本の結び目

鈴ノ木 鈴ノ子

ほんのむすびめ

本が好きだ。本を読むのが好きだ。

活字を追うのが好きだ。活字に溺れるのが好きだ。

文に魅せられて、文に酔いしれて、文を味わう。

それこそが生きる喜びだと思う。


「微妙な作者・・・」


そう言って私は少し読み終えた短編集を閉じると辺りは夕暮れになっていた。

高校の図書室は閑散としていて、美しい夕焼けの日差しが白いカーテン越しに室内を照らしており、あたりを漂っている埃がキラキラと光を反射している。

貸出カウンターで私は本を通学鞄にしまうと席を立って背伸びをした。

烏の濡れ羽色のようなロングヘアに丸眼鏡をした私は野暮ったく着ている制服を整える。背丈は180センチもあって、巨人などと言われる。それに高校生になってから胸が突然に大きくなり始めてしまって今ではかなりのサイズだ。

男性たちの視線が否応なくそこに集中するたびに、最初は嫌だったが、今ではなんとか慣れて呆れ果てている。


「あ、また、寝てる」


本棚の奥に読書用の机が置かれており、テスト勉強の時などは混雑するものの期末テストを終えて夏休み間近になると、訪れるものはほどんといない、でも、どこの世界にも例外は存在する。

それが彼だった。

茶髪にピアス、身長は私より一回り小さい170センチほど、たくましい体型は鎧のような筋肉で覆われていて、顔つきも例えるなら浮世絵の鬼のように恐ろしい。田舎の高校へ転校生として現れた彼は、すぐに先輩たちに絡まれたが、軽くのしてしまって、以後、校内には彼には関わるまいとする風潮が漂っていた。


「ちょっと、いつまで寝てるんですか?」


「ん?あとちょっと待ってくれ、いいとこなんだ」


近寄ってそう注意すると、彼は寝ているような格好で本を読んでいた。片腕を机に置いて頭を支えて背をカウンター側に向けていたので寝ているように見えたが、彼は古めかしい本をじっくりと読んでいる最中であった。


「何読んでるの?」


「夏目漱石全集」


本棚の奥も奥、今では滅多に読まれない棚の一番端にあった本だ。去年の年末に図書委員で整理した時にそこのあったのを憶えている。


「あとどれくらいかかりそう?」


閉める時間はもう間も無くなのだけれど、読み終えようとする雰囲気は見当たらなかった。


「そうだなぁ、坊ちゃんをもうすぐ読み終えるから、そしたら言うわ」


ぶっきらぼうに答えてきたが怒っているわけではない。真剣に読んでいるのがわかる声だった。


「わかった。じゃぁ、カウンターにいるからね」


そういうと、頭を支えている手の人差し指がこちらに動いた。


「隣で読めば?」


「じゃぁ、そうする」


私は先ほどの微妙な短編集を素早く取りに戻ると、彼の隣の席に腰掛けてそれを読み始めた。それと共に冒頭の部分を思い出して、隣の彼を見て私は笑みが溢れた。幽霊委員の多い図書委員でずっと1人で本を読んできたが、3ヶ月前から委員ではないけれど彼が加わった。


3ヶ月前のことだった。授業を終えて図書室で本を読んでいるとガラリと扉が開いて不良と呼ばれている彼が入ってきた。

私はそちらを見たままで顔を引き攣らせた。とんでもない奴が入ってきてしまった。逃げ道は彼の入ってきた扉しかなく、図書室は特別教室が揃う別館なので人通りは少ない、職員室からもかなり離れたところにある。背筋がゾッとした。少し前に恐ろしい体験をしたばかりだったからだ。

