十二葉・結い

「そっか……わざわざ手紙をね……」


落ち着いた雰囲気の個室に、鈴のような声が響く。

静かで、けれども隠しきれない寂しさとやるせなさを内包した声。

その声に、僕は小さく頷き、手の中の梅酒に口をつけた。


純和風の内装に、落ち着く個室形式の鍋屋さん。

窓からはきらびやかな鯉の舞うひょうたん池を臨む。

それを眺めながら食べる軍鶏の鍋のほろけるような口当たりは格別で。

けれども、目の前の女の子--稲枝いなえ優衣ゆいの箸はあまり進まない。


「手紙を……手紙をねぇ……」


ぼんやりと薄い照明の下。

鈍く輝く手の中のカットグラスを眺めるその頬は、ほんのりと色付いていた。


* *


二日前。

金曜日の夕方に川辺の土手でぼんやりとしていた僕のもとへ、SNSを通じて連絡を入れてきたのが優衣だった。


『最近ツイートとかストーリーとか全然あげてへんけど、なんかあったん?』


柔らかな関西弁。

高校生の頃の友人の言葉は、何年経っても変わらずやわらかくて温かい、心の中に沁み入るもので。

その温もりに、僕は思わず縋り付いてしまった。

そんな、三週間ぶりの邂逅の席で。


「手紙って……そんなん……反則やん……」


親友からの手紙のことを話すと、優衣は目を伏せた。

手紙の内容などは伝えていない。

そうしたことは伏せて、ただ彼から手紙が届いていたという事実だけを僕は話した。


優衣は、彼が亡くなったと言うことを知らなかった。だから、彼女ははじめ、「彼から久しぶりに手紙がきた」という僕の言に色めき立っていた。

仕方がない。

僕だって、たまたま弟というツテがあったから彼の葬式に間に合っただけで、普通は学生時代の同級生の死というものを知るのは、時間を置いてからになるものなんだと思う。

でも、そうは言っても受ける衝撃が軽くなる訳でもないし、優衣のように一度は恋人として彼と付き合った者にすれば、絶句するのも当然のことだった。

一方で、彼女がこの件を知らないという可能性を考慮せずに自分の言いたいことだけを話した僕は、そんな自分のことをなんと浅はかで無遠慮なのかと責めることになってしまったが。


「そんなことなら、手紙よりも顔を見せてくれる方が良かったね」

「うん……会いたかった」

「うん……」


優衣は頷き、それからグラスを傾ける。


「私ね、最近は孝太くんの顔……もうぼんやりとしか思い出せへんくなってきたんよ」

「そうなの?」

「成人式でも会えへんかったし、同窓会でも遠目にちらりとだけしか見えへんかったからね」


お酒に口をつけて、優衣は「ほぅ」と吐息をひとつ。

彼女はお酒は好きだが、あまり強くはなかった。


「せやし……もう三年になるんかなぁ」

「そんなに会ってないの?」

「お互いに、なんとなーく気まずかってん。友達としてなら会いたい気持ちもあったんやけど、結局会えへんまま……」

「そっか……」

「そう言うカワちゃんは、私なんかよりは結構会う機会もあったんとちゃう? 成人式でも話してたんやろ?」

「まぁ……成人式では話した」

「せやんなぁ。昔っから仲良かったもんね……」


それなら余計に辛いやろね……。

そう呟く彼女の眼はどこか遠くを見ているようで。

僕は何も答えずにカシスオレンジを口に含んだ。


優衣と僕が出会ったのは高校に入ってすぐのこと。そのきっかけは部活動だった。

親友と同じ高校に進学した後、彼とはやりたい部活が離れてしまった。

知り合いの一人もいない、ひとりぼっちの体験会。

そんな心細さを感じている時に、声をかけてくれたのが優衣だった。

気があった彼女とは高校時代、親友に次ぐ大切な友達として関わり、そして今でもこうして頻繁に杯を交わしている。


「それにしてもまさか、一ヶ月も経たへんうちにこうしてまた呑むことになるなんてね」


冬休みの終わりに会った時には、次に会うのは就活も落ち着く夏頃だろうと話していたのに……。

小さく首を振る僕に、優衣の顔が少し陰りをみせた。


「嘘みたいやわ…………元カレが死ぬなんて、まさか思いもしなかった」


優衣と親友は、高校一年の夏ごろに付き合っていた。

キューピッドはこの僕。

優衣には親友の、そして親友には優衣の話をよくしていたから、もともとお互い気にはなっていたらしい。

それで、一度三人で遊んでみると、それからはあっという間だった。

それほど長い間付き合っていたわけではなかったらしい。ただ、それなりに女の子にモテながらも僕にはあまり浮ついた話を見せなかった親友が、唯一僕にその顛末を教えてくれた色恋の話でもあったからよく覚えている。

