
そこで言葉を区切ると、結美は僕を振り返った。
その瞳の色の意味を考える前に、彼女は口を開く。
「――私が直面しているものは、彼が長年向き合ってきた別離との向き合い方そのものなのだ、と気がつきました」
「別離との……向き合い方」
「彼の人生は、私なんかよりもはるかに『別離』と身近な人生でした。だからこそ、彼は常に過去の別離、未来の別離について考え、悩んでいたんだと思います」
そう……なのかもしれない。
僕はぼんやりと納得した。
思えば、彼の人生にはたくさんの別れが散りばめられていた。
その別れの一つ一つに、彼は哀しみ、後悔をして、そして恐れていた。
「そこまで考えが至った時に、じゃあ私はどうだろうって思ったんです。彼との別れに直面して、彼をちゃんと見送ることが出来たのだろうか。そうして、私はそこから、死んでしまった彼と別れ方を――いわば、『彼岸の彼との別れ方』を考えました」
「結美さんは、その『別れ方』を見つけられたんですか?」
恐る恐る、僕は問う。
彼女は笑顔を浮かべた。
「ここで、もう一度質問です。『あなたは、どうしたいですか?』」
「……」
「私はね、彼を忘れたくない。遺された私は、いつまでも彼との思い出を大切に生きていきたい。だって、坂本結美は小野孝太が好きだから――この自分の想いを認める事こそが、私なりの彼岸の彼との別れ方です」
「好きであることを認める……」
なんとなく復唱して、次の瞬間、僕は息が出来なくなるほどの衝撃に襲われた。
小野孝太はもういない。彼は死んでしまった。
それなのに、そんな彼を「好きだ」と今認めるという事は……
「それは……それは……」
とてつもなく残酷な行為だと思った。
あまりにも、結美が報われないと思った。
「郁乃さんの言いたいことは分かります」
そんな言葉に出来ない僕の思索を読んだように結美は笑う。
「彼が死んでからその人への想いに気がつくって、自分でもどうかと思います。人によっては、『はやく次の人見つけなさい』なんていうかもしれません。でもね……」
目の前に立つ墓石に目を向けたまま、彼女は語る。
「『好きを認める』っていうのは、過去に囚われるって意味じゃないんです。好きであることを認めて、それで一区切りをつけるんです」
彼を忘れるわけではない。
幻になった未来を追う事でもない。
「ただ、『彼を好きである自分』を受け入れること。『彼と会えない哀しさ』を受け入れること。そして、『彼がもういない』という事を受け入れること。そう言った、『ありのままの事実』をひとつひとつ受け入れていくことで、私は彼のいた世界の延長線上に新しい一歩を踏み出すことが出来ると思うんです」
そう言って、結美は「これが私なりの、彼岸の彼との別れ方です」と笑った。
「次は郁乃さんの番ですよ」
「僕……?」
「そう、あなたです。遺されたあなたは、どうしたいですか?」
――別れたくない。
結美の問いに、ノータイムでその答えが飛び出しそうになった。
別れたくない。離れたくない。
また、君に逢いたい。
でもそれは……
「みんな、おなじだよね」
誰もが大切な人と別れたくない。
永遠に、一緒にいたい。
だけど、人はいつか死んでしまう。
別れは必ずやってくる。
だとしたら、僕はどんな風に別れたいのだろうか。
自分が傷つけた相手と。
自分を好きでいてくれた相手と。
自分が一番大切な友達と。
――彼岸の君と、どう別れるのか。
「僕は…………」
彼と過ごした時間、彼が遺した手紙、そして夏葉や優衣、ショウマ、千代の想い。
それらを思い出し、考えに考えて、考え抜いて。
ようやっと見えた一筋の考えを掴んで、僕は結美に体を向ける。
「決めました、僕は――」
胸の奥から湧き上がる想い。
それを言葉にすると、結美はただ優しく僕の手を握った。
「それが、あなたの『彼岸の彼との別れ方』なんですね」
* *
別れ際、結美は私の手を取った。
「そういえば、最後のあの日。別れ際に孝太くんはあなたのことを話していたんですよ」
「私のこと……?」
「そう。あなたと、あなたに宛てた手紙のこと」
トクン。
小さく胸が鳴った。
「それって……!!」
息せき切って問おうとした僕は、しかし、その口をつぐんだ。
「ぅぅ……ぁ…………」
結美が、口元を押さえてその場にへたり込んでいた。
その口元からは、嗚咽が小さく漏れ聞こえた。
「結美さん……」
結美は泣いていた。
逢いたい、孝太に逢いたい――そう、何度も何度も繰り返して。
「手紙を遺してもらえた君が羨ましい」
何かが始まる前に終わってしまった少女の呟きは、あまりにも寂しく、どこまでも深い色で。
歯を食いしばりながら涙を流す結美に、私はただ出来る限りの力を込めて彼女を抱きしめることしかできなかった。
右肩にじんわりと広がっていくぬくもりは、あまりにも切なくて、鼻の奥がツンとした。
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