思わず冷や汗が出て足が震えてきた。

彼は辺りを見渡すと、真っ直ぐにこちらへと進んできて、私のカウンターの前に立った。


「な・・・なんですか・・・」


椅子を後ろに半分引いて、もちろん腰も引けて、声は震えていたけれど、私はなんとか尋ねることはできた。 半分、泣き顔だったと思う。


「おまえ、あの時の女だろ」


そう言って机の上にカバーの掛かった本が差し出されると、カバーの所々ある赤いシミが2週間前の恐ろしい記憶を蘇らせた。


読みたかった新刊が出たので、私は行きつけの書店に自転車で向かってようやく買えた喜びに浸りながら、早く読もうと自宅へと自転車を漕いでいる最中だった。

突然、大きな車が近寄ってきて止まると、後部ドアが開いて私は力づくで車内へと引き込まれた。数人の男達に押さえつけられ、口をガムテープで縛られて、服を裂かれてゆく、スマホを持った男が私を撮影して下びた笑いを浮かべているのが見え、それに絶望してこのあと起こるであろう悲惨な未来を想像して絶望した。

涙が溢れて悔しさのあまり唇を噛み締めた時だった。


「なにやってやがる?」


突然、先ほど連れ込まれた扉が開くとのぶとい声が響いた。同時に押さえつけている男を1人を思いっきりぶん殴った。

殴られた男は反対の扉に派手に音をたててぶつかると、不気味な声をあげて動かなくなった。

スマホを持っていた男は少ない髪の毛を鷲掴みされて車外に引き出されると、その顔面に数発の蹴りを浴びて歯と鼻先をボロボロにして動かなくなる。

残るもう1人は奥へ逃げようとして足を掴まれ、車外へと引き摺り出され、路上で顎を砕かれると、公園のベンチへ連れて行かれて殴る蹴るの激しい暴行を受け始めた。

私は呆然としながらその光景を眺めていたが、意識が戻ってくると恐ろしさのあまり一目散に逃げた。全力で自宅まで走り、小柄な母親に泣きついて警察を呼んでもらい事件は表面化した。警察の話では事件現場に横たわる文字通りボコボコにされ全裸で遊具に結び付けられた加害者達が見つかって逮捕されたそうだ。

私はしばらく学校を欠席して変な噂も立てられたけれど、友人達に気を使われながら、ようやく気持ちが整理でき落ち着き始めたところだった。


「あの時は、悪かったな。怖い思いをさせた」


そう言って彼は唐突に頭を下げて詫びてきた。

その姿に腰がついに抜けて私はパイプ椅子からずり落ちた。


「こ、怖い思い・・」


「ああ、目の前で、屑とはいえ殴る姿をみせちまったからな」


記憶の中での野太い声が今の彼の声と一致した。


「あ・・あのとき、助けてくれた・・・」


「ああ、すまん。妹がよ、公園でタバコ吸う癖があってな、俺は見張りで立ってたんだけどよ、連れ込まれるところを見て、トイレ中だった俺に言ってきたのさ」


頭を上げた彼がそう言うと恐ろしい形相を恥ずかしそうに人差し指で掻いた。


「でよ、これその時に近くの道で拾ったからよ、届けに来た」


「あ、ありがとう」


お礼は言えるものの、素直には受け取ることはできなかった。

あんなことあったあとでそのシリーズを読むことは考えれなくなり、幼い頃から大切に集めていた本達も記憶を甦らせるからと自ら押し入れの奥へと仕舞い込んだのだった。


「でよ、ひとつ教えてくれ」


顔を恥ずかしそうに掻いたままで彼が再び口を開いた。


「これ、どう言う話だ?」


「え・・・・と・・・その本のこと?」


顔を真っ赤にして頷いた彼に不思議と怖さが薄れた。ゴツゴツの太い指で握られた手がその本を持っていた。そして、彼の目が輝いていることに気がついた。


「馬鹿だから活字なんて読まないんだけどよ。気になって頑張って読んでみたんだよ。そしたら、なんとなくな」


そういって彼は安易とカウンターを乗り越えると、床にへたり込む私を軽々と引き起こして椅子に座らせる。


「すまん、こんなこと言うことじゃなかった。忘れてくれ」


本を私の膝へ置くと彼はそう言い残してカウンターへと向いたので慌ててその手を握った。怖さもあったのだけど、あのシリーズを楽しんでくれそうな人がいてくれたことが嬉しかった。それも助けてくれた彼がそう言ってくれている。恐ろしさの記憶もあるけれど、それ以上に助けてくれた彼に恩返しができるのではないかと思った。


