第22話『柚月理奈という少女』


 柚月理奈には幼い頃からの夢がある。

 

 彼女の母は元プロ野球選手、現役を引退しているので映像でしか母の活躍を見たことはないが映像の中の母はとてもカッコよかった。


 ――あたしもいつかお母さんみたいな野球選手になるんだっ!


 母に憧れた理奈がプロ野球選手を目指すのは簡単だった。

 それからの彼女は毎日野球漬けで、すっかり野球少女と化していた彼女だったがそれとは別の夢も抱いていた。


 ――いつか素敵な恋愛がしてみたい!


 子供ではあるがこの世界に生まれた子供はほとんどが理解している。

 世の中のほとんどの女性は恋人を作ることなく生きていくことになると。


 ただでさえ男性にストレートに行為をぶつけることが失礼とされつつあるこの世の中、よほど胆力や運のある女性でない限りは恋を成就させることなく大人になり、やがて独りの女性として幸せを掴んだ頃には恋愛がしたいなんて感情は消え去っている。


 その中で理奈は恋をするのが夢ではあったが野球に夢中なのもまた事実。


 小さなころから野球ボールを追いかけ回し、男ではなく野球に恋してると言っても過言ではない彼女は小学校でとある少女と出会った。


 その女の子の名前は早川希華。

 この頃の希華はまだ恵斗と知り合う前だ。


 早川希華と柚月理奈。

 

 片や幼き頃から勉学に秀でている頭脳を持ち、人目を惹く美しさがある女の子。

 片や野球にすべてを捧げ元プロの親を持ち、小さな頃から野球の英才教育受けたスポーツ特化の女の子。


 まるで真逆である彼女たち。

 二人は水と油の関係になってしまうのではないか。

 周囲の者はそう感じていた。


 しかし蓋を開けてみれば二人はすぐに親友となった。


 一方はこれまで運動の才能がなく、運動に対しての才に優れている彼女に憧れ心を持ち。

 一方も野球に捧げすぎて女として壊滅だった彼女は、その頭脳、美しさに女として憧れた。


 そしてなによりの共通点は、二人がとても心が優しい少女だったということだった。


 友となった二人は共によく遊び、共によく勉強し、共にずっと一緒にいた。


 そんな中ある転機が訪れる。


 親友である希華が初めて男の子と会うのだ。


 理奈もこの地区に男の子が存在しているのは知っている。

 けれどその男の子は外に出ることを怯え、自分たち女を怖がっていると聞いた。


 ――話にならない。


 この世で最も尊ぶべき大事な存在。

 自分たちよりも上である存在、それが男だ。


 だというのにその下の存在と言われている自分たち女に怯えてる? 外が怖い?

『冗談はよしてよ』と理奈は鼻で笑った。


 自分はこの男に会ったことないが、きっと好ましく思えないだろうと理奈は思う。


 ――いつか素敵な恋愛がしてみたい!

 かつての夢はいつからか理奈にとって忘れ去りたい思い出となっていた。


 そんな自分にとって価値の低い存在に今度希華は会うことに。


 なんでも母同士につながりが出来、男側の母親から頼まれそれを受諾したそうだ。


 その話をされた理奈は当然。


「ぜったいにやめるべきだよ」

「うーん、でもママの頼みだから……」


 賛成をしなかった。


 来週末に会う予定だという、それから理奈は会う度に考え直せ、絶対にロクなことにならないと彼女を説得し続けたが、心優しい彼女は母の頼みを、会ったこともないが苦しんでいる少年の力になりたいと思い結局折れることはなかった。


 そして運命の週末は終わり学校で親友と会う。

 

 この週末は気になって野球の練習に身が入らなかった。

 普段は練習に厳しい母もいつもと様子が違う娘を気にしてか、練習を休みにした。

 おかげでやることのなかった彼女は家で悶々としながら週明けを待っていた。


「まれか! どうだったの!?」


 学校に来て早々希華に尋ねる。

 一応秘密毎の為、理奈を人気のない所へ連れた希華は週末の出来事を話した。


 話を聞かされた理奈は頭をガンっと殴られたような衝撃だった。


 あのまれかが破顔しながら『けーくんが……』と語って止まらないのだ。


 初めて見た男の子はお人形さんみたいに輝いて見えた、一つ下の妹を溺愛し母と姉も大事にする心優しい男の子、自身に『まれちゃん』と愛称をつけてくれたと聞いてもいないことまで話し始めて止まらないのだ。


