第68話『ライブが終わり…』


 初めてのライブが終わり、ステージの裏へと足を運んだ瞬間、全身が一気に解放されるような……、そんな感覚が押し寄せた。

 張り詰めていた緊張と高揚感が一気に解け、身体中の力が抜けていく――そんな感覚に満ちていた。


 一歩一歩、足元が重く感じるけれど、それでも、体の中には達成感と高揚感が混ざり合って言葉にできないほどの満足感が広がっている。

 

「みんなお疲れ!」


 ユリが全員の顔を見渡しながら声をかけてきた。

 彼女の笑顔にはこれまでの練習や苦労すべて報われた喜びが詰まっていて、いつにも増して喜びに溢れている。


「文句なしの……最っ高の出来だったよ!」


 ユリは弾けるように叫ぶと同時に、勢いよく俺たち三人を抱きしめた。彼女の喜びがそのまま伝わってきて、俺は自然と笑みがこぼれた。


 カナとアキも、ステージ上での緊張が解けたことで疲れを隠せない様子だが、それでも笑顔を浮かべている。

 

 カナは『……やりきったね』と、静かにため息をつきながらも、口元には小さな笑みが浮かんでいた。

 一方のアキは、言葉を発することなくただ微笑みを浮かべている。表情は落ち着いていたが、その目には確かな達成感と静かな喜びが宿っていた。


「……まだ聴こえるねお客さんの歓声が」


 カナが呟くように言うと、それに続くようにステージ上の暗幕越しから『アフタヌーンパーティ最高!』『ありがとう!』といった称賛の声が耳に届いた。


「これって……夢じゃないんだよね?」

 

 彼女はぽつりとそう言い、笑顔を浮かべた。

 この瞬間が本当に現実で、俺たちが今、目の前の人たちに何かを伝えられたということが信じられないくらいの喜びだった。


「こんなにライブが楽しかったの……はじめて」


 アキがか細い声で続ける。彼女の声は震えていて、感情が抑えきれないように溢れ出している。

 その目には、涙がじわりと滲んでいて、アキがこんなにも表情に感情を表すのを見たのは、初めてのことだった。


「アキ、泣かないでっ、アタシまで泣きそうになるじゃん!」


 ユリがアキの肩に手をかけ冗談交じりに言っているが、既に彼女自身もその目には涙が浮かんでいた。


 アキは顔を伏せて、小さくすすり泣く。その涙が頬を伝う様子を見て、ユリも我慢できずにぽろぽろと涙をこぼし始めた。

 

「もう、こんなに泣くつもりじゃなかったのに……!」

 

 ユリが涙声で笑いながら言うと、二人の姿を見ていたカナも最初は微笑みを浮かべていたが、やがて瞳が潤んできた。

 涙をこらえようと小さく息をつきながらもやはり堪えきれず、ふと目頭を押さえる。

 

「私もダメだ……本当に嬉しすぎて……っ」

 

 そうしてカナも静かに涙を流した。


 俺も三人の姿を見ているうちに、こらえていた感情が胸の奥から込み上げてきた。

 涙が溢れるのを感じるが、その気持ちに抵抗することなくただ目を閉じてそのまま流れるままに任せた。

 

 俺たち四人はしばらくそのまま静かに感動を共有していた。

 涙を拭くでもなく、ただ互いに存在を感じながら立ち尽くしていた――。


 すると、ふいにその静けさを破る声が背後から響いた。

 

「すごかったよ軽音部!」


 その声に俺たちは抱擁を解いて声のした方向へ向ける。


 そこには一人の女子生徒が立っていた。


「あ、吹奏楽部部長の高橋さん……」


 ぼそっとカナが呟く。

 今話しかけた彼女は城神高校吹奏楽部を率いる部長らしい。


「さっきの演奏、滅茶苦茶痺れたよ! 他の部員たちもみんなノリノリだった!」

 

