第8話『早川希華という少女(前編)』☆

 早川希華はやかわまれかという少女に出会った日。

 そして恋に落ちた日の事を俺は生涯忘れない。

 

 俺はWEBアンケートによって転生し病院で生まれ退院した後から数年間、実は一歩も家から出ることが出来なかった。

 

 別に軟禁されていたとかそういうことではなく、単純に外に出ることが怖かったからだ。

 

 この地区で初めて生まれた男の子、その話題は瞬く間に広がっていった。止まない取材の電話やインターホン、押し寄せる人の嵐。生まれて間もない俺にはただの恐怖だった。

 

 一度だけ窓の隙間から人だかりを覗いたことがあるのだが……、あの時外にいた人たちの目がなんともいえないくらい恐ろしかった。

 

 多分あの時押し寄せていた人たちは、例えるならばパンダの赤ちゃんが生まれ、それを一目見たいと動物園に行く、そんな純粋な心境だったのだろうと思う。

 

 しかし見世物側が受ける印象は違う。

 

 珍しいモノを一目見ようと声をあげ、カメラを構える大人の群れはただの恐怖でしかない。

 当時の俺はまだ生まれたばかりの幼き子供。前世では社会人として生を送る年まで重ねていたが、不思議なことにその時は精神年齢が本当に年相応の子供になっていた。

 多分理由はわからないけど身体に脳が引っ張られたとかそんなんじゃないかと思う。

 

 つまり俺は人だかりを見て怖くて大泣きをしてしまったのだった。

 

 ――いやぁ……今思い出すと本当に恥ずかしいよ、心は大人のはずが、人だかりを見て泣いてしまったんだから。

 今でこそ冷静に振り返れるけどその時は本当に怖かったし。

 

 それからの俺はなるべく外を見ないように家の中で過ごしていた。外に出るとまたあの時のような恐怖がよみがえってしまうかもしれないと思って……。

 

 何故俺がこんなに注目されるのか、その答えがこの世界の男女比が極端に偏っていることにあるのだと……。

 この時の俺はまだ知らなかった。


 母さんはこの世界の情勢を教えることはしなかった。

 きっとそれはあの日人だかりを見て大泣きした自分を更に怖がらせると思ったのだろう。

 あえて教えることはしなかったのだと今になってわかった。


 こんな感じの生活を続けて幾分か経ち、さすがに一向に外に出てこない男の子を見ようと通い続ける人はいなくなり家の外にも安全が訪れ始めた。

 

 しかし相変わらず当時の俺は外に出ることへ怯え、家で毎日1つ下の芽美と遊んで過ごす日々、このままだと子供ながら引きこもりになり不健康な身体へとなってしまうだろう。


 そういう理由により、家で出来る簡単な筋トレなどをして体力を維持していた。

 背中に姉さんを乗せて腕立てや、芽美を肩車しながらスクワットしたりと筋トレをすることでかなりの筋力は得られた。


 ちなみにこの時、年が1つ違いの姉さんや芽美と一緒にいて尚且つ遊ぶことで、今のように『けいちゃん!』『兄さん!』といった愛され具合を得られたのだろうと思う。

 

 

 さて、そんな幼い子供ながら引きこもり生活をしている俺にも転機が訪れた。

 近所に住んでいる早川さん家の娘、そう……まれちゃんが俺の家へと遊びにやって来た。

 

 引きこもりになってしまっている俺を心配した母さんが、ひとまず近い年の女の子から慣れさせようと連れてきたらしい。

 それに彼女の母である早苗さなえさんは毎日近所の家に押し寄せるマスコミや野次馬たちで迷惑をしていたはずにも関わらず母さんを励まし支えてくれていたそうだ。

 

 その結果、母さんと早苗さんは強い絆で結ばれ二人は仲良くなったそうで今でも家族ぐるみの付き合いが続いている。

 

 いくら外を怖がっていても何れは外の世界へと出なければならない、ひとつのきっかけ作りとして信頼してる友人の娘を俺に会わせてみることにしたのだ。


「こんにちは!」

「こ、こんにちは……」


 初めて出会った彼女は……その時からキラキラと輝いて見える女の子だった。

 今でこそベタ惚れであるが、当時からその可愛らしさは変わっていない。

 

「わたし早川希華! まれかってよんでほしいなっ」

「ま、まれ……かちゃん、よろしく……、ぼ、ぼくは一ノ瀬恵斗……です」


 一方の俺は滅茶苦茶ビビっていた。

 正直当時のことを思い出すと死ぬほど恥ずかしい。

 

 いくら元は大人だったとはいえ、転生して月日も経っている。

 それにあんなにも怖い女性の視線を受けたことが軽いトラウマにもなっているのだ。心中察してください。


 とはいえ。

 こんな小さな女の子相手にもビビってしまう俺っていったい……。


 情けなくてしょうがなかった。

 あれ程女の子にモテたいなんて思っていたのに……。

 今では家族以外の女性、しかも同い年の小さな女の子相手にもオドオドしてしまうことに、情けなくて内心泣きたかった。


 けれどそんな俺を彼女は全く気にせずむしろ……。


「あ、今の”まれ”ってよびかた好きかも?」

「え、えぇ……?」


 ニコニコと笑顔で、それでいて嬉しそうにしていた。

 

