3-2
「おい、気きまずいだろが。なんか喋れ」
ここは夕暮れの廃都市中心付近の繁華街A1地区。廃都市の眠らない町で、ジガバチはそう言うと、肘でアゲハをどついた。
アゲハは大きく前によろめく。
「先日のヤママユの件は、どうもありがとうございました。まだお礼ちゃんと言ってなかったので……」
そういえば、あれからほとんどまともに二人で会話していなかった。それを思い出したアゲハは頭を下げた。
「はア? そんなことしか言えねーのかよ。どうでもいいだろ」
ジガバチは短く返事をすると、かったるそうにしゃがみ込んだ。
ヤママユを殺害してから三日が経った。ハイエナはアンティーターに行くと言って、今朝方旅立った。そんなわけで、ここぞとばかりにナナホシが仕切りはじめ、仕事を押し付けて来たのだ。
★
「いい? アゲハ、兄さんの仕事の成果を水の泡にした分はきっちりと取り立てるわよ」
細い眉をキッと吊り上げて、ナナホシは言った。「はい」と言うしかなかった。
そんなきつい態度の妹を、まぁまぁ、と言ってホウジャクが宥める。
「廃都市は反時計回りに一から四まで番号が振られてて、中心から円周にかけてAからDまでアルファベットが振られてんの。んで、今回A1地区で張り込みしてほしいの。そんだけでいい。アンタでもできる」
ナナホシはいとも容易い仕事である、ということを嫌なほど強調した。
「Aって、この前ヤママユがジガバチを買ったところだよね?」
「そう、ちょうどA3地区らへんね。今度のとこは兄さんによると、スカウトが来てるみたいなの」
「スカウトってスワームの構成員の?」
ナナホシはこくりと頷いた。なるほど、話が見えて来たぞ、アゲハは閃いた。
「私じゃなくてジガバチの協力が必要なんでしょ」
アゲハの問いに対し、ナナホシは、何やら煮え切らないような返事をする。
「おい待て、なに勝手に話し進めてんだガキ共」
ジガバチの声が部屋の外で聞こえてくる。
そして、ドタバタと部屋に入って来るやいなや、アゲハの首根っこを掴んで引き摺り出そうとする。
「アゲハの協力が必要よ、お願い」
連れ去られそうになるアゲハに対し、ナナホシは言った。いつもの“悪意”びんびんな高圧的な態度ではなかった。
「兄貴にやって貰えよ」
アゲハの代わりにジガバチが答える。
「分かるでしょ? 兄さんには全くそういう話は来なかったのよ」
ナナホシがそう言うと、ホウジャクが薄く均整取れた唇から、ペロッと舌を出した。ホウジャクは、線が細く色白の美青年だった。対して、ジガバチは二メートルほどの筋骨隆々、加えて悪人顔の大男である。間違いなくお呼びがかかるだろう。
「アゲハ、そうやってまた逃げんの」
その言葉で、アゲハは足をふと止める。
「そうやっていい子ちゃんぶってても、この世界では生きていけない。生きて、やりたいことがあるならもっと
怯んだアゲハにトドメの一声、と言わんばかりの殺し文句だった。
「わかった、やる」
我ながら安い挑発に乗ってしまったな、とアゲハは感じた。しかし、事実である。ハイエナのように、とまでは言わないが、生き残るためには時として残酷にならなくてはいけないのだ。
「はァ? 何勝手に決めてんだ。マジでぶっ殺すぞ」
「私もサポートします」
「何を?」
「このスワームの件が終わったら、駆虫剤、渡します」
「へぇ、まじか」
ジガバチは先ほどまでの態度を一変させ、ニヤリと笑った。
「相変わらず怖ェガキだな」
「ボスを討ったら、晴れて自由の身です。頑張りましょ!」
そう言いながらアゲハは彼の肩を叩いた。大きな荷が一つ下りたような気がした。この勝負、負けでいい、そう思った。こうなったのは自分の責任である。後悔はなかった。
「ま、よくわかんないけど決まりね。ありがと」
「ナナホシ、これでチャラにしてね」
「はいはい」
こうして、アゲハたちはA1地区に行くこととなったのである。
★
アゲハもしたがって、しゃがみ込んだ。ここは街灯も多く、人通りも多かった。家並みも煌々としていて、たくさん人の気配を感じる。娼館が多い気がする。
少し路地入ると、客引きをしている売り子がたくさんいた。
のうのうと生きて来たアゲハにとって、この煌びやかな雑踏はまるで、漫画の世界、映画の世界のようだった。
「私たち、別行動をとった方がいいかもしれません」
