公園に軽自動車を停める。外はすっかり暗くなっていた。



「なにするの」



 助手席に座る女が、ギョッとして顔を上げる。

 そこは、木々の掠れた音だけが支配する静謐な空間だった。暗闇には、男ひとりの息遣いしか響かない。不気味な雰囲気なのに、彼はちょっとだけ楽しそうだった。自分が生来臆病であることなんて、忘れてしまったようだった。



「結局、全部ダメだった」



 そうだね、と芝生を行く男の後をつきながら女は返した。



「エッセイの募集が始まってしまった」

「なれなかったね」

「うん、バーチャルタレント」

「書くのやめるかぁ」 

「もう書いちゃったよ」

「仕事が早いね」

「早いだけだよ」  

「辞めるのも早かった」

「何の話?」

「市役所の臨時職員」

「ああ……」

「試験受けて、正式に働いてくれればいいのにって」

「言われたっけ」

「うん。二年前に」

「……そっか」



 公園の隅に立つと、男はポケットをまさぐった。

 月明かりはない。周囲に人の気配がないことを改めて確認してから、彼はそれを取り出した。



「スマホ」

「それとカプセル」

「チョコ菓子の中に入ってたやつだ」

「撮影に使ったやつだね」

「どうするの」

「僕は、バーチャルタレントになれなかった」

「そうだね」

「エッセイ、そんなの誰も読まないよ」

「山もない」

「谷もない」

「じゃあ、面白くないね」

「だから、面白くしようと思うんだ」

「へえ」

「エッセイは、現実の話だ」

「実話」

「リアル」

「本当の話」

「彼らはいつも、過激なことで盛り上がる」



 だから、と。

 男は片手に持っていたスコップを、地面に突き立てた。何度も。何度も。穴と呼べる程度になるまで幾度となく掘り続ける。すると、それは、本当に穴になった。



「器物損壊罪だ」

「この土を持って帰ったら、窃盗罪」

「過激だねぇ」

「財宝を埋める」

「埋めたらどうなるの?」

「見つけた人に、賞金百万円」

「盛り上がるかも」

「でも、本当はあげない」

「ワルだねぇ」



 ふふ。

 くすくす。

 その声は、公園の隅っこに小さく響いた。真っ暗な町に、彼はひとりぼっちだった。脳内で考えた内緒のいたずらは、仕掛ける相手がいなかった。空想ばかりしていると、なんだか懐かしい気持ちになった。その気持ちは、きっと本当だった。


 うん、と男は言った。


 そうだね、と男は言った。


 振り返った先には誰もいなかった。そんなことは当たり前なので、彼は構わず帰路についた。言葉はひとつも発さなかった。特別なことは何も起こらなかった。どんでん返しはついぞなかった。

 アスファルトは硬い。足裏に覚える作り物の感触は、やけに心地良い。遠隔操作の壊れた鍵をフロントドアに差し込むと、それを、ゆっくりと右に回した。



 ねえ。

 声がしたので、彼はギョッとして振り返った。



 連れ立って歩く男女の姿が、遠い歩道にかろうじて見えた。そこにはふたりの物語とか、生活とか、ドラマチックな七難八苦があるのだろうな。勝手に想像したのは、そんなくだらないことだけだ。きっと彼らのエッセイは盛り上がるだろうと、そう思った。


 パチパチと、真っ暗な道に向け、男はひとりで拍手した。 

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幻想のあなたへ 合歓 眠 @nem_nem_nem_nem

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