第12話 イン ザ ライフ、オン ザ フェイト
その3日後の昼間、いつものようにレジ打ちの仕事をしていた。
「210円、525円、315円。お会計、1050円になります……。」
1100円受け取り、お釣りの50円を手渡した。
「ありがとうございましたー。」
そして次の客へと移る、只それだけ。
日中はまだ暖かな日があるものの、夜になればめっきり冷え込むようになった昨今。冬野菜や鍋用のスープがよく売れるようになっていて、嬉しそうに買い物をする夫婦やカップル。そして親子の姿。
羨ましいと思わないと言えば嘘になるが、一人暮らしなのでそう思ってみても仕方がない。
朝方、帰宅した際、冷たい部屋の中にいると流石に淋しく感じる訳で、とにかく自分もいい加減、冬支度をしなければならないと切実に思った。
ふと、レジ台に缶コーヒーとジャムパンが一つずつ置かれ、
「105円、105円。お会計、210円になります。」
どのお客様の顔も、まじまじと見る事などない。目を伏せさせながら、
商品をそのまま袋に入れ、差し出したが、客からの反応はなく、私をじっと見つめる視線に気がついた。
訝しく思い、客の方に一瞬視線を向けたその時、思わず心臓が口から飛び出そうな感覚に見舞われた。
私の方に視線を向けて佇んでいる客は、まさかのKだった。
『ここに務めている事は、スーパーのスタッフ以外誰も知らず、夜の私を知る客、そのまた逆も然り。大げさと思うほど、逆の恰好を施している私の正体に気づく筈などない。多分Kは、バイクでうろうろしていた際に偶然ここへと立ち寄ったのだろう…。』
そう思い返し、「お会計、210円になります…。」こちらを呆然と見尽くしているKに、再び声をかけた。
「あ、すいません…。」
Kはようやく我に返った様子で、ポケットから小銭を手渡してきた。袋とお金を引き換え、私は再び視線を伏せ、いつものように、
「丁度頂きます。ありがとうございましたー。」
私の無機質な態度に、Kは無言で首を捻らせると、何食わぬ顔をしてスーパーを後にした。
自身が驚くほどみすぼらしい恰好の私を、自分の事しか頭にないばかりの者達の誰が見抜けるものか。
しかし、流石の私も此度だけは驚愕し、思わず表情に感情を出しそうになってしまった事は否めない。私は思わず深い息をつき、心を入れ替えて次の客の商品を手に取った。
その夜、Kから一通のメールが届いた。
確認はしていたものの、返信するゆとりもないくらい今宵の仕事は忙しく、その場でメールフォルダーを開かなかった。
仕事を終えた帰宅途中、いつになく空腹を覚えていた私は、コンビニへと寄って貰い、衝動のまま、お弁当とスイーツを購入した。
そして、まだ暗く沈む部屋。そっと間接照明を灯し、イランイランの香に火をつけた。お弁当とハーブティの組み合わせは如何なものかと思い、急須に緑茶の茶葉を入れ、湯を注いでいたその時、ふとKのメールの事を思い出した。
私はトレンチに急須と湯飲みを乗せ、いそいそと部屋へと戻り、コンビニで温めて貰った熱々のお弁当を開封し、とりあえず米を頬張りながら湯飲みに茶を注いだ。
Kの家で出された茶の薫りと比べると確実に薄い、気がする。入れたての暖かな茶を口へと含ませ、フヤフヤにふやけた揚げ物を口へと放り込んだ。
窓から薄く光りが漏れ始めていて、時刻は6時前。ようやくこの街に朝が訪れようとしている。
コンビニ弁当を美味しく感じた事はこれまでになく、何故か味わい深く感じるのは朝の光のせいなのだろうか。それとも…。
もう一度米を口に、私は鞄から携帯を取り出した。
『こんばんは、佳織ちゃん。多分仕事中だと思うけど、ごめんね。バイクに乗せる約束の話なんだけど、翌週、木曜日なんてどうかな。20時に佳織ちゃんの最寄りの駅まで迎えに行こうと思うんだけど、返信待ってます…。』
昼間の事は触れられていない。それはいいとして、その木曜日の予約状況はどのようになっているのかと、手帳を確認すると、まだ何も書かれていなかった。
私は安堵の息を漏らしながら、再び携帯を手に取り、
『朝方、大変失礼と思いながらのこのメールをお許し下さい。件のお約束。翌週、木曜日の20時。大丈夫でございます。が、一点だけ…。Kさんの最寄駅で落ち合うというのはどうでしょうか?』
きっとこの提案に邪な伏線など存在しないのは分かっている。バイクデートを促したのは私の方であるが、まだ心底を委ねる間柄になった訳ではない。最低限の防波堤を築くのは当たり前である。
こんな夜明けのメールにも関わらず、Kからの返信はやけに早かった。
『明るいメール返信、有り難う。それじゃ、佳織ちゃんの御言葉に甘えて、その日、その時間に近鉄高安駅で落ち合うようにしようか。楽しみにしてるから、決してドタキャンはしないように(笑)。それじゃ、後ほど…。』
多分、私の思惑に気がついているのだろうKの物言い。それはそれでいいと思いながら、『私も楽しみにしております。』と送り返し、多分これで完結する。と、携帯を消音して充電器に差した。
既に冷えた湯飲みとお弁当。やはり美味しく感じるのは多分、きっと。
窓へと視線を向けると、帰宅した時とは打って変わるほどの光が白く満ち溢れていて、遠くから車のエンジン音と電車の音が聞こえていた。
今日は昼の仕事もなく、夜まではオフタイム。
入念に湯を浴び、全てを忘れて眠りにつこうとその場を立った私の心は、妙に温かかった。
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