十八葉・手紙⑦
さて、大学受験はこうして幕を閉じたものの、その先に待っていた日々は思っていたよりも遥かに退屈な毎日でした。
SNSはいくつかやっていたし、大学が始まってからは指数関数的に知り合いも増えました。
下宿をしているということもあって、多くの人が僕の家を訪れたりもしました。
そうやって、繋がりのある人はどんどん増えましたが…………でも、それだけでした。
大切な人は、もういない。
君は僕の手の届かないところへ行ってしまいました。
君からのラインの返信は日を追うごとに短く、雑に、そして遅くなり、トプ画は僕がお遊びで描いた絵から見知らぬ男性とのツーショットに変わっていました。
当然です。
彼女には大切な恋人がいたのですから。
年上の男からすれば炒り豆と小娘。娘にしても色恋に身を焦がす年頃。
それくらい分かってもいたし、理解もしていた。
でも……寂しかった。
分かってはいたけれど、でもそれを「はいそうですか」と受け入れることなんて出来ませんでした。
ただ、君さえ隣にいてくれればいい。
そんな、二千日もの時間が醸成した、胸を焦がすほどの君への想い。
それをどこに向けるべきなのか迷子になって、そして、そもそも親友にそうした目を向けてしまう自分への怒りもあって。
やがてそれは、君を遠ざけなければという決意に変質していきました。
いや……ただ彼女のそばにいることに僕が耐えられなかった。
君との繋がりが残る限り、君への想いは止まらない。
君のことを考え続ける限り、胸の奥からはどす黒い感情が溢れ続ける。
それに取り込まれるのは…………時間の問題でした。
そうなれば、僕はきっとまた大切な人を傷つけることになるでしょう。
また僕は、大切な人の傷ついた背中を見送る羽目になるでしょう。
きっとまた僕は、罪の意識を抱えなければならなくなるでしょう。
――そんなのはもう、ごめんだった。
だから僕は君から距離を置くことを決めました。
君には、関わらない、と。
それは、ただの
でも、そんなものに頼るしかないくらい、僕はぐちゃぐちゃで、手がつけられないくらいにめちゃくちゃでした。
もう、そうするしかなかったのです。
それからは呆れるくらいに呆気ない幕切れでした。
毎日続いていたラインのやり取りを、ただ無視するだけのお仕事。
連絡が来ても無視。また来ても無視。なにがなんでも、君を無視しました。
徹底的に君のことを無視をして、僕は君という存在を僕のもとから切り離そうとしました。
一日。一週間。そして、半年。
やがて、君は僕に連絡をよこさなくなりました。
計画は成功したのです。
ただ一つのことを完遂するだけで。
「これで、僕は彼女を傷つけなくて済む」
そう思いました。
そう思い込むようにしました。
だって、そう思い込まなければ僕は、彼女を突き放すために彼女を傷つけているということに、気がつかなければならなかったから。
取り返しのつかない間違いをしたことを認めなければならなかったから。
それを認めたくなくて、湧き上がるその思いを消すために、僕は彼女との三年にも及ぶトーク履歴を消去しました。
消去のボタンを押した時のあの激情は……きっと死ぬまで忘れることができないでしょう。
ちょうどその頃からだったと思います。
世界が、急速に色褪せて見えるようになったのは。
大学はつまらなくなり、何にも興味が湧かなくなりました。
代わりに胸を締めるのは、在りし日に時が巻き戻ればという、切なる願い。
それは『友達』でいられた時間。
それは、満たされていたあの瞬間。
そんな日々への追憶を重ね、無為に日々を過ごすこと、実に一ヶ月。
いつしか山や街を彩っていた紅葉も散り果てて、乾いた空気が枝を満たすようになった頃。
秋晴れの高い空の下、ふと、夕暮れの道を一人で歩いていました。
空にはとんびがゆったりと舞い、町は夕焼けに染まっていました。
その時です。
僕はそこに、並んで歩く僕と君の背中を幻視しました。
西陽の中に笑い声が響いて、二人は幸せそうにじゃれあっていました。
思わず伸ばした右手は、彼らの背中には届かなくて。
そうしているうちに、二人は一緒に駆け出して、今にも沈もうかという夕陽に溶けて消えました。