もっとも、中学時代の彼の恋愛すらも知らなかった僕だから、きっと他の話も僕が知らなかっただけなのかもしれないけれど。


「ちょっと……複雑ね」


そんな昔のことを思い出しているのか、彼女はお酒をぐいとあおる。

今日はいつもより少しお酒のペースが速い。

優衣が「ちょっと」という時は、大抵の場合「ちょっと」ではない。

今回も、きっとお酒で何かを流し込もうとしているのだろう。

かくいう僕も、それにつられて相当な量を飲んでいるのだけれど。

きっと一時間後にはまともな会話なんてできなくなるだろう。

だからその前に、本題に触れておきたかった。


「『彼のことを教えてほしい』…………? それ、私に言ってるん?」」


僕の言葉を反芻して、優衣はあきれたような顔をする。

その手の中のコップで、透明の氷だけがからんと澄んだ音を立てて姿勢を変えた。


「私よりもかわちゃんの方が長くて深い付き合いやったやん。なのにどうして私に?」


首を傾げながら問うた優衣に僕は首を振った。

たしかに僕は彼のことを近いところからずっと見ていた。

でも、近いからこそ見えないもの、そして、長く見ていたからこそ気づかない変化も間違いなくあった。

手紙を読むまで知ることのなかった、そういったもの達。それらの正体を、僕は知りたいと思った。


でも。


「そう……ね……」


けれど、投げかけた問いは宙に浮かんだまま。

優衣は小さく呟いたきり、暫しの長考にはいった。

彼女の答えを待って、僕も口を閉ざす。

二人の間にはしばらく沈黙が横たわった。

それは静けさとは程遠い、さざめきに満ちた沈黙。

まるで、優衣が何かを言いたがっているような……でも何を言えばいいのかわかっていないという……そんな沈黙だった。


「そうね……」


僕のグラスの中のカシスオレンジが空っぽのなるくらいの時間が過ぎて、やがて彼女はぽつりぽつりと言葉を落としはじめた。


「彼は、優しいけれど……苦しい人やった」

「優しくて……でも苦しい?」


思わずまじまじと彼女の顔を見つめると、優衣は「そうよ」と言ったきり話を切って、メニュー表に手を伸ばす。

彼女は日本酒を頼んだ。しかもロックで。

お酒には強くないくせに、と不安に思っていると、間も無くやってきたそれを彼女は一気にあおった。

案の定、真っ赤になった彼女に困惑の目を向けていると、彼女は小さな声で「呑まなきゃ言えへんのよ」と呟き、それから改まって僕の目をぐっと睨みつけてきた。


「高校のほんの一時期だけのイメージなんやけどね。はじめ、私は彼のことをとても優しい人やと思ってたの。いつも周りに気を配ってて、なんにでもよく気が付いて、困ったときにはいつも手を差し伸べてくれる…………優しさの、完璧なカタチやった」


彼女の言葉に、僕はただ頷く。

彼の人間性を語る上で、その優しさは外すことが出来ない。

彼は、誰にでも優しかった。そして、その場で最も最適なカタチでその優しさを困っている人に届けることが出来た。

その心根のまっすぐさ、そして周りをよく見ている目端の良さ。

それが彼の本質であり一番の長所であるとは、誰もが認めるところだった。


「でも、誰にでも優しかったの。誰にでも……」


頷きかけて、僕は「ん?」と首をかしげる。

僕の頭の中の褒め言葉を、しかし優衣は全く違うニュアンスで口にしたから。


「それって……だめ?」

「ダメっていうか…………なんていうか、異質に感じたの」


空になったグラスに残る氷。

四角い形を保ったままのそれらをじっと眺めて、優衣は呟く。


「はじめ、私は彼のそんなところが好きやった。誰にでも向けられたその優しさに、なんて素敵な人なんやろうって。でもその優しさは彼女やろうと、友達であろうと、赤の他人であろうと、関係なかった。誰にでも公平に優しいの。それはなんていうか……違うなって思った。うまく言葉にできないんやけど」