 高橋さんは後ろを振り返り、吹奏楽部のメンバーたちに笑いかけた。

 彼女たちも拍手をしながら『最高だった!』『お疲れさま!』と口々に声をかけてくる。

 その声は軽音部のメンバーに向けられているだけではなく、まるで一緒にライブを楽しんでいた仲間としての一体感を表しているかのようだった。


「正直、軽音部のライブは予想以上だったよ。私たち吹奏楽部も負けてられないなって思っちゃったくらい」

 

 高橋さんは、興奮を隠しきれない様子で話を続ける。

 彼女のその言葉が、俺たちの心をさらに温めてくれた。観客の一部であると同時に、同じ音楽を愛する仲間としての賛辞。俺たちはその言葉をありがたく受け取り、思わず頭を下げた。


「……ありがとうございます。アタシたちも最高のパフォーマンスを見せられて良かった」

 

 ユリが照れくさそうに言いながら、髪を掻き上げる。カナとアキも、少し照れながら笑みを浮かべていた。


「それで……」


 ちらっ、と高橋さんが流し目を送る。

 その視線の先は――俺だ。


「王子様……私たち吹奏楽部にも来てみない? ほら、管楽器とギターって曲によっては相性抜群だし、うちらって元々の人気が凄いから王子様がもっと輝けると思うよ!」


 その提案が終わるや否や、三人はまるで息を合わせたかのように、俺の前に立ちはだかった。

 彼女たちの表情は真剣そのもので、少しでも俺を吹奏楽部に取られることを拒絶する強い意思が感じられる。


「い、いくら吹奏楽部の部長でもダメです!」

「えぇ~?」


 ユリは手を前に突き出しながら高橋さんに向かって毅然とした口調で言った。

 高橋さんは納得いかないような苦笑いを浮かべた。しかし、それを受けてすぐに、アキが冷静に続ける。


「ケイは私たちの仲間、ダメ、ゼッタイ」


 アキもまた落ち着いたトーンながら……その言葉には強い意志が込められている。


 そして――。

 カナが一歩前に出る。彼女は俺の右腕をそっと握り、下から見上げるようにして言った。


「……ケイが行きたいって言うなら仕方ないけど、でもケイは――私たちには欠かせない人だから行ってほしくないっ」


 カナの瞳には不安と決意が混ざり合い、彼女の心の中にある素直な気持ちがそのまま表情に現れていた。

 まるで縋るようなその視線に、胸が締め付けられるような感覚を覚える。

 

 ――ただ、俺の返事は最初から決まっている。

 彼女たちの前へ立ち、高橋さんの目を見据える。


「お誘いは嬉しいんですけど、俺は軽音楽がやりたくてここへ入りました。それに……今日のライブで実感したんです――軽音部に入ってよかった、彼女たちと出会えてよかったって……。この先も彼女たちとずっと一緒にやっていきたいんで……ごめんなさい」


 そう言って頭を下げる。


 高橋さんは残念そうな表情をするが、なんとなくわかっていたような雰囲気も出しており『やっぱりそうだよねぇ』と苦笑した。


「あはは……、盛り上がってる所に水差しちゃってごめんね、でもさっきのライブで王子様には改めてメロメロにされちゃったから本当に一緒にやりたいって思ったんだっ」


 申し訳なさそうに高橋さんは手を合わせた。

 求められていること自体に悪い気はしないので『気にしないでください、お誘い嬉しかったですよ』とだけ伝える。

 

 吹奏楽部員たちが次のステージの準備のために去っていくのを見送りながら、俺は背中に感じる三人の視線に気付いた。

 振り返ると、ユリ、カナ、アキの三人がじっとこちらを見つめている。言葉はなくとも、その瞳の中にあるものがはっきりと伝わってきた。

 

「みんな、ありがとう」


 俺は照れくささを隠しきれず、軽く頭を掻きながらそう呟いた。


「だって、ケイがいなくなったら私たち、どうすればいいか分かんないじゃん!」


 ユリが少しふてくされたように、けれども笑顔で言った。

 その表情はいつものユリらしい元気で明るいもの。その中にも確かに俺に対する信頼が込められている。


「うん、ケイがいないと、私たちの音楽が変わっちゃうから……絶対に渡せない」


 アキも静かに続けた。クールな彼女が感情をストレートに表してくれる、その言葉の重みが胸に響いた。


「……ほんとに、軽音部に入ってよかったって思ってるよ。みんなと出会えて」

 

