第2話 後編


 草を踏み締め、坂をのぼっていく。


 目的地である丘のてっぺんに着くと、制服姿の美咲が横たわっていた。

 ビンゴだ。昔からよくここで彼女は空を眺めにくる。美咲に連れてきてもらって以来、ここが自然と集合場所みたいになった。


 草原を絨毯のようにして、彼女の目は夜空に向けられている。

 近づくと、スカートが風で捲れているが見えて、ギョッとした。顔を背け、首から変な音が鳴る。


「お、おい、スカート直せ!」


 俺が来たことに驚きもせず、黙っている美咲。


「聞いてるのかよ、なあ」


 みじろぎ一つした様子もない。とりあえず彼女の方を見ないようにしながら、近くに座る。

 うんともすんとも喋らない彼女に、首を傾げた。


「なんかあったのか?」


 風で周りがざわめく。沈黙が続いた。返答が返ってくるのを諦め、空を見上げる。

 ここの丘では、地球がよく見える。

 特に夜になると、惑星自体が淡く光りを帯びて、ほのかに発光し始める。陸地のところに点々と灯っている小さな光が、星のように見えたりして、けっこう綺麗なのだ。

 地球を綺麗だなんて、口が裂けてもこの世界では言えないが、美咲だけは違う。彼女も同じことを思っているから、ここにくるのだ。


「勇気」


「ん?」


「私ね、あそこで産まれたの」


 視界の端で、彼女が空の向こうを指す。胸騒ぎがした。


「地球が故郷」


 これ以上のパワーワードは、きっとこの先