「そ、そのシリーズ、ウチにあるから、よかったら読みにくる?」


泣き出しそうな顔で笑みを浮かべて私は彼にそう言った。


「いいのか?」


「う・・うん、よければ」


「ありがとう、じゃぁ、早速行こう」


まるで待ちきれない子供を相手にしているようだ。

図書室の鍵を慌てて閉めて、先を歩いてゆく彼を追いかけるように校舎を去った。

自宅で母が彼をみて最初驚いていたけど、事情を話すと涙を流して彼に礼を言った。その姿を見て彼は先程と同じように照れながら頬を掻いていた。

男の人を初めて自室へ招き入れ、押し入れの奥からシリーズを取り出して机の上に優しく置く、彼は待ち侘びた子供のように一巻からそれを読み始め、その世界へとどっぷりと浸かっていく様子が私にも見てとれた。

私も助けてくれた人の隣であったのがよかったのか、その渡された本の汚れたカバーを捨ててから、最新刊を読み始めることが叶い、そして意識は世界へと分け入っていった。

帰宅した父が彼にお礼を言うために部屋を訪れるまで2人は無言で夢中で本を読んでいた。

事実、途中で飲み物の差入れにきた母が、私達が似た本を真剣に読んでいる姿に驚いたそうだが、声をかけるのが野暮に思えるほどで、避けて出ていったほどた。

あれから毎日、彼は我が家に来ては本を読み、そして帰ってゆく。借りていくことはせずに、私の部屋でひたすら読んでは帰っていく。

たまに感情表現で分からないことがあると聞いてくるので教えてあげると納得して再び視線を本に戻した。真剣な眼差しを見ていると私も嬉しい。

途中から勉強も私が教えるようになった。仲良くしているところを教師に見られて、彼に教えるようにこっそりと言われたからだけれど、元々地頭は良いらしく、あっという間にコツを掴むと授業を理解し始め、そして、期末テストでは私を超えて上位に食い込む成績となって教師と同級生を驚かせた。


「よし、読み終えたぞ」


夏目漱石全集を閉じた彼がそう言って本を戻しに席を立ったので私も本に栞を挟んで閉じた。悔しいけれど彼には栞は必要ない、読み終えたページを覚えているからだ。それは、どの本でも、どの教科書でも変わらない。


「楽しめた?」


私が微笑みながらそう尋ねると満足した少年のような顔が見えた。


「ああ、古い作品もいい」


そう言って机に戻ってきた彼は学生鞄を持った。


「ふふ、よかった。帰りはウチに寄るでしょ?お母さんが夕飯食べてったらって言ってたよ」


「それは嬉しいな、聞いてみるよ」


スマホを取り出した彼が連絡を入れる先は例のタバコを吸っている妹だろう。両親とはあまり仲が良くないということだが、妹さんとは仲が良い、その妹さんも県内でも有名で伝統ある私立学園に通うお嬢さまということが分かった時は驚いた。


「いいみたいだから、ご馳走になろうかな」


「うん、じゃぁ、行こう」


2人で図書室を歩いてカウンターに寄り、自分の荷物を持つと図書室を出て鍵を閉める。辺りは暗くなっていて廊下の先は薄暗く少しだけ恐ろしくなったので、彼のゴツゴツした手を握ると優しく握り返される。

今では両親には内緒だけどこんな仲にもなっていた。

もちろん、私からじゃなく、彼から申し込まれた。私にはそんな度胸はなかった。


幼い頃から大好きなシリーズは、再び1番大切な本棚の位置へと戻って、毎日それを手にとる私と彼がいる。もちろん、それ以外も読んでいるけれど、必ず最後にはそこに帰結する。


ふと今日読んでいた短編集を思い出した。


本が好きだ。本を読むのが好きだ。

活字を追うのが好きだ。活字に溺れるのが好きだ。

文に魅せられて、文に酔いしれて、文を味わう。

それこそが生きる喜びだと思う。


あれも間違ってはいないのかもしれない。でも、私は一文付け足したい。


そして人に出会えるのも本なのだ。と。


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