 俺は彼女たちの顔を見渡しながら、改めてその言葉を噛みしめた。

 今日はそのことを実感する日だった。軽音部のメンバーとライブをやり遂げたあの時間が、俺にとってかけがえのないものだと、何よりも大事だと気づかされた。


 カナが微笑みながら、俺の手を強く握る。

 

「これからもずっと、私たちと一緒にいてね。今日のライブは本当に最高だったけど、まだまだこれからも……もっとケイと一緒に素敵な音楽を作っていくんだから」

 

 彼女の言葉は静かでありながらも、未来への強い決意が込められていた。

 その言葉に俺は力強く頷き、これからもずっとこの仲間と一緒に音楽を作り続けていくんだ――その未来を胸に俺は再び前を向いたのだった。


 




 

 吹奏楽部たちとのやりとりを終え、会場の外に出るとそこには――黒崎さんの姿が、俺たちを待っているかのようにそこに立っていた。

 

 ライブ前のやり取りを思い出す。


 ――『アフタヌーンパーティ』をL7プロダクションに迎えたいって思わせてやりますよ!


 俺は確かに豪語した。

 ライブは大成功と言って過言ではない。

 でも、芸能界に携わる、芸能事務所の社長の眼にはどう映ったのだろう。


 所詮は文化祭の盛り上がり、学生バンドの一時のお祭り騒ぎ――その程度と思われたのならこの話はきっと無しになってしまう。


 ライブ成功の高揚感が消え去り、俺たち四人に緊張が走る――。


「……黒崎さん」


 俺が声をかけると、彼は一瞬顔をほころばせたが、すぐに真剣な表情へ戻した。

 

 黒崎さんは腕を組んだまま俺たちに歩み寄り、ひとりひとりの顔を見渡した。

 彼女たち三人も、その鋭い視線に少し緊張しているのが伝わってきた。

 まるで試験の結果を待つ生徒のように、その場の空気は張り詰めている。


「ライブ、大成功だったね。期待以上のパフォーマンスを見せてもらったよ」


 その言葉に心臓が一気に高鳴る。まるで周囲の音が消えたように、黒崎さんの言葉に集中していた。


 そして俺と同じように三人とも息を飲んでいる様子が伝わる。

 ここで黒崎さんがどう判断するかが、俺たちの未来を大きく変える。



「……見事、本当に見事だったよ。特に恵斗くん、君の能力……想像以上だった。君のギターと歌声は観客を完全に引き込んでいた……君ならもっと大きなステージに立てるだろう」

「――ありがとうございます」


 黒崎さんは顔を綻ばせ称賛する言葉を贈った。

 彼の最大の賛辞に対し、感謝の言葉を口にする。


「だが、それだけじゃない」


 一度言葉を区切り、横にいる彼女たちへと顔を向ける。


「日笠さん、君のパフォーマンスも見事だった。君の歌声が、会場を熱狂の渦に巻き込んでいたよ。それに最後の曲……あれは君が作った曲なんだってね、作曲能力もあるとは……素晴らしい」

「あ、ありがとうございます」


 カナは照れたように返事を返す。

 だが黒崎さんの言葉は止まらない。


「ギタリストとしても素晴らしい。恵斗くんを引き立てる演奏で、バンド全体の一体感を強めていたよ。どんな役割でも自分を活かすことができる、それは大きな強みだ」

「あ、えと……その」


 思わぬ称賛の嵐に完全に俯いてしまった。その表情からは嬉しさと戸惑いが相反しているといった状態だった。


 そして黒崎さんはさらにユリとアキにも視線を移し、続けた。


「北大路さん、君のドラムとしての存在はアフタヌーンパーティの土台となっていた。君がリーダーで三人を支えることであの演奏が成り立つのだろう。そして藤崎さん、君のベースもバンド全体を支える役割をしっかり果たしていた」


