◇
公園に軽自動車を停める。外はすっかり暗くなっていた。
「なにするの」
助手席に座る女が、ギョッとして顔を上げる。
そこは、木々の掠れた音だけが支配する静謐な空間だった。暗闇には、男ひとりの息遣いしか響かない。不気味な雰囲気なのに、彼はちょっとだけ楽しそうだった。自分が生来臆病であることなんて、忘れてしまったようだった。
「結局、全部ダメだった」
そうだね、と芝生を行く男の後をつきながら女は返した。
「エッセイの募集が始まってしまった」
「なれなかったね」
「うん、バーチャルタレント」
「書くのやめるかぁ」
「もう書いちゃったよ」
「仕事が早いね」
「早いだけだよ」
「辞めるのも早かった」
「何の話?」
「市役所の臨時職員」
「ああ……」
「試験受けて、正式に働いてくれればいいのにって」
「言われたっけ」
「うん。二年前に」
「……そっか」
公園の隅に立つと、男はポケットをまさぐった。
月明かりはない。周囲に人の気配がないことを改めて確認してから、彼はそれを取り出した。
「スマホ」
「それとカプセル」
「チョコ菓子の中に入ってたやつだ」
「撮影に使ったやつだね」
「どうするの」
「僕は、バーチャルタレントになれなかった」
「そうだね」
「エッセイ、そんなの誰も読まないよ」
「山もない」
「谷もない」
「じゃあ、面白くないね」
「だから、面白くしようと思うんだ」
「へえ」
「エッセイは、現実の話だ」
「実話」
「リアル」
「本当の話」
「彼らはいつも、過激なことで盛り上がる」
だから、と。
男は片手に持っていたスコップを、地面に突き立てた。何度も。何度も。穴と呼べる程度になるまで幾度となく掘り続ける。すると、それは、本当に穴になった。
「器物損壊罪だ」
「この土を持って帰ったら、窃盗罪」
「過激だねぇ」
「財宝を埋める」
「埋めたらどうなるの?」
「見つけた人に、賞金百万円」
「盛り上がるかも」
「でも、本当はあげない」
「ワルだねぇ」
ふふ。
くすくす。
その声は、公園の隅っこに小さく響いた。真っ暗な町に、彼はひとりぼっちだった。脳内で考えた内緒のいたずらは、仕掛ける相手がいなかった。空想ばかりしていると、なんだか懐かしい気持ちになった。その気持ちは、きっと本当だった。
うん、と男は言った。
そうだね、と男は言った。
振り返った先には誰もいなかった。そんなことは当たり前なので、彼は構わず帰路についた。言葉はひとつも発さなかった。特別なことは何も起こらなかった。どんでん返しはついぞなかった。
アスファルトは硬い。足裏に覚える作り物の感触は、やけに心地良い。遠隔操作の壊れた鍵をフロントドアに差し込むと、それを、ゆっくりと右に回した。
ねえ。
声がしたので、彼はギョッとして振り返った。
連れ立って歩く男女の姿が、遠い歩道にかろうじて見えた。そこにはふたりの物語とか、生活とか、ドラマチックな七難八苦があるのだろうな。勝手に想像したのは、そんなくだらないことだけだ。きっと彼らのエッセイは盛り上がるだろうと、そう思った。
パチパチと、真っ暗な道に向け、男はひとりで拍手した。
幻想のあなたへ 合歓 眠 @nem_nem_nem_nem
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