「特別視してくれないことが嫌だった、とか?」

「はじめはそれが不満なのかなって自分でも思ってたよ。もっと私だけを見てほしい、なんて思ってんのかなって。私って思ったよりも重い女なんやなぁって思ったりもした。でも、そうじゃないの。きっと彼の優しさは、人に向いてなかった。それは他人を守るものというよりもまるで自分を守るための…………鎧としての優しさ」

「鎧…………」

「優しくしてくれるの。私が怒って欲しい時にも、彼は優しかった。一緒に悲しんで欲しい時も、ただ優しくて……。それは優しさというよりは……なんと言うか……『おもねり』のようなものやった」

「……」

「彼は優しかった。でも、その優しさは相手を見ていない優しさ。私が何も言えなくなってしまうような、疎外にも似た優しさで。そしてそれは、私にとっては孤独に感じて仕方なかった」

「そんな……」

「……きっと彼は、余裕がなかったんやろなぁって思う。今なら、ぼんやりと分かるねん。余裕がなくて、苦しくて、それを隠すために他人に優しくして。他人にはもちろん、自分自身からも隠したかったんやろなぁって思う。孝太くんは私に優しくする時に私を見てへんかったんよ。あの優しいまなざしに浮かんでいるのは、彼自身の姿だけやった。だから私は、別れようって言ったの。あの頃の私には、そんな彼を受け入れることができなかったから」


死人に口なしで悪口を言ってるみたいやねと、優衣は空のグラスを指で弾いた。

鈴のような音が、鈍く心に絡みついた。


「はっきり言って、彼は恋人としては酷い人間やったよ」


その言葉に、すぅと顔が冷えるような気がした。

その感情が怒りか、或いは嫉妬であると気づくことのできるくらい、自分が大人になっていることを恨めしく思った。

子どものままだったら、今すぐに耳をふさぎ、声を大にして叫んでいただろう。

僕の方が彼と長く一緒にいたのに、と。僕は彼のことなら何でも知っている、だからあなたの言うことは違うはずだ、と。

そうできたら、どれだけ楽になるだろうか。


「かわちゃんの求めていた、『知らない親友の話』やった?」

「……」


何も言えなかった。

だって、とっくに気が付いていたから。

僕は、僕をごまかしていたということに。親友の知らない一面を知りたかったのではなかったことに。

手紙を少しずつ読み進め、そして彼の人生を追体験していくうちに、僕は長い時間をかけて僕の心の中に住み着いたはずの「僕の知る親友」の姿がどんどんと綻んでいくのを感じていた。

