3-3
「私、ホタル。あなたはの名前は? 売り子じゃなさそうよね」
高揚した様子でホタルと名乗る少女は、アゲハに親し気な笑みを浮かべて近づいて来た。ホタルは最近ここに来たそうで、知り合いがいないそうだ。前の地区でも
「アゲハ。私も最近ここら辺に来たばっかで……」
その先はなんと説明したらいいか分からず、言い淀んだ。そして、ホタルのキラキラした瞳から逃げるように、目を泳がせる。
「アゲハ、ね。んー……と」
ホタルは顎に手を当てると、考えるそぶりをしながら唸った。なるほど、あなたの正体を当ててやろう、というわけだ。
「さっきのちょっと怖い人はお兄さんで、二人で仕事探しに来たって感じかしら?」
全然違うけど……、と思いながらもコクリと頷く。すると、ホタルはパッと顔を明るくした。ああ、ジガバチが怖くて話しかけづらかったのかな、とこの時アゲハは思った。
「まぁ、そんな感じ」
アゲハは観念したように、答えた。
「お兄さん、優しいんだね」
何やら、含みのある言い方だった。分かってはいたが、アゲハは改めて感じた。
(そうじゃないよ、これも生き残るための知恵なんだよ)
アゲハは喉まで出かかる言葉を飲み込んだ。
そうだ、彼の優しさは常に毒牙を孕んでいるのだ。アゲハはそれが自分に向けられないように、必死に手綱を持ち、常に引っ張っていなくてはいけない。
そんな状況を知らないホタルは続けた。
「長男長女は大変なんだよね。私も長女だから……」
アゲハも本当は長女である。「そうなんだね」と呟きながら、心の中で大きく同意した。それからアゲハたちはすっかり日が落ちた町の一角で、ずっとお喋りをした。アンティーターでの生活とは違って、勉強に追われることもなく、帰宅が遅いと怒られることもないのだ。
「今日はお客さんはとらないの?」
アゲハは聞いた。楽しかったが、こうしてぺらペらと喋っていていいのか? とふと心配になったのだ。
「うん、最近体調悪くて。一応こうして出てきてるけど、接客できそうにないの」
(やっぱりそうだったんだ……)
先ほどから気になっていた顔の高揚は、梅毒トレポネーマと言う細菌による感染で発熱しているのだろうと解釈した。
「あのね、私、ホタルの病気治せるかもしんない」
「本当? どうやって治すの?」
「薬があるよ!」
梅毒はまずアンティーターでは見ない病気だ。医学本でしか見たことが無かったが、ペニシリン系の抗生物質で治すことができることを知っていた。抗生物質は幅広い用途で使えるので、誰かが持っていることは確実だろう。
「……お金、あんまもってない」
「要らないよ」
「それはダメだよ! そんなの貰えない」
アゲハは驚いてしまった。まさか断られるとは思わなかったのだ。お金が無ければ、対価交換と言ったことだろうか?
「じゃあ……」
アゲハはしばらく考え込んだ。
華やかな世界、儚いけど美しい人たち、綺麗にスタイリングした髪型や顔立ちに見合った上手なメイクの仕方……、アゲハはそんな煌びやかな世界の住人たちを素敵だと思ったことを思い出す。
「私にメイクとヘアアレンジの仕方教えて!」
そう言うと、ホタルは目を大きく開けた。ラメが入ったカラーコンタクトレンズが、星屑のようにキラキラと光っている。アンティーターで一時期流行ったものだった。勉強だけしていたアゲハには、縁の無いものだったが。
「そんなのでいいの?」
「うん」
そんなのでいい、ではない。いや、むしろ、それがいいのだ。アゲハは失っていた青春時代を取り戻そうとしていたのかもしれない。
その時、頭上から「お前まだいたのかよ」と、呆れたような声が降って来た。
「おい、かえんぞ」
そう言って腕を掴んだのはジガバチだった。
「え!」
アゲハは思わず声を上げた。いつの間にか、そんなに時間が経っていたのか、と驚いたのだ。
「アゲハ! また来る?」
「もちろん!! さっきの約束忘れないでね」
アゲハは振り返ると、ホタルに手を振った。
足早にA1地区を後にするジガバチに、アゲハは浮足立って背中を追いかけた。
「嬉しそうだなァ、アゲハ」
ジガバチは後ろを振り返って言った。それから、少し遅れているアゲハを待つ。
「友達が出来たんです」
アゲハは寒さからか、はたまた胸の高鳴りからか、頬を染めて今日あったことを報告した。
「よかったじゃねーか」
ジガバチは、一通りアゲハの話を黙って聞くと、そう言って笑った。その笑顔が、本当にそう思ってくれているようで、アゲハは嬉しかった。
だが、ちょっと自分の話をし過ぎたな、とそこで我に返る。ジガバチの方はどうなのだろうか。
アゲハはハイエナの家に入り込むや否や、今回の成果について聞いた。
「読み通り、スカウトだったぜ。次開かれる
予想以上の収穫に、アゲハは舌を巻いた。黙って聞いているアゲハに、ジガバチは話を続ける。