「わたしはそうだなぁ……”けーくん”ってよぶよ! けーくんには”まれ”ってよんでほしいなっ!」

「え、えぇと……まれ、ちゃん?」

「えへへっ、けーくん!」


 非常に好感的だったらしい。


 まれちゃんは今でこそお淑やかな淑女といった大人の女性になったけれども。

 この頃のまれちゃんはどちらかというと走り回るのが好きな活発な少女だった。


 もちろん今も昔も変わらず、まれちゃんはずっと可愛いくて最高の女の子なんだけどさ。


 この時初めて出会った彼女は結構グイグイくる子で、外が怖くてで臆病気味だった俺はしどろもどろになってしまった。

 それでも初めて話す家族以外の女の子だった彼女は、話して怖いと思うことはなかったのをよく覚えている。

 

 そんなまれちゃんと仲良くなるのは時間の問題で、俺は毎日彼女が会いに来てくれるのがすごく楽しみになった。

 母さんと早苗さんの目論見は見事大成功だったわけだ。


 これはそんなある日の事――。


「けーくん、今日も一緒に遊ぼう! 今日はおままごとをしようって約束してたでしょ?」

「う、うん……」


 おままごとという遊びは遥か昔の記憶には残っている、少しだけ気恥ずかしさがあるが、まれちゃんと一緒になら何をしても楽しい。

 彼女の明るさが、家の中に閉じこもる俺の小さな世界を広げてくれているように感じていたのだった。


 俺たちは部屋の片隅に作った『秘密の基地』でおままごとを始めた。


 ここはまれちゃんが『わたしとけーくんの場所だよ!』といって部屋の中に作ったのだった。

 それに嫉妬した姉さんと芽美が、同じように俺の部屋にそれぞれ『姉さんとの場所』『芽美との場所が』作られた。


 ――俺の部屋のスペースはもはやベッドだけになった、おかしいだろ。


 話は戻る。

 まれちゃんが母親役、俺が父親役を演じ、ぬいぐるみたちが二人の子供たちだ。


「このぬいぐるみたち、わたしたちの子供みたいだね」


 彼女が言う。

 二人の子供……その意味はただのおままごとだから無いはずなんだけど。

 まれちゃんとの子供って考えると内心ドキドキしてしまう。

 

 彼女にバレないようになんとか表情を引き締め前を向く。

 小さな食器セットで料理を作るふりをしながら、俺たちは互いに笑い合った。


「この子たちが大きくなったら、外にも遊びに行けるかな?」


 まれちゃんはふいにぬいぐるみを見つめて言った。


 ただのおままごと、ただの夫婦になり切った台詞だろう。

 まれちゃんに他意はないそのはずだ。


 でも俺は……その言葉に一瞬固まった。

 外の世界――俺にとってそれはまだ怖い場所だった。


 しかし、彼女の優しい声が自身の心を少しだけほぐしてくれる。


「……わからない。でも、まれちゃんと一緒なら、外も怖くないかも……」


 彼女は驚いたように俺を見つめる。

 そして、彼女は優しく微笑んで――。


「そうだね、けーくんと一緒なら、どこにだって行けるよ」


 と言って微笑んだ。


 その言葉を聞いて、俺の心の中に暖かいものが広がった。

 彼女といると、怖いものが少しずつ薄れていくような気がする。

 彼女が自分をこんなにも気にかけてくれることが、いつの間にか心地よくなっていた。


 この頃、一緒に遊んでいる時間が長くなるにつれてふと気づくことがあった。

 彼女が自分に笑いかけるたび、心臓が少しだけ早く脈打つのだ。

 そして、まれちゃんが俺に近づくと、なんだか居心地が悪いような、でも離れたくないような気持ちが胸の中で膨らんでくる。


 この感覚は前の世界でも無いものだった。

 モテたいという感情から、学生時代にはとりあえず彼女が欲しいへと変わり、女の子へと告白もしたが。


 あの時に、この時のような感情は芽生えてなかったはずだ。


 だからこの時、俺にはこのモヤモヤした感情の正体がわからなかった。

 きっと幼い子供になってしまったことによる何かの不安定さを表したものなんだろうと決めつけていた。


「けーくん、次はどんな遊びをしようか?」


 まれちゃんが無邪気に問いかける。

 俺は少し顔を赤らめながら『なんでもいいよ。まれちゃんと一緒なら、楽しいから』と答えた。



 


 

 そして忘れもしないはあまりにも唐突に訪れた。


「じゃあねけーくん! また明日!」

「また明日も遊ぼうねまれちゃん!」


 その日も彼女が遊びに来て一緒に過ごしていた。二人で絵を描いて、お昼を食べて、おもちゃで遊んで、お昼寝をして、おやつを食べる。

 

 そうしてあっという間に夕方になりいつものようにお別れの挨拶をして彼女は家へと帰る。部屋に戻った俺はおもちゃの片づけをしていると、彼女がいつも持ってきているお絵かき帳が置いてあるのに気付いた。


「おかーさん、まれちゃんが忘れ物したみたい」

「あらほんとだ、明日返してあげないとね」

「んー……」


 明日も遊ぶ約束をしているし、それまで預かっていればいいのだけれども……。

 もしかしたら彼女は今頃これを探してるかもしれない、そう思った俺は思い切って。


「まれちゃんちに届けてくるね!」

「えっ、ちょっと恵斗!?」


 夕飯の支度をしていた母さんの返事も聞かず扉を開け生まれて初めて己の意思で外の世界へ踏み出したのだった。


 ――未だ諦めの悪い連中が潜んでいたのも知らずに。

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