 それ以降も希華は恵斗に会う日々が増えていった。


 一応理奈も毎回どうだったのか尋ねていたが『けーくんは話をいっぱい聞いてくれて……』『けーくんは笑顔がとっても素敵で……』と惚気が止まらず次第に理奈が聞く前に希華が話したくてたまらないという状態になっていった。


 そんな日々が続く中、ビッグニュースが飛び込んだ。


 渦中の男の子が外に出るようになったと。

 家族や希華が傍にいる時限定であるが外で歩いている姿も目撃されるようになったというのだ。


 理奈は訊いた、どうやったのかと。


 どうせ希華のおかげなんだろうと思って軽い気持ちで尋ねたのだが、聞かれた希華は顔を赤くしながら恥ずかしいような素振りで『内緒♪』と口を割らなかった。


 なんなんだ……これじゃあまるで。


 まれかはその男に恋してるみたいじゃないか。

 自身がいつか夢見た感情。


 ――素敵な恋愛がしてみたい。


 その夢を彼女はあっさりと叶えてしまったのだ。

 

 それも自身が嫌悪していた存在に。


 だからその時に沸いた感情は何だったのか、後に考えればきっと『悔しい』『羨ましい』が入り乱れる想いだったのか、理奈は思わず口走った。


「あたしにもそいつに会わせてよ!」


 余談だが彼女が希華を『まれか』から『まれ』と呼ぶようになったのはこの時の恵斗に対しての対抗心である。



 その場が用意されたのはそれからすぐではなかった。

 外に出るようになったとはいえ例の彼が希華以外の他人に交流を持たせるのはまだ早いのではないかと彼の家族が難色を示したからだ。


 けれどその頃には外に出ることに恐怖は消え恋している希華の頼みに応えたかった彼はその旨を伝えられた時に多少不安にはなりつつも『いいよ、会おう!』と二つ返事で返した。