残された僕は、やがて無意識に頬に触れた指先がしっとりと濡れていることに気がつきました。
僕は泣いていました。
とくとくと、とめどなく涙が湧き上がってきて抑えられなくなりました。
もう戻らない日々。
その記憶の泉から、大切に大切にと手のひらの中に掬い溜めておいた格別に特別な君との時間。
それらが、二度と戻ることのない幻影であることに気がついたのです。
失わないようにと手に取った君との思い出は、時が経つうちに目方が減っていきました。
そのことに絶望しながらも、一方で、失ったわけでは無い、守りきったものもあると思い込んで、言うなれば「安心」していた。
でも、僕は何も守っていなかった。
僕の選んだ、「関わりを絶つ」という道。
言い換えれば、それは逃走。相手の下から離れるという事でした。
皮肉にもそれは、「相手が離れていく」という僕自身が恐れていたことを、君に対して行う、加害行為そのものだったのです。
そして、その事にも気付かなかった僕は、ただ己が傷つくことを嫌い、自分のためにだけに行動するような自己中心主義な人間に成り下がってしまった。
――いや、むしろ、初めから自分がその程度の人間だったということを、改めて僕の眼前と白日の下に晒しただけのことでした。
そして、ようやくその事に気がついた時、僕の中で何かがはっきりと崩れ落ちました。
それは、決して取り返しのつかない何か。
懐かしくも、ハッキリと僕に突きつけられたその感覚。
『僕は、全てを失った』
それは、かつて感じた喪失感よりもさらに濃く深い、絶望にも似た感覚でした。
君がいたから、僕は歩き続けることができました。
君は、僕にとっての聖域であり、希望であり、未来でした。
それを投げ捨てた僕には、もはや何も残っていませんでした。
いや、僕はもともと空っぽだった。
僕の周りの景色を君がその色彩で染め上げてくれていただけで、もともと僕自身はには何も無かったのです。
人に誇れるものも、秀でたるものも、生きる価値すらも……。
……やがて、僕は夕闇の中で思いました。
消えてしまいたい、と。
大切なものすらも守れないのならば、僕に生きる価値も未来を手にする資格もない、と。
けれど、僕は結局その時、死ぬことだけは選べませんでした。
それは何故か。
僕には家族がいた。大学で出会った友人がいた。
自ら命を絶ったとあれば、そんな彼らの心には傷が残るでしょう。急にいなくなってしまえば、その生活に多少なりとも支障が出るかもしれない。
だから僕は、夢や矜持、愛にすら破れても死ぬことは許されませんでした。
手前勝手に死ぬ権利なんて、無いと思っていたのです。
でも、生きていれば迷惑をかけます。
アルバイトではいつも上役の人に怒られていました。
家族は前から欲しいと言っていたペットを、僕が受験に失敗したことで諦めざるを得なくなりました。
生きていれば、周りに迷惑ばかりをかけました。
そうして降り積もる慚愧の念は、いつしか自己否定へと変わりました。
みんなが僕を嫌っているように思えました。
何気ない一言、何気ない反応を過剰に受け取っては、勝手に嫌われたと思い込んで落ち込むようになりました。
眠ることが怖く感じるようになったのも、この頃だったと思います。
寝ると言う行為が、怖くて怖くてたまらなかった。
暗闇が怖いわけじゃないんです。
ただ、眠るのが怖かった。
目を閉じるといつも、もう一人の僕が瞼の裏に現れてささやくのです。
どうしてまだ生きているのか、と。
早く死んでしまえ、と。
気を抜くと、その幻聴に従ってしまいそうで、ただただたまらなく怖かった。
次第に、生きることを自分に許すことができなくなっていきました。
ならば、死ぬかといえばそれも選択できない。
今のご時世、死ぬ自由はどこにもありません。
死のうとすれば倫理という枷に縛られ囚われ、死にたいという思いは「正しくないもの」として否定されて、それでも実行すれば遺された人々には不快感だけを吹き付けることになる。
散々他人に迷惑をかけてきた僕には、そんなことなど許されないと思いました。
そうして、生きることも死ぬことも出来ずに、僕はまた人に迷惑をかけるのです。
結局、生まれた時点で人は呪われているのかもしれないと、思いました。