待っていたって仕方がない、としびれを切らしたアゲハはそういうや否や重い腰を上げた。売り子は同年代の子が多く、話しやすそうだった。家族を探すふりをして、聞き取りでもしようかと思ったのだ。
だが、立ち上がった瞬間、腕を掴まれる。
「待て、売りやってるって間違われっぞ」
アゲハはそう言われ、手を強く下に引っ張られる。そして、再びしゃがみこんだ。
「ここに居ろ。お前は俺の妹って設定にしとくから」
いい案だな、と思ったアゲハは黙って頷いた。
「こういうの見んの初めてなんだろ?」
「……はい。近代史の授業で少し、本で見たくらいかな」
「へぇ」
ジガバチは世間知らずなことを嘲笑する風でもなく、かといって憤慨する風でもなかった。だが、実際はどうか分からない。アゲハにはこの男の悪意が掴めなかったからだ。
ハイエナといるときは、彼の“悪意”には骨が折れた。アゲハに向けられていないときでさえ、吐き気がするような悪寒や刺すような痛みなどに悩まされていたからだ。その点、ジガバチと仕事をするのは楽だった。
「ああいう、だらだら歩いてるオッサンはカモだ。俺だったら持ち物もスっちまうなァ」
ジガバチの目線の先を辿ると、くたびれたような表情の男がトボトボと肩を落としている。五十代くらいだろうか。
「ほら、見ろ」
ちょうど、派手な格好をした女に手を引かれていた。
「あの女もそうだな、チョロそうだぜ」
アゲハはジガバチが顎でしゃくった先に視線を移した。大きな荷物を持ち、スタスタと歩いている三十代くらいの女である。何がチョロいのかアゲハにはわからなかった。
「化粧が雑、バッグの口が開いている。こういう女は、性事情もだらしねーんだよ」
「……なるほど」
この人は本当にこの世界で生きていたんだ、とアゲハは思った。そして、廃都市を離れ、わざわざ文明もくそもないような山奥で生きていたのに、またこの世界に連れて来させてしまったのだ。アゲハは心の底から申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
何気ない会話の一端に過ぎないかもしれない。だが、生き延びるための知恵が詰まっているのだ。アゲハは一言も聞き逃すまい、と一生懸命聞き耳を立てて聞いていた。
そんな時、カツカツとピンヒールがアスファルトの地面を叩く音が近づいてきた。特に“悪意”も感じなかったため、アゲハは気に留めていなかった。キャッチか売り子だと思ったからだ。
「ほか当たれ」
ジガバチも同じことを思ったに違いない。目線すら向けずに、言った。
「違うわ。あなたを買いたいの」
アゲハはハッとして顔を上げた。傍らに立っていたのは艶美な女だった。彼女はこの真冬の中、黒のタイトなミニスカートに網タイツ、ワンレンの前髪を掻き分けた。
「高くつくぜ、俺ァ」
「あなたが欲しい情報を持ってる。仕事、探してるんじゃない?」
(これって……スカウティング?)
こんなにも早く向こうからやって来るとは! アゲハは思わず戦慄した。ちらりとジガバチの方を盗み見ると、同じようなことを考えているような気がした。
「その話、のった」
そう言うと、「先帰ってろ」とアゲハに耳打ちした。とりあえず、その言葉にうなずく。
「妹? かわいいわね」
アゲハの方を見て、にっこりと笑った。真っ赤な口紅が、彼女の妖艶さを際立たせる。
「まあな」
繁華な雑踏に消えていく二人の後姿を見送ると、アゲハは腰を上げた。
さて、どうしようか、とアゲハは背伸びしながら今後のことについて考えた。帰るか待つか、迷っていた。そんな時に、不意に肩を叩かれた。
「もしもし」
まるで鈴が鳴るような透き通った声で、アゲハは声を掛けられた。パッと振り返ると、同じくらいの背丈、年齢の少女が立っていた。きれいに化粧をして、着飾っている。薄着のドレスコーデに不釣り合いなマントを羽織っている。この子も売り子なのだろう。
「急にごめんなさいね。さっきからずっと、あなたと話してみたいなって思って機会を窺ってたの」
突然のことで、アゲハは心臓がバクバクした。ハイエナの知り合い関係で、ここの人と会話したことが無かったからだ。それに何と言っても、色々とボロが出ないか心配だったのだ。
アゲハは何て返そうか、と少女が
バラ疹に間違いないだろう。彼女は梅毒に掛かっているようだった。
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