 黒崎さんからひとつひとつの言葉が発せられるたび、俺たちの肩の力が徐々に抜けていく。

 緊張していたユリの顔にも少し安心感が戻り、アキもほっと息を吐いてチョコを口に入れた。


「全員が自分の役割を理解し、最高のパフォーマンスを見せてくれた。アフタヌーンパーティはこの中の誰一人欠けてしまっては成り立たない。君たち四人だからこそ……今日のようなライブを作り上げるのだろう」

「そ、それって……っ」


 気が逸り言葉を漏らす。

 でもそれは俺だけでなく三人も同じような様子だった。

 

「――君たち全員を『アフタヌーンパーティ』をL7プロダクションにスカウトしたい。君たちの音楽をもっと多くの人に届けてほしい」


 ――スカウトしたい。

 その言葉が響いた瞬間、時間が一瞬止まったように感じた。

 全身の緊張がふっと解けて、ようやく実感が湧いてくる。


 俺たちは全員一緒にこのチャンスを掴んだ。全員の力が認められたという確かな証拠だった。


 隣にいるカナをちらっと見ると、彼女は驚きと喜びが入り混じった表情を浮かべていた。

 そして、ゆっくりと瞳から涙が零れていく。


 「……本当に、私たちが……」


 彼女は声を出そうとするが、感情が一気にこみ上げてきて言葉にならない。

 目指していた夢が、今まさに手の届くところに来たことが、彼女の心を深く揺さぶっていたのだ。


「夢だった……ようやくスタートラインに立てた」


 小さな声でそう呟きながら彼女は泣き笑いのような表情を浮かべ、涙を拭い続けていた。

 カナがどれほどこの瞬間に賭けていたのかを改めて実感し、胸が熱くなる。


「ふふ、デビュー……もぐもぐ」

 

 カナの隣では、アキが冷静に感想を漏らしお菓子を口に運んでいた。

 普段のようにクールな顔をしていたけど、目には確かな感情が見えた。

 今もお菓子を口に運ぶその手が震えている。

 

 だが、その静かな雰囲気は一気に打ち破られた。


「やったーっ!!」

 

 叫び声と共に、ユリが俺たち全員に向かって飛び込んできた。今日二度目の熱い抱擁だ。

 ユリの喜びは完全に爆発し、ステージ裏の時とは比にならない勢いだった。

 

 彼女の両腕が一気に俺たちを巻き込み、力強く抱きしめた。カナとアキも、その衝撃に驚きつつも、すぐに笑いながらユリに応える。


「ちょ、ユリ、痛いって」

「いいじゃんっ、こんなに嬉しいんだから!」

「……そうだよね」


 カナが涙を拭きながら笑顔を見せ、アキも無言で軽く頷く。

 なんだかんだ俺も、ユリの勢いに押されながらも、思わず笑みがこぼれた。


「期待しているよ。これからが君たちのスタートだ」


 黒崎さんは軽く手を挙げて去ろうとしたが、ふと足を止め、振り返った。

 その目には鋭さと期待が混ざり合い、俺たち全員を見据えている。


 「――だが、ここからが本番だ」

 

 その言葉が静かに響く。抱き合っていた俺たちの中に新たな緊張感が生まれる。


「君たちはこれから、もっと大きなステージへ立つことになる。今日の成功はまだ序章に過ぎない。これからさらに多くの人々に君たちの音楽を届けるんだ」


 その視線は鋭く、一人ひとりに深く突き刺さるようだった。


「その覚悟が……あるか?」


 答えは決まっている……当然、やってやると。


 全員の気持ちがひとつになっていた。


「……いいだろう。L7プロダクションは君たちを全力で支援する」


 黒崎さんは俺たちを見渡し満足そうに微笑み頷くと、今度こそ去っていった。

 

 

 ――これで終わりじゃない。

 俺たちはまだスタートラインに立ったばかり。


 そしてこれからの――始まりの一歩をたしかに踏み出したのだった。

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