本物の彼は鬼籍に入り、僕の持つ親友の人物像も曖昧となり、ただ見知らぬ人物としての彼だけが大きくなっていくことに戸惑いと恐怖を感じていたのかもしれない。

もし、僕の見てきた彼がすべて偽りの姿で、本当のカタチはどこか別のところに隠されていたなどと言われたら、僕はもう何も信じられなくなるだろう。

そう思って、僕は彼女に縋りついたのだ。

僕の知らない彼など存在しないのだという確認をするために。

「大丈夫、かわちゃんの知っている彼の姿は間違いじゃないよ」と、慰めてもらうために。

ただ僕は、彼のことを一番知っている人間でありたかった。


自分の心の底にあった想い。

一度それを認めてしまうと、胸の底に抑え込んでいた全てが溢れてくるように感じた。


「この間からずっと…………手紙を読んでるんだ」

「さっき言うてた、孝太くんからの手紙?」

「そう……」


小さく息を吐いて、言葉を絞り出す。


「その中身は、遺書だった」

「……」

「驚かないの?」


優衣は、なぜか少しだけ納得したような表情を浮かべていた。


「なんとなく……そうちゃうかなって思ってたから」

「そうなんだ……」


やっぱりよく見ている。

そんな場違いな感心をしながら、僕はつぶやきを続ける。


「彼はね、その遺書に自分の生い立ちを書いてたんだ」

「生い立ち?」

「そう。自分が生まれた時から小学校での出来事、中学校の出来事って、時系列に沿って順番に、丁寧に」

「思いの丈とかは書いてへんかったん?」

「まだ最後まで読めてないから分からないけど……」


そう言いかけて、はたと立ち止まる。

違う、僕は言葉を間違えている。


「途中で……途中で読むのをやめちゃったんだ」

「……やっぱり、辛かった?」


その問いかけに、僕は唇を噛む。


「……辛かった。辛かったんだけど……それは僕の独りよがりな辛さなんだ」


僕はそこで言葉を切る。

覚悟が必要だった。


「僕の知らない彼が出てくるのが悲しかった。気づいてあげられなかったことを今更知るのが悲しかった。何もしてあげられなかったことが、悲しかった」

「かわちゃん……」

「隣にいたのに……僕は何も出来なかった。隣にいたのに、何もしてあげられなかった。隣にいたのに……ずっといたのに…………」


溢れる。

後悔が、溢れる。


「そんな後悔に……今更どうにも出来なくなってから気がつくことが辛くて……遺書あんなものに想いを託すことでしか彼が慰められなかったことに申し訳が立たなくて……」

「……」

「だから、読むのを途中でやめたんだ。もうこれ以上、しんどい思いをしたくなかったから……」

「そっか……」

「……」

「……ねぇ、かわちゃん?」

「ん?」


優しい声が耳を包む。

その声に、僕はいつのまにか伏せていた目線を上げた。


「どうして孝太くんは、かわちゃんに手紙を書いたの?」

「どうしてって……」


--僕を、君にだけは知って欲しい。


「僕にだけは……知って欲しいって……そう手紙には書いてた」

「『君にだけは』、なんやね……」


一種、寂しそうな顔をしてから、彼女は呟いた。


「孝太くんは周りに気づかれたくなかったんかもね」

「え?」

「大切な人にほど言えないことってあるでしょ? 自分の闇、自分の苦しみ、自分の痛み……大切だから、それを知られたくないっていうこと、誰にでもあると思うの」


それは、期せずして手紙に出てきた「結美さん」と同じ言葉だった。


「……人は誰しも、全てを人前にさらけ出すことなんて出来ない。私も、私の全てを誰かにさらけ出すことなんてしたくもないし、そもそもそのために自分のこれまでを全部逐一振り返るのも面倒くさいし」

「……」

「でもね、そのめんどくさいことを、彼はしてくれたんやろ? これまでは一生懸命に隠してきて、それでもやっぱりあなただけには伝えたいと……伝えなきゃって思ったんやない?」

「でも……でも!」


違う。

そんなことはわかっている。

わかっているけど、違うんだ。


「僕は……生きている間に知りたかった。彼の苦しみから守られるんじゃなくて、一緒に背負いたかった」


それは、多分彼の死に接してからはじめての、心の内を誰かに晒した瞬間だった。

手遅れになる前に知りたかった。彼の力になってあげたかった。

そんな想いを一度晒してしまえば、それはもう止まらなくなってしまった。


「たった一言でいい。辛いんだって。頼って欲しかった……。それじゃあ、ダメだったのかなぁ……? 死ぬ間際の手紙じゃないとダメだったのかなぁ……? 結局教えてくれるのなら、どうして取り返しの付かなくなる前に教えてくれなかったのかなぁ……?」


優衣に嘆いたところでどうにもならないことくらい、分かっている。

でも、分かっていててもその想いは溢れて止まらなくなった。


「……私には……分からない」


長い時間が過ぎてから、ポツリと優衣は呟いた。


「でもね、これだけははっきり言える。二人とも、間違ってはなかったって」

「……」

「しかたない、とは言いたくない。でも、二人とも間違ってへんくても、すれ違うことはままあることで。そして、そうなってもうたら……ううん、そうなっても、それでも遺された私たちはできることをやるしかないの」

「できる……ことを……」

「うん。そして、想いを託されたかわちゃんにしか出来ないことがあるんとちゃう?」

「それは……?」

「孝太くんの想いを、受け止めること。孝太くんの後悔を、今からでも掬い上げて許してあげること。それはかわちゃんの義務であり、孝太くんの最後のわがままなんじゃないかな」