 そして迎えた例の日に理奈と恵斗は出会う。


「りなちゃん、彼がいつも話してるけーくんだよ」

「えと、初めまして一ノ瀬恵斗です。よろしくね」


 初めて見た男の子。


 地区外に行けば他の男性を目にすることはあったがこうして面と向かって会うのは初めてだった。


 だからなのだ、こうして間近で見るのは初めてだからなのだと彼女は自身に言い聞かせる。


「……りなちゃん?」


 自分が目を奪われ、言葉も出なくなるのは生で男を見るのが初めてだからなんだと。


 必死に自分へと言い訳をする理奈だった。


「あ、あたしはえ、えと柚月、理奈!」

「柚月さんだね、よろしく」

「お、同い年だからっ、呼び捨てで、名前で……いい」

「そっか、じゃあ理奈で。俺の事は恵斗でいいよ」

「け、けけけ、け、けぇ、と」

「……こんなに緊張してるりなちゃん初めて見た」

「き、緊張なんかしてないもん! け、けけ、けーと! けーとけーとけーとぉ!」

「あ、うんわかったよ……」


 こんなはずではなかった、自分は『まれかを唆さないでよ!』と強く言うつもりだったのだ。

 まさか例の彼がこんなにもカッコよくてキラキラしてるなんて思いもしなかったんだ。


 必死に脳内で言い訳をするも恵斗から目が離せない理奈。


 だから必死に自分を誤魔化すために、この日の為に二つ持ってきたグローブを渡してこう言い放った。


「ねぇ、あたしとキャッチボールしようよ!」




 距離を取ってグローブををはめた恵斗を見据える。

 ボールを握って考えを落ち着かせる。


 ――落ち着けあたし、緊張なんかしていないんだあたしは、今日はあの男を見定めに来たんだ。


 よし、とグローブへボールを叩きつける。

 大事な試合前のような緊張感で再度ボールを握った彼女はいつものようにボールを投げた。


 そう、いつものように。


「はっ――!?」


 恵斗は野球経験がない、故にいきなり放られた速いボールに反応することが出来ずおでこにボールが直撃してしまった。


「けーくん!?」

「あ……っ」


 とんでもないことしてしまった。


 この世で一番やってはならないこと、男性に危害を加えてしまった。


 この世界での男は尊ばれる存在、守られるべき存在。

 そんな相手に危害を加えてしまうことはこの世の女性で一番やってはならないこと。


 子供だって理解している大切なことだった。


 駆け寄る希華、呆然とはしたものの慌てて彼女と同様に恵斗へ駆け寄る。


 あぁ終わってしまった。

 自分の人生はここで終わってしまった。


 子供であろうと男に危害を加えれば処罰されることは常識。

 この後に自分にどんな処遇が待っているのか想像はつかないが、自身の人生はここで終わったのだけは悟ってしまった。


 普通の男ならばすぐに警察へ通報、理奈は逮捕される運命にある。

 子供であろうと容赦はされない。


 そう、


「いってぇ~、君凄い球投げるんだねぇ」

「……え?」

「……けーくん?」


 ボールがぶつかったおでこを摩りながら苦笑いする恵斗、怒っている様子など微塵もない。

 それどころか感心しているようで希華と理奈は面食らってしまった。


「けーくん、怒ってないの?」

「怒る? なんで?」

「だってボールぶつけられて……」

「捕れなかった俺が悪いんじゃん、まぁこんな速いボールが来るとは思ってなかったけどさ」


 トスでボールを返す恵斗、呆然としていた理奈だったが飛んできたボールを反射的にキャッチする。


「ごめんね、俺野球やったことないからもうちょっとゆっくり投げてくれると助かるよ」

「なんで怒ってないの……?」

「なんでって……さっきも言った通り」

「あたしがあんたにボールぶつけたのに! そんな笑ってるなんて……意味わかんないよ」

「ちょ、ちょっと泣かないでよ……」


 恵斗は困ったように考える。

 ボールをぶつけられたことを怒ってないと伝えても納得せず涙を流してしまった。


 ――男のくせに下手すぎたショックで泣いたのか?


 勘違いしてる恵斗には理奈が何故泣き出したのかわかってない、そんな彼にはどう伝えれば彼女が泣き止んでくれるだろうか、全く思いつかないのだ。


「俺が気にしてないからそれで良しじゃダメかな?」


 結局彼は何も思いつかずシンプルに思ったことを口に出した。


「だって普通男の人にケガさせたら……」

「いやいやケガなんてしてないし、ちょっと赤いけど軟球だから大したことないよ」

「でも……でも……っ」

「男の俺が許すっていってるからそれでいいの! それよりもほら涙を拭いて。まだ会って少しだけど君には涙が似合わない気がするんだ」

「あ……っ」


 ハンカチで涙を拭う恵斗、その行為に理奈は顔が熱くなったのを感じた。


「それに俺さ、君のボールを捕れるようになりたいんだよ」

「え?」

「だからさ、もっとキャッチボールしようよ!」


 自分の不注意でボールをぶつけ痛い思いをさせたというのに怒らずそれでいて己が悪いと言っている。おまけにもっと自分とキャッチボールがしたいと。


 意味が分からない、本当に意味が分からない。

 理奈の頭の中は困惑でいっぱいだった。


 だがそれよりも……。


 ニカッと笑った彼の顔から目が離せなくて。


 後にも振り返ればこの時が、理奈が恵斗に恋した瞬間だった。


 ――いつか素敵な恋愛がしてみたい!


 夢は叶った、叶えられた。

 

 あんなに見下してたのに、実際に会ったらこんなに素敵でカッコよくて。


 優しい男の子に惚れないはずがなかったんだ。


 これ以降何かと照れ隠しで野球野球と彼に付いて回り、親友である希華に『早く告白してよ』と窘められるのをまだ彼女は知らない。


 そして……この恋が成就することも、彼女はまだ知らない。

 

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