第57話『挑戦』


 軽音部、今日は文化祭に向けての練習だ。


 いつもはバンド名の『アフタヌーンパーティ』という名前通りお菓子パーティが始まってしまうのだが。

 練習になると彼女らの集中、熱意は凄まじいもの。


「ケイ、そこもう少しテンポ合わせて!」

「は、はい」


 リズムがずれているのが自分でもわかる。

 いつもなら自然と体が音に合わせて動くのに……今日は何かが引っかかっていて、指先が思うように動かない。

 

 原因はわかっている。

 昨日のバイト先でのスカウトの件だ。


 気づけば、またコードをミスしていた。


「すみません……」


 口から出たのは謝罪の言葉、集中しようと思うけど、どうしても気が散ってしまう。


「ケイ、大丈夫?」


 カナ先輩がちらりとこちらを見てくる。

 彼女の表情はいつもと変わらず優しいけど、今日はその視線がやけに重く感じる。


 大丈夫です、そう答えながらも、心の中では焦りが広がっていた。


 ユリ先輩がスティックをスネアに置いて、軽く息をついた。


「ちょっと休憩しよっか、ケイも集中できてないみたいだし」


 彼女の声には優しさと共に、少しの心配が混ざっている。


「すみません、なんかその、色々と考えて頭がぼーっとしていて」


 そう言いながら、スカウトのことがどうしても頭を離れない。

 前の世界ではありえない夢のような話だけど、本当に自分にそんな可能性があるのか。

 まずは文化祭の成功を考えなきゃいけないのに、心がどっちつかずで宙に浮いている感じだ。


「ケイ、いったいどうしたの?」


 ベースをスタンドに置いたアキ先輩が尋ねる。

 その手には既にクッキーが握られていて、自分の言葉を終えるとすぐさま食べ始める。

 いつもの姿にちょっとだけ心が安心する。


「いや、実は……」





 

「ふーん、ケイがスカウトかぁ」

「すごいね……」

「ぽりぽり」


 三人にスカウトのことを話す。

 彼女らの反応はそれぞれだ、アキ先輩はいつものようにポテチを食いまくっている。


 カナ先輩がギターを膝に置き、俺をじっと見つめる。


「それって、どんな感じのスカウトだったの?」

「えっと、バイト中に名刺をもらったんです。今日は挨拶だけって感じで、本格的に進めるわけではないけど前向きに検討してもらいたいって……」

「へえ、すごいじゃん!」


 ユリ先輩が目を輝かせた。カナ先輩も『そうだねぇ、羨ましいくらい』にと、アキ先輩は今度はクッキーを頬張っている。

 

「そんなに不安にならなくてもいい、スカウトされるなんてそもそもが凄いことだから自信もって」


 頬張っていたお菓子を飲み込み、そう言った。

 俺の胸の内では前向きな言葉を言ってもらえた感謝の気持ちが胸に広がる。

 

「ただ、なんか浮足立っちゃって、今も演奏に集中できてないし、文化祭も近いし……。みんなに迷惑かけているし、どうしようって思っちゃって」


 俺は思わず視線を落とした。

 俺都合の問題で彼女たちに迷惑をかけるのは何よりも避けなければいけないのに、どうしても集中できなかった。


「うーん……まぁ、そりゃあ不安にもなるよね。ケイは男の子だし、今の芸能界に男性はほとんどいないから」


 カナ先輩がギターの弦を撫でながら話す、それを聞いた二人も同感といった感じで頷く。

 

「ケイの胆力なら問題ないと思うけど」

「そうですか?」

「ん、学校でもバイト先でも女の子に囲まれて一切動じない所を見てると、きっと芸能界でもやっていけるような気がする」


 アキ先輩の言葉にカナ先輩も頷いて同意する。

 彼女の言葉に少しだけ前向きな気持ちになって来た。


 一方で……。


「ふふん、ケイが文化祭で活躍すれば……もしかするとこのバンド自体がスカウトされるかもしれないじゃん? そしたら、みんなでデビューも夢じゃないかも!」


 ニヤリとした表情でユリ先輩が話すが、アキ先輩は呆れたように溜息を吐いて。

 

「そんなうまくいくわけないでしょ、現実はそんなに甘くないって」

「いや、夢見るのは自由じゃん、ていうかアタシらもデビューしーたーいー!」

「ウケる」


 溜息をさらに吐くカナ先輩、床に転がって駄々をこねるユリ先輩、お菓子を頬張るアキ先輩。

 いつもの光景に笑みが零れる。

 

 でもそうだな……もしこの三人が一緒だったら上手くやっていけるかも。


「三人も芸能界に興味あるんですか?」

「どっちかっていうと」

「カナが目指していて、アタシらはそれに便乗!――って感じ」


 二人の言葉にカナ先輩の方へ目を向けると彼女は苦笑しながら口を開く。


「私は将来プロのミュージシャンになりたいって思ってるんだ」

「プロ、ですか……?」


 思わず聞き返す。


「うん、いつか自分の曲をたくさんの人に聴いてもらいたいんだ。ライブやフェスに出て、みんなに音楽で感動を与えるのが夢なんだよね」


 カナ先輩の目は真剣で、その姿に俺は圧倒されるような感覚を覚えた。


「カナがそう言うなら、アタシも一緒に行くって決めてるんだ、プロっていうのは面白そうだし、カナと一緒なら楽しそうでしょ?」

「カナの夢を聞いた時に、一緒に夢を追いかけたいと思った、もちろん楽しそうなのも同じ。だからわたしもついて行く」


 二人とも、それぞれの形でカナ先輩の夢に賛同している。それを聞いて、俺は羨ましいなと思った。


 前の世界……社会人だった俺は夢もなくただ毎日を過ごしていただけだった。

 代り映えのしない毎日。

 別にブラック会社に勤めてたわけでもなく普通、休日も運動や料理、ギターを触ったりして充実していた――していたはずだった。


 過去の俺はあの生活に満足していたのか?

 夢を持って大人となったのか?


 答えは――否。

 

 だからこそ、この世界へと来るきっかけになった――モテたい。

 この感情が胸の奥底に眠っていたからこそ俺は転生を果たした。


 バンド活動をしていた学生時代、もしかしたらプロになって……と考えたこともある。

 結局モテなかったから挑戦すらしなかったけれど。


 これは……チャンスなんだ。

 あの時、転生前の時と同じように変わるチャンスだ。


 だからこそ――。


「その夢……俺も一緒に追いかけたい、先輩たちの夢を一緒に叶えたい」


 三人が驚いたように俺の方を見つめた。特にカナ先輩は、一瞬驚いた顔をしてからすぐに優しい微笑みを浮かべた。

 

「ケイ、そう思ってくれたんだね。嬉しいよ」


 カナ先輩は、いつもより少し照れたような表情を見せた。

 しかしすぐに表情を引き締め、スッと真面目な表情へと変わる。


「でもね、本当にプロを目指すってことは簡単なことじゃない。私たちはまだまだ未熟だし、これから先どんな壁にぶつかるかも分からない。それでも、ケイは一緒に目指す覚悟、できる?」


 カナ先輩の目が俺を真っ直ぐに見つめる。

 彼女の言葉には重みがあった。


 プロの世界は甘くないという現実。それを彼女はしっかりと理解していて、それでも諦めずに夢を追い続けているんだ。


 だけど、俺は少しの迷いもなく――。


 「はい、覚悟はできてます。俺もみんなと一緒に夢を追いかけたい。スカウトされたときは正直不安だったし、どうするべきか分からなかった。でも、先輩たちの話を聞いて、俺も一歩踏み出してみようって思えたんです」


 俺の言葉を聞いてユリ先輩は『やったー!』と嬉しそうに立ち上がった。


「いいじゃん、ケイ! それでこそアタシたちの後輩、よっ、男の子!」

「ケイなら乗ってくれると思ってた」


 いつものようにユリ先輩は元気よく俺の手を掴みブンブンと腕を振る、アキ先輩も元気よくお菓子を頬張る。


「ふふ、本当はね。文化祭が終わったらケイを学外でやってるバンドに誘おうと思ってたんだ」

「……そうなんですか?」


 カナ先輩の言葉に二人が頷く。


「でも、ケイが自分から決心して言ってくれて私嬉しいよ」


 カナ先輩は両手で俺の手を優しく包み込んだ。

 何故だか急に、あの時部活紹介で輝いていたカナ先輩の姿と重なって……。


 思わず胸が高鳴り、顔が赤くなった。


「ん? ケイ顔赤いけど……どうしたの?」

「い、いや、なんでもないですっ、いやー暑いなぁ、冷房効いてないのかもなぁ!」


 思わず手で顔を扇ぎ照れてしまったことを誤魔化す。


「今日は涼しい方だと思うけど……ケイは男の子だもんね」


 優しく微笑む、そんなカナ先輩を相手に心拍数が上がっていくのがわかる。


『これはもしや……』

『ん、チャンスあり、けど……』

『カナは音楽一直線だからなぁ……』


 何かを察した二人がコソコソと話している。

 俺を見て嬉しそうに、けどカナ先輩を見て溜息を。


 カナ先輩は訳が分からず頭にハテナを浮かべている。


「じゃあさ、アタシたち一緒の夢を追いかけるんだから、それ、止めにしよ」

「……? それ、とは?」

「ケイの敬語と先輩呼び。もうそういう堅苦しいの無しにしよっ」


 彼女たちは年上で先輩ということもあり、敬う意味でも敬語を続けていたが……。

 そういうことなら、俺も変わらなければならない。


「……わかったよ、これから一緒にプロを目指そう。三人ともよろしくね」

「うん、がんばろうねケイ!」

「ケイの敬語は良かったけど、これもこれで良い」

「よーっし、アタシたちの夢とカナの未来のためにがんばろっかー!」


 カナが『なんで私?』とまたもハテナを浮かべているが、ユリとアキはそれを無視して自分の持ち場へと戻る。


「意味わかんないなぁ、ケイわかる?」

「……さぁ」


 本当はわかっている、さっき俺の反応を見た二人はカナに心惹かれたのではないかと感じているのだろう。


 たしかにドキドキしたけど、俺自身も彼女に対してそういうことなのかもわかっていない。


「まぁ、いっか。いこ、ケイ」

「うん」


 差し出されたカナの手を握る。

 これからのことはわからないけれど――。


 だけど、少なくともわかるのは、この文化祭を成功させて彼女たちとこれからも共に居続ける。

 その夢への挑戦が始まったことは理解していたのだった――。


 

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