第21話 デッド オア アライブ

 次の日の夕方、Mに電話をかけた。


 しかし、と言うよりもやはり直接は繋がらず、留守電に伝言を残した。そうせざるを得ない訳なのだが、これはMを蔑ろにしていて、きっと逆鱗にふれる行動。私の声は若干震えていた。


『佳織です。せっかく十二月二十四日の御予約を賜っておりますが、一身上の都合により、申し訳ございませんが御受けできません。店、リプル・ルージュから選りすぐりの素敵な嬢がM様の元にお届けされますが故、是非お楽しみ下さいませ。今後とも、リプル・ルージュの御愛顧、よろしくお願い致します。では、失礼致します。』


 その夜、Mから何回か着信が入っていたが、それに構っていられないほど多忙を極めていた。


 全ての予約を終え、店へと戻った時、まるで蝉の鳴き声のような白熱灯の音が鳴り響く薄暗い部屋の中で、オーナーの口から直接聞いた言葉。


「おい、佳織。Mさんに直接断りの電話入れたんやってなぁ。Mさんかんかんに怒ってはったで。

 まあ、変わりの嬢を送るって話で事は治まったからよかったんやけどもなぁ…。佳織、お前最近よく仕事休むし大丈夫か?もしかして、彼氏とかできたんか?」


 私の顔をマジマジと見つめているオーナーに、今日の売り上げを手渡しながら、


「いえ、そんなのではありませんよ。」

「そうか…。ほなええんやけどな。今はMさんの他にぎょうさん客ついとるからええけど、気ぃつけんとずんずんおらんようになるで。常連は大切にせな、この業界ではやっていけんの、お前だってようわかっとる話やろが。」


 そんな事、今さら言われなくても分かっている。しかし、今はそれよりも大切に想う存在が私にはある。でも、まだ今はそれを明るみにするべきではない。


「お気遣い有り難う御座います。」

「まあ、あんじょう頼むで…。」


 オーナーから今日のギャラを支払われ、一礼して店の扉を後にした。そして、入り口に横づけして私を待っていたⅠの車に乗り込み、家路を後にした。Ⅰの何か言いた気な顔がフロントミラー越しに見えたのだったが、それに何も心動かず、帰路の流れる景色を私はぼんやりと眺めていた。


 Kの仕事は年末に差し掛かるにつれ、更に忙しさを増しているというのをメールで伝えられていて、仕方がないと思う反面、切なさが絶えず心の中に蓄積されていく。

 まるでやり過ごすように仕事を入れる日々の中、いつものように気合の入らない態度は、流石に客にも伝わっているらしい。帰り際に「佳織ちゃん、最近大丈夫…?」と、誰からもかけられるその言葉に、私は静かに笑って頷く事しかできなかった。


 クリスマス・イブ。ついにその日がやって来た。


 この日の詳細は、二十一時に近鉄八尾駅付近にある『ダイニングバー・シャンゼリゼ』の入り口で、Kと落ち合う約束になっていた。


 スーパーは客でごっだ返し、スタッフ全員、血眼になりながら店内を這いずり回っているそんな中、長蛇の列のレジを意気揚々にさばいている私の姿。


 私が退勤する時、専務から「尾脇さんの笑顔、何か初めて見たけどめっさ素敵やねんな。できたらいつもその笑顔で接客して欲しいねんけどな。」と声をかけられ、「お疲れ様でしたー。」とだけ。私は家路を急いだ。


 後に他のレジ打ちパートさんから聞いた話なのだが、いつもは仏教面を決め込んでいる私の、まさかの笑顔を垣間見たスタッフ達と店長が一瞬、脚を止めて見入ってしまっていたとか何とか…。以後気をつけようと心に誓った瞬間であった。


 そんな事はいい。現在、時刻は十八時手前。私は自転車を立ちこぎ、家路を急ぎ、暖かなシャワーで汗に塗れた身体を清潔に拭い去った。夜のメイクとはまた違った方法の、属にいうナチュラルメイクを丁寧に顔へ施し、いつか着る時がくるはずと、とっておきの服を身にまとわせ、首元と手首にお気に入りのコロン。


 タウン情報誌調べで分かった事なのだが、『シャンゼリゼ』は普段から予約を取る事が極めて困難である店らしく、シェフのお気遣いに心から感謝しなくてはならない。それとKにも…。


 心は幸福感にまみれ、私は柄にもなく鼻歌交じりにピアスを耳につけていたその時、机に置いてある携帯が激しく鳴り響き始めた。その着信音はK。『もしかすると私の機嫌をうかがう為に電話してきたのかも』と、私はふと微笑みながら携帯を取った。


「はい、もしもし。」

「か、か、か、かかかかか、佳織ちゃんっ!」


 戦慄するKの声。私の心底に妙な濁流が流れ込まれ始めた。しかし、今はまだそれに負けてはならないと、私は唇を噛みしめた。


「Kさん、どうしたのっ!?」

「い、いや…。実は、後輩が倒れて救急車で運ばれたらしいんだっ!本人からの電話が鳴って、それを取ったら看護師を名乗る人からそれを告げられたっ!!今日の埋め合わせは必ず後日するから!!佳織ちゃん、ホントごめんっ!!」


 受話口から『ツーツーツー』と流されている電子音もそのままに、私は携帯をその場へ転がした。


 後輩の正体は確実にTである。


 これまでの行動から、TはKに想いを寄せている事は明白であり、もしかすると、Kは今日の事を何も思わずTに話していたのかもしれない。この日に限って何故倒れたのかはさて置き、重要なのはTが何故、看護師にKへと電話するように指示したのかという事。それは正しく心底に燻らせていたTの嫉妬であり、憎悪である事など、女の私には分かり過ぎるほどである。


 普通の考えなら、救急車で運ばれるほどの様態なら、赤の他人であるKよりも、連絡する他はあるだろう。更に思考を膨らませると、その看護師にKの存在をきっと、身内というより彼氏と打ち明けたのかもしれない。


 その浅ましさに私は反吐が出る想いに苛まれたが、今はもうどうする事もできず、私は声にならない叫びを上げながら携帯を力のまま放り投げると、カーテンに行く手を阻まれ、その場に落ちた音が聞こえてきた。


 まるで脱皮したように脱ぎ捨てられた服。苦しい変体を終え、彩った服を身にまとった私は華々しい蝶ではなく、やはり蛾なのかも。鏡に映った顔は悲しい女狐のように思え、自分自身を化かして、空虚をつかみ喜んでいただけなのかもしれない。


 気がつくと眼から止めどなく涙が溢れていて、ピアスを外し、セットした髪をくしゃくしゃにかき乱しながら、泣き叫んだ。


 もういい。どうにでもなればいい。私は棚の奥底へと密かにしまいこんでいたMの薬を取り出し、プラシート全ての薬を掌に押し出して、ままよと口へと放り込み、そして、机の上にあるポットを徐に掴み、薬を体内へと流し込んだ。


 しばらくすると視界が歪み始め、ふと目の前に現れた幻想をふわふわとした意識の中で眺めていた。


 テーブルを囲み、談笑し合っている私とKの姿。そこに何故かMが突如現れ、私の頬を力強く叩きながら、何かを言った。その時、Kは…。


 心の中が爆発したような可笑しさが込み上げてきて、

「ぎゃは、ぎゃははは、ぎゃはははははははははははっ、はああああああ!!!!」


 暗い闇の中、ブリキ細工のような影が、カタカタと小刻みに震えていて、いきなり止まった。

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