「で、ショウジョウの件だが、潜入から捕獲までは俺一人でやりてーんだ。お前は大人しく待ってろ。うまくいけば、もう一個のスワームの足取りもつかめるかもしれェ」
アゲハは二つ返事で、この申し出を快諾した。彼の得意な戦術は、複数で潜入するには不向きだった。かえって足手纏いになりかねない。そして何より、ジガバチの手腕は間違いないものだった。
「あの、それで折り入って相談が……――」
アゲハはすまなさそうな表情を浮かべ、抗生物質の打診を持ち掛けたのだった。
「ナナホシはいつからハイエナさんたちの手伝いをしているの?」
昨日の出来事を報告するために、アゲハはナナホシの元に来ていた。
一通り報告が終わるとすぐに、ナナホシはホウジャクに何かを頼むと、アゲハにしばらく待つように言った。そのため、アゲハは近くの椅子にちょこんと座る。
作業をしているナナホシの背中を見つめ、ずっと思っていた疑問を持ち掛けた。
「三年くらい前、私もアンティーターに住んでたのよ」
パソコンに向かって作業をしていたナナホシは、作業を続けながら答えた。
「そうだったの!? ……どうしてここに?」
「私の両親ってさ、控えめに言ってもとんだクソ野郎共だった。私たちがきっと、親の勝手に抱いた理想の兄妹と違ったからでしょうね。恨み辛みを書き殴った遺書を遺して、母親は自殺したわ」
「そう、なんだ……」
素っ気なく淡々と答えるナナホシに対して、アゲハは目を伏せた。
「最初はほんの出来心だった。母親が死んで、事件性が無いか保衛官たちが来た時にイミューンシステムって何だろうって気になっったのが始まり。それで、イミューンシステムとカーディアックシステムにアクセスしてしまった」
そこで話を止めると、ナナホシは立ち上がった。そして、プリンターの方に向かいながら話を続ける。
「カーディアックシステムには、データを改ざんした跡がいくつもあったの。単純にすごいなって思った。普通の人なら見過ごすような、それこそ、人工知能でも見落とすような小さなほころびだった。それを見つけたことは、快感だったわ。何を書き換えたのかまでは分からなかったけどね。でも、世の中の汚い部分が分かっていく達成感は、言葉に言い表せないものだった。一般市民どころか、データ改ざんなんてやってる本人しか知らないようなことがを私だけが握ってるのよ。パズルのピースを埋めるように、どんどん夢中になって……、そして、父親にバレた」
ナナホシの正体が見えた気がした。ナナホシは天性の才能を持つ、ハッカーだったのだ。
アゲハはプログラミング言語やソフトウェア開発などと言った情報科学や情報数学の世界は疎かった。その上、全く才能が無かったため、ナナホシの偉業ともいえる大罪がどれだけすごいものなのかなんて、到底理解できない。しかし、その道の天才であることは間違いなかった。
「父親は、私を通報した。すぐに兄さんが私を庇ってくれたけど、兄さんにそんな才能は無かった。第一、得意分野がまるで違うしね。保衛官が来て、周囲に見せしめのような私刑が行われた。兄さんは最後まで私の無実を訴えた。だけどそのせいで、二人とも廃棄対象になってしまった。そこで助けてくれたのが、ハイエナさまなのよ。兄さんは私に罪悪感があるんでしょうね。私はここで、キーボード叩いて、機械いじりしている間に、今もずっと、体を張る仕事をしてる」
あの日、アゲハが小さいころに見た保衛官に摘まみだされている男を思い出した。そうか、見せしめなんだ、と、周囲のあの目、冷たい目を思い出してアゲハは小さく震える。
「でも、私は別に良いの。今の方が好き。ありのままで生きれるここが好きなのよ。だから、自分のやったことは罪なんて思っていないし、後悔もしていない。早く兄さんに自分のことを許せるようになってほしいと思ってるわ」
ハイエナを崇拝し、アゲハに苛立つ、そのナナホシのルーツが分かった気がした。そして、改めて自分の温さを思い知らされ、顔が思わずして険しくなる。
「はい、これ」
「何これ?」
浮かない顔をしているアゲハに差し出されたのは、図面がプリントアウトされている冊子だった。
「賭場の図面よ。さっき兄さんが外観の写真のデータ送って来てくれたから、
「……ありがとう、渡しとく」
建物の外観だけで、内装がすべてわかったというのか? アゲハはナナホシの武器の強さに絶句した。忘れないでお礼を言うのがやっとだった。
「これが私の強かさよ。ここで生きるためのね。どっちがハイエナさまの右腕になれるか、勝負よ」
そう言って、ナナホシは笑った。“悪意”を感じない、清々しい笑顔だった。
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