生まれてしまえばその死すらも自由に出来ない世の中に絶望して、それから、自分が生きることも死ぬことも選べないことを責任転嫁しようとする自分の心根に絶望しました。
やがて、僕は大学二年生になりました。
一つ年が巡ってもまだ、僕は足掻いていました。
たとえ全ての過去を投げ捨ててしまったとしても、今の自分を全て否定してしまったとしても、それでもまだ、若い自分には未来が残されていると自分を叱咤して、何とかして前を向こうともがいていました。
例えば、人と関わる機会を増やしてみたり。
例えば、心理学を学んでみたり。
例えば、他人の未来予想図を覗き見してみたり。
必死で、未来を探して、生きるための正当な理由を探して、そして自分を探して……僕は五里霧中の
しかし、それでも心の奥底には未来に何の希望も持てないまま、無為に時は流れていきました。
幻聴はますます僕を貶め、激しい倦怠感と胸の圧迫感を常に感じていました。
明治の文豪の言葉を借りるならば、それは「将来への唯ぼんやりとした不安」。
そして僕にはそれを解決する方法は見つけられなくて、ただ僕はますます深く濃くなる霧の中を、道標さえも手繰ることができずにいたのです。
さて。
秋の美しさは、きっとその刹那性にあるのだと思います。
パッと山や街が染め上がり、やがてすぐに冬が来てモノトーンになる。
その終わりの寸前の一瞬の盛り上がりが、人の心を打つのではないか、と僕は思っていました。
この年の冬は、稀に見る暖冬でした。
秋がずっと、蛇足的に続いているように感じる……そんな疎ましいほどにうららかな十二月のとある昼。
僕は祖母の家をぶらりと訪れました。
下宿するようになってから、距離的に近くなった祖母の家には、時たま顔を出すようにしていました。
それは気まぐれ。特に何か意図があるわけではなく、ただ祖母に会いに行こうかというだけのもので。
この時もその気まぐれに導かれて、僕は祖母の家を訪れたのです。
この頃、鬱々とした気分でいた僕が、未来を投げ捨てないでいた理由の大きな一つは、祖母でした。
息子夫婦も孫達もみんな遠くへ行ってしまって、祖母は広い家にただ一人で何年も生活していました。
愛する夫にも先立たれ、一人がらんとした家で過ごす彼女の寂しさを考えると、僕は胸が痛くなるのです。
さっき、祖母に会いに行くのに意図は無いと書きましたが、或いはその寂しさをカケラでも埋めてあげれば、という思いはあったかもしれません。
そして、そんな彼女に、今度は孫が先立つ悲しみを与えて良いものなのか…………。
絶望に身を炙られ、幻聴に手を引かれながらも、決して膝を折らなかった根底には、その問いかけがあったのです。
そんな祖母の家で、その日もいつものように祖母と団欒していました。
テレビのこと。季節のこと。旅のこと。
いろんな話をしているうちに、ふと、先祖の話になりました。
「そういえば、この庭は私のお父さん――あなたにとってのひいおじいちゃんが一人で作ったのですよ」
窓の外に見える田舎特有の立派な庭。
いつも眺めている、僕のお気に入りの窓景を指して、祖母はそう語り出しました。
それなりの良家だった僕の家の四男として生まれた曽祖父。
育ちは良いにもかかわらず、いろんな立場の人たちとつるむ、ざっくらばんとした人だったそうです。
そんな彼は、戦後混乱期にこの地域を悪徳地上げ屋から守り、仕事を失った仲間たちを窮乏から救うために、不良の道に身を落としました。
本当に色々なことをやったそうです。
時に人を助け、時に金を集め、時には抗争まで。
その後不良から足を洗い、洋食屋を立ち上げると、以降は堅実な生活を手にして、僕の生まれる五年前に大往生しました。
その葬式には善悪共々いろんな地域の有名人が訪れ、カオスだったのだとか。
そこまで話してから、祖母はアルバムを見せてくれました。
大昔から、数年前までにも渡る膨大な数の写真達。
何冊にも及ぶアルバムには、僕に繋がる遺伝子が脈々と写されていました。
曽祖父は、新しいものが好きだったそうです。
カメラもそのうちの一つだったのだとか。
まだカメラが物珍しかった時代に、子どものようにパシャパシャとしていたらしく、アルバムには白黒からカラーまで多岐にわたる写真と沢山の真顔変顔笑顔に埋め尽くされていました。
