第4話 アナザー
少しだけ自分語りをしておこうと思う。
私、尾脇佳織は鹿児島の田舎街で産まれた。両親の不仲が原因で親類とも疎遠になり、誰の助けを借りる事もできず、毎日毎晩喧嘩ばかりを繰り広げる両親の姿を見ながら学生時代を過ごした。
高等学校卒業を期に、バイトで溜めたお金を駆使して、大阪へ逃げるようにやって来た。もちろん頼る身寄りなどいるはずもなく、貯金もすぐ様底をつき、どうしようと求人情報誌を開いても女では対して金になる仕事はなかった。
そんなある日、郵便受けに入っていた一枚のチラシ。それはピンクチラシであり、その裏には求人の案内。米を買う金すら困っていた私は、迷う事なく電話をかけたのだった。
こうして私はデリバリーヘルス、略してデリヘルと呼ばれている出張型風俗の嬢で生計を立てている。
店のHPには入店した時から変わる事のない歳と、本名の佳織という名前。そして顔にモザイクをかけた全体写真を載せている。源氏名を名乗る事を勧められたのだったが、それは自分否定しているような気がして、本名を貫き通す事にした。
鹿児島から大阪へと来たその年から今の今まで、都合8年間。この仕事をしている私の実年齢は26歳。この業界にいるには正直キツい歳である。
それなのに何故私がこの仕事に噛り付いているかというと、ただ単に金の為と今はそう申し上げておこう。
髪をカールアイロンで細かいウエーブをつけ、付け睫毛と赤いルージュ、派手なメイク。仕事の時だけのささやかなネイルチップと、身体のラインを強調させ、胸元の開いた原色の服。
一流ホステスから学ぶ男を魅了する佇まい術や、一流ホテルマンの接客術をセミナーや本で学び、喋り方や方言の鈍りで地元を特定されないように何とか標準語を習得した。
日々弛む事のない努力を重ね、そして今に至る。朝方まで仕事をし、家に帰って十時くらいまで眠る。それから…。
実は誰にも言えないもう一つの顔が私にはあり、昼の十二時から五時までの間、近所のスーパーでレジ打ちのバイトをしているのであった。
その時の恰好というと、夜の私とはまるっきり逆。
牛乳瓶の底のような眼鏡をかけ、後ろで一つに纏めただけの髪。何年着たか分からないよれよれのトレーナーと色褪せたジーパンという昼の私。
そのレジ打ちをする理由は、本来の自分の姿を見失わない為。ただそれだけである。
万が一、スーパーの誰かがデリヘルを利用し、私を呼びつけたとしても、気づかれない自信があり、もしかすると自虐的な賭けを楽しんでいるのかもしれない。
ばれた時は全てを失い、そうならない為にも、違う自分を作り出さなければならないのだから。
南森町という場所に夜の仕事の詰所があり、大体二十時くらいにそこへたどり着いておけばいい。そして朝方まで各所戦場へと送り込まれるのだった。
昼は人々の物欲を、夜は男の性欲を垣間見て、睡眠と引き換えに金を稼ぐという朝も夜もない私の生活。抱えるストレスにより食欲さえもおざなりになっている中、私の唯一の癒しは、自宅でのんびりと過ごす時間である。
好きな薫りの香を炊き、LPプレーヤーでスローレゲイを流し、ローズマリーとミントのハーブティに舌鼓を打ちながら過ごす、私にとって掛け替えのない時間。必要不可欠であり、究極の癒し。
確かに男性からの愛の告白はこれまでに幾度かあった。しかしその全ては夜の客であり、作り上げられた私の姿に惚れているだけである。
すっぱり断ってしまうと指名数を減らす要因になってしまう為、まるで紙風船のようなふらりとした言葉で交わし続けていた。
しかし、ある理由で深く関わっている男性が一名だけ存在している。
男の名はM。苗字も知らず、どんな漢字を書くのかさえも知らないが、ただ唯一知っている情報は、どこかに努めている精神科医であるという事。
この夜の仕事を通じて知り合ったのは言わずもがなであるが、私の心理描写や思考を即座に見透かしたのは仕事柄、見事だと申し上げておく。
虚を突かれ臆してしまった私の心の隙間へと水の如く侵入し、精神的尋問により、気がつくと自ら全てを語ってしまっていた。過去の事や、思い出したくもない両親の事でさえ…。
それからというもの、この男に掌握されつつあり、身も心も弄ばれる代償のようなものなのだろうか。一つの薬をMから手渡されるようになった。
どうやらそれは安定剤らしく、それを鵜呑みに試したところ、気怠さや鬱々しさが全身から嘘のように消えていくという正しく驚愕の効果。
とてつもなく忙しい時間を過ごす私にとって、その薬こそ必要不可欠なものとなり、朝も夜もない時間の中、自宅で細やかながら過ごすその時間。そしてMという謎の男と、精神安定剤。
それらが大都会に存在する私の全てとなっていった。
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