第56話『スカウト』
静かな午後、扉のベルが軽やかに鳴り涼しい風が店内を撫でていく。
常連の女性客たちがカウンターやテーブルでおしゃべりを楽しみ、落ち着いた雰囲気が漂っていた。
俺はその中で、注文されたアイスコーヒーを笑顔で運びながら、お客さんたちと軽く会話を交わす。
「お待たせしました、アイスコーヒーです」
「あ、天使様! 今日もありがとう」
「……ごゆっくりどうぞ」
「天使様! こっちもお願いします!」
「はい、ただいま伺います」
常連の女性が微笑む。俺はそれに軽く頷き、背筋を伸ばして次のテーブルへ向かう。
笑顔は若干ひきつったまま。
――天使様。
どうにもまた変わった呼び名が増えてしまった。
喫茶HeaLingが流行り出した時から呼び出された名前だが、あのネット記事で完全に定着してしまった。
『お客様、俺は恵斗と呼ばれるのが好きですよ』
『わかりました天使様!』
と、このように会話が嚙み合わない。
まるで高校のクラスメイト達みたいに。
おかしいな……ちゃんと伝えているはずなのに。
というわけで完全に定着した呼び名に微妙な諦めきれなさを残しながらオーダーを捌いていく。
あの件から夏休み期間はごった返していたけど、最近ではようやく落ち着いたようだ。
学校も始まったため例のシステムは土日限定としたので、平日放課後のこの時間は非常にゆったりとした時間が流れるようになった。
本当は夏休み期間でバイトは終わる予定だったのだけれど、店長や常連のお客さんたちから懇願されたことでこうして今も続けている。
するとそこで来店を告げるようにドアのベルが音を立てる。
「すみません一人空いてますか?」
「はい、すぐにご案内できます。カウンター席へどうぞ」
入ってきたのは男性のお客さんだ。非常に珍しい。
ワイシャツにスラックスとどこかの営業マンだろうか。
「君は男の子だよね、男性がウエイターをやってるなんて珍しいね」
「そうですね、当店の名物にもなっていますよ」
「ははっ、なるほどね。アイスコーヒーを1杯もらえるかい?」
「かしこまりました」
注文が入ったことをリンに告げる、リンはいつものように手慣れた手つきでアイスコーヒーの準備を始めた。
いつもと変わらない光景。けれど、ひとつだけ気になることがあった。
それは――春風さんだ。
彼女は男が苦手だと聞いている。
俺とは何とか話せるようにはなってきたけど、目はなかなか合わせられない。
今、彼女はテーブルの片付けをしている。しかし、近くに男性客がいるのがわかると、少しずつ動きがぎこちなくなっているのが目につく。
「春風さん大丈夫?」
軽く声をかけるが、彼女は小さく頷くだけで、目線を合わせてこない。
小さな声で『だ、大丈夫……』と返してくれるけど、心なしかその手は震えているようだった。
珍しいとはいえ男性客自体はこうして来店することがある。
感じの良い大人の人だから怖がる必要はないと思うが……彼女がどのように男性が怖いのか皆目見当もつかない。
「あ、店員さん。注文を追加いいかい?」
「ひゃ、ひゃいぃ……」
上擦った声をあげてしまっている。
ヤバそうだ、ここは俺がカバーをしよう。
「お客様、よろしければ私が注文を伺ってもよろしいですか?」
「あぁ、構わないよ。えーとこのパンケーキをひとつ頂こうかな」
「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」
リンの所へと向かう、ちょうどアイスコーヒーが出来たみたいでそれを受け取った。
「ナイスフォロー、さすがだね」
パチンとウインクを投げかけられる。もしソレを女の子にやってあげたら黄色い悲鳴があがるだろう。絶対にやらないと思うけど。
アイスコーヒーを受け取りそのままお客さんへと渡した。軽く『ありがとう』とお礼を言われる。
「い、一ノ瀬君……ありがとう」
「気にしないで、男の人苦手って聞いてるからさ」
「う、うん……」
震えた声で彼女は下を向いてテーブルの片付けへと戻ってしまった。
うーん……なんとかしてあげたいけどなぁ。
俺に一体何ができるだろう。
「天使様ー! 注文お願いします」
「あ、はい、ただいま伺います!」