ペラペラとめくるうちに、みんなが少しずつ歳をとっていきました。
誰かがいなくなり、入れ替わるように新たに小さな子が入ってきて。
曽祖父が亡くなった後は、祖父や父たちが代わりにカメラを握りしめ。
そうして少しずつ世代が、時代が流れていきました。
やがて。
僕は僕を見つけました。
生後間もない僕。
顔をくしゃくしゃにしながらハイハイをする僕。
七五三できっちりと着飾った僕。
そして、小学校の入学式に臨む僕。
たった、六年。
六年のうちに、アルバム一冊が埋まるほどたくさんの瞬間が押さえられていました。
そしてそのどれもに、たくさんの笑顔が咲いていました。
僕の、無邪気な笑顔。
いくつもの、僕を見つめる、笑顔。
愛が。
愛が、全てを包み込んでいたのです。
それは、かつて確かにあった幸福の時間。
今は失われてしまった僕の理想郷でした。
だけど。
小学生にあがって以降、写真に写る人の数は急速減っていきました。
アルバムをめくりました。
祖母がいなくなりました。
祖母のいない写真に写る僕は、涙を流さなかったその目を細めて、ピースサインをしていました。
もう一度、アルバムをめくりました。
祖父がいなくなりました。
祖父のいなくなった写真で、僕は欠伸をした口を大きく開けて、カメラに向かって何かを言っているようでした。
もう一度めくり。
もうひとりの祖父が、いなくなりました。
その尊厳と誇りを踏みにじった僕は、その口の端を歪めて笑っていました。
喪失の度巧妙に、歪に心を染め顔を作るようになっていくその様に、胸の奥から吐き気と嫌悪感が湧き上がり、それを僕は奥歯で必死に噛み殺しました。
それまでとは違って、背景が主張を始めた写真達。
それを、やるせない思いと自分への怒りでぼんやりとしながら眺めているうちに、僕は不意に気がつきました。
ずっと感じていた胸の空虚感の正体が、今はもう遥か霞んだあの日々への回顧であり懐古なのだということに。
僕は、どう足掻いても過ぎ去るものを、過ぎ去らないようにと抱きしめようとしてきたのです。
全ての瞬間を……今だけの「今」を、いつまでも失いたく無い――そう思い、しかし絶対に叶わぬその思いに、僕はその思いの残滓としての思い出を抱きしめていた。
それがかつて、いつまでも手にしておきたかったリアルな「今」には到底及ばない、空虚な記憶でしかないと気づきながら。
ただ、それさえあれば良いと、もはやその時点では過去になっている「今」という瞬間を「今」として生きることに、自分のレゾンデートルを預けてきた。
そして、僕の人生の宝がその思い出であるとするならば、それを失った上でどうして生きていけるでしょうか。
代替の効かないその瞬間、その一瞬。
得るよりも早く失うのならば、僕はもう死ぬしかない。
それはまさに、美しい泉の水を取っておくことができないのと同じこと。その水を掬った掌に、その美しい情景が得られるということはありません。
そして、せめてその掌の美しい水だけでも残そうとしたところで、やがてそれは指の隙間から零れ落ち、或いは太陽の光に蒸発し、そして僅かに手の底に残った
だけど、一度美しい水を知ってしまえば、もはやその美しいものでしか生きることができなくなります。
わずかなばかりか、飲むことも出来ないような水しか手に残っていないのならば、もう生きていくことは出来ないのです。
そのことに気づいた僕は、それきり、アルバムを閉じて二度と開かないように誓いながら棚に戻しました。
その晩のこと。
その日の月は、満月でした。
街灯のあまりない地方都市の一角。
月明かりが、恐ろしいほどに闇をすっかり晴れさせて、暗闇に何かを隠すことのできないという、そんな日でした。
祖母が寝たのを確認し、僕は仏間に忍び込んで仏壇の前で手を合わせました。
ごめんなさい、ごめんなさい。
いくら繰り返したところで届きはしないと気がつきながら、僕はただ謝罪の言葉を繰り返しました。
仏間の灯りすら付けずに、何について謝っているのかすらも分からなくなるまで、ずっと。ずっと。ずっと。
ただ、ずっと。
僕は謝罪の言葉だけを垂れ流し続けました。
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