酷なことを言ってるのは分かるけどね、と優衣はお酒に口をつけた。

それに僕は、静かに首を振った。


それから、僕たちはただお酒を飲み続けた。

呑んで呑んで、お店を変えてはまた呑んで。

酔いがまわるにつれて、少しずつ僕らはろれつが回らなくなって。

それでもただひとつ、優衣のくれた新たな命題だけはいつまでも蕩けずに、胸のポッカリと欠けていたところにカチリとハマって僕を支えてくれていた。


「--そういえばさ、気になってたんだけど」

「ん?」


ふと思いついたことがあって、僕は優衣に問いかける。

すっかり出来上がっている彼女は、とろんとした目で首を傾げた。


「恋人としては酷かったって言ってたけど、そんなに酷かったの?」

「あーー、せやねぇ……」


水でも飲むかのようにお酒を傾けながら、彼女は笑う。


「私の生まれて初めての彼氏は、孝太くんやってん。初めての彼氏で、ほんできっと一番恋愛下手な彼氏やったと思う」

「恋愛下手?」

「甘い言葉も無かったし、高校生なのに危ない冒険心みたいな、えっちな感じも見えへんかってんで」


彼女は笑って、またグラスを傾ける。

もうすでにお酒の枯れた、空っぽのグラスを。


「彼と別れてから、何人かと付き合った経験をもって言わせてもらうと、孝太くんは一番恋愛下手やった」

「そっか」

「いやーーううん、下手というより……向いていなかった。悲しいほどに、恋愛に向かない人やったんやろなぁ。今なら、何となくわかる」

「そうなの?」

「彼は、きっと男女の隔てなく接することのできる人やったの。男の子だろうが女の子だろうが、誰とでも仲良くなれる。でも、誰とでも仲良くなれるからこそ、彼は誰も愛することが出来ひんかったんとちゃうかな」

「……」

「孝太くんは、一度友達になった人のことを友達としてしか見れなかった。それ以外としてみることを、自分に許せなかった。私に手を出さなかったのも、多分そう。獣の部分よりも、理性の部分が極端に強かったんやろと思う。--言うなら、『理性の暴走体』みたいな人やったんかも」


最後の一言だけは茶目っ気を伴いながら、優衣はそう分析した。


「私のことも、彼は大切に想ってくれてたと思う。でも、それが恋愛感情やったんかって言われると、多分ノーなんよ」

「そうなんだね」

「そう。せやから、彼氏としては下の下。その上で言えるのがね、かわちゃん」

「ん?」

「私は--あなたが羨ましかった」

「え?」

「彼氏としては不出来やったけど、友人としてはすごく魅力的な人だった。たとえ彼がそれを否定しようとも、私から見れば彼は私の知る最も素敵な人間のうちの一人やった。だからね、親友としてずっと孝太くんに関われたかわちゃんのことが、私はずっと……羨ましかったんだ」


そういうと、彼女はお冷やを注文した。

氷水を一気飲みすると、彼女は席を立つ。


「そろそろ、帰ろっか」

「うん」


店を出ると、あたりはすっかり真っ暗だった。

ほとんどのお店が暖簾を下ろし、瞬くのはコンビニの看板と街灯ばかり。

その下を二人で歩いていく。

何も言わずに、ただ沈黙だけを引き連れて。

しばらくして、別れ道にやってくる。


「今日はありがとう。じゃあ、また……」

「あのさ」


挨拶だけして背を向けようとすると、優衣が僕の袖を引いて呼び止めた。


「ん?」

「あのさ……その……」


街灯は遠く、その表情は陰になってよく見えない。

何も言わずに次の言葉を待っていると、僕の袖はより強く締められた。


「お葬式って……もう、終わってるねんな……?」


聞き取り難いほどの声量で、彼女はそう問うた。

それに僕はただ静かに頷く。

優衣は「そっか」と呟いて、それから空を見上げた。

釣られて僕も仰ぎ見ると、そこには真ん丸大きな満月がひとつ。

その華厳の輝きを目に映しながら、優衣はもう一度だけ「そっか……」と呟いた。



優衣と別れて、一人きりの部屋にたどり着く。

シャワーを浴びて、服を着て、それから僕は長いこと見ていなかった名前をスマホの画面に表示させてみる。


小野孝太。


僕は彼のことを、何も見ていなかった。

これまでも、そして今なお。


「遺された僕たちは、出来ることをやるしかない……」


優衣の言葉を口にしてみる。


「できることを……出来ることだけでも……」


何度も、何度も、何度も。

その言葉を自分に言い聞かせるように繰り返して、それから僕は押し入れを開けた。

何から何まで全てを引っ張り出して、二度と見るまいと思っていた箱を引っ張り出す。

鍵を開けて、封筒を封切る。


「僕にしか、出来ないこと」


それは、僕の出来ること。

僕だけに許された、彼岸の君との別れ方。


「よし」


覚悟なんて大層なものでもない。

心の中には迷いが渦巻いている。

だけど、それでも僕はもう一度だけ、親友とのお別れをするために手紙の中へと潜っていった。

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