思考中に別のお客さんから声を掛けられ注文を取る。
今度はアイスティーのようだ。注文を間違えないようにオーダーを紙に書く。
「そういえば、天使様って城神高校でしたよね?」
「え、あぁ、はいそうですよ」
「じゃあもうすぐ文化祭ですね! 今年の1年生はなにをやるんですか?」
聞いてるのは恐らく男子生徒の出し物のことだろう。
特に隠されていることでもないので正直に告げる。
「喫茶店をやろうと思ってます」
「喫茶店、え、男子が喫茶店!?」
「えぇ、といっても調理役がそこの彼一人で担うので、簡単な物しか出しませんけど」
「そ、それでもすごいですよっ、絶対超人気になる、私も行きますね!」
「えぇ、お待ちしていますよ」
笑顔で頷きカウンターの方へと向かう。今の会話を聞いていたのだろう、店内が少しざわつき始めた。
「宣伝バッチリだね」
「いやそういうつもりじゃなかったんだけどね」
「もうSNSで拡散された頃だと思うよ」
「マジかぁ……」
SNSって怖いなぁ。
ちょうどパンケーキが焼きあがったようでそれを受け取り男性客の所へ持っていく。
「お待たせしました、パンケーキになります」
「おぉ、ありがとう。美味しそうだ。……ところで」
お客さんの声が止まり、俺の方を見上げた。
「今話が聞こえてきたんだけど、喫茶店をやるのは本当なのかい?」
「えぇ、本当です」
「すごいね、もしかして城神高校では男子たちがやるのは初めてじゃないかい?」
「らしいですね、ねえ――生徒会長もそう言ってましたよ」
危うく姉さんと言いそうになったのを慌てて訂正する。
お客さんは気にした様子もなく。
「僕は城神のOBだけど、当時は簡単なお芝居だったな」
「え、お客様はOBだったんですか?」
「うん、もう10年も前だけどね」
懐かしいと言って彼は笑った。
「僕個人としても気になるよ、ぜひ遊びに行かせてほしい」
「えぇ、もちろんお待ちしていますよ」
「楽しみだよ
……あれ、俺名前言ったっけ?
他のお客さんは天使様呼びだし……。
疑問は尽きなかったが、彼はパンケーキを食べ始めたので声を掛けるのを憚れた。
気にはなったが仕事に戻るとしよう。
「喫茶店……やるんですね」
「ん? あぁそうなんだよね」
レジへと戻り伝票を片付けていると不意に春風さんから声を掛けられる。
「城神高校の文化祭はわたしも聞いたことありますけど……、男子生徒の出し物は毎年注目がすごいって」
「みたいだねぇ、ただの文化祭なのにね」
ある意味注目度が一番高いらしい。
クラスメイト達に喫茶店をやることを伝えると。
『だ、大丈夫なの王子!?』
『……? ただの喫茶店だよ?』
『男子の出し物って毎年多くの人が見に来るって……去年の演奏会もプレミアムチケットになったって』
『なにそれ怖い』
という風に驚かれたもんだ。
「俺はどっちかというとライブの方が緊張するんだ」
「……ライブ?」
「そうそう、俺軽音部に所属しててさ、文化祭でライブの練習してるんだけど……1曲歌うんだよね」
「え、えぇっ!?」
春風さんが大声を出してしまったので慌てて口を塞ぐ、なお口を塞ぐために接近や身体に触れたことで気絶した。それによって別の騒ぎとなる。
「ご、ごめんね……」
「い、いえ……わたしが悪いんで……」
落ち着きを取り戻した後互いに謝罪を交わす。
「とにかくさ、軽音部で歌うことになったんだよ、そっちの方が緊張するからさ、あんまり男子の伝統とか言われてもすでにバイトでウエイターやってるから気にならないんだよね」
「な、なるほど……」
軽音部の先輩たちとの会話だが。
『男子が軽音部ってだけで他所から来た人にはサプライズなのに、歌うってなるととんでもないことになると思う』
『そ、そんなに……?』
『男性の歌手って存在が世の中にほとんど居ないからね……、すごいことだと思うよ』
『ケイ、目指せドリームスター』
『ふふふ……これで年度末の活動評価は上位入賞間違い無し、来年は部費と部員がウハウハだ!』
というような会話を思い出す。
たしかに男である俺が歌えばインパクトはあるだろうけど、その反面粗末なパフォーマンスを見せてしまったら元も子もない。
というわけでこっちのほうが緊張するという訳だ。
「いいなぁ……」
「え?」
不意に春風さんが呟く。
珍しく彼女はたどたどしくではなく、ハッキリと話をしてくれた。
「わたし……歌うのが好きだから、そういうの羨ましいなって」
「へぇ~、春風さん歌うの好きなんだ?」
「うん、カラオケにもよく行くんだ」
意外である、しかも趣味はカラオケときた。
十中八九断られるだろうが誘ってみるか。
「今度一緒にカラオケ行こうよ」
「うん、いいよ」
『え、ええぇぇーっ!?』
驚く、そして春風さんも驚く、何故に。
「何故自分でオーケーだしておいて驚くの……?」
「か、カラオケって言われるとつい……」
そんなに好きなんだ。
どうしよう、とあたふたしている春風さんが愛らしく見える。
「……そのうちさ、春風さんがもう少し俺と話すのが苦しくなくなったらさ、一緒にカラオケでも行こうよ」
「そんな……苦しいだなんて」
「苦しいは卑下しすぎたかな? とはいえもうちょっと仲良くなれたらいつか一緒に行きたいな」
「うん……ありがとう」
彼女は笑みを浮かべながら感謝の言葉を述べる。
でもカラオケ誘うのがダメならこっちはどうだろう?
「代わりじゃないけどさ、よかったら文化祭来てよ」
「文化祭に……で、でもわたし、男の人がいっぱいいる喫茶店は……っ」
「いやいや、そっちじゃなくてね」
両手を前に出し、彼女に落ち着いてもらうように促す。
「軽音部の方にきてほしいんだ」
「軽音部……あっ」
「わかってくれた?」
彼女はカァッ、と顔が真っ赤に染まってしまう。
勘違いが正せてよかったよ。
「ね、よかったらライブ見に来てくれないかな?」
「う、うん……必ず行きます」
「よしっ、明日の練習も頑張れるよ」
ライブに誘って了承をもらえたことが嬉しいのもあるけれど。
少しずつ、春風さんと話せるようになってきたことに充実感を覚える。
「よかったら私も見に行っていいかな?」
「ひゃあぁっ!?」
スッ、と俺たちが話していたところにあの男性のお客さんが。
い、いつの間に……と、思ったけど。
「す、すみません! お呼びでしたかね? 申し訳ありません!」
「いやいや、そうじゃないんだ」
店員として失態だと感じ慌てて謝罪したが、先程俺が春風さんにやったようなポーズで制された。
「私は実はこういうものでね……」
名刺を受け取る。
そこには『L7プロダクション黒崎将吾』と書いてある。
「……L7プロダクションって最近発足したっていう芸能事務所の?」
テレビで見たのを思い出す。
確か社長が男の人だとかなんとか……。
「そう、私はこの事務所の社長をしていてね」
「えぇっ!? しゃ、社長!?」
驚き腰を抜かす、隣の春風さんも呆然としたように口を開けている。
「まぁ、まだ小さい事務所なんだ。タレントも数人しかいないしね」
「いや、とはいえ……」
「び、びっくり……」
芸能事務所の社長さんがまさかこんなところに現れるとは思わないだろう。
とはいえ何故名刺を俺に……。
「私はね、一ノ瀬恵斗君。是非君をスカウトしたいと考えてる」
「お、俺を!?」
「す、すごい……」
またも驚かされ腰が抜ける。
隣の春風さんも先程と同じように開いた口が塞がらないといった様子だ。
「今日はそのためにここに来たんだ」
「ま、まさか俺の名前を知っていたのって……」
「そう、君のことを調べていたからさ」
謎が解けて納得がいく。
スカウトする相手のことくらい調べていて当然だろうと。
「今日はただ挨拶をしたかったんだ、そうしたら文化祭でライブをやると言うじゃないか。これはぜひともその勇姿を目に焼き付けなくてはいけないね」
「ははは……どうも」
「とはいえ、前向きに考えていてくれるとありがたいよ、恐らく他にも君をスカウトしようと考えている人間はいるはずだ。ぜひともウチでスターになってほしい」
それではといって、彼はお札を置いて去っていった。
いや、お釣り……。
充分過ぎる代金を頂き、名刺も手にした俺はどうすべきなんだろうなと思い立ち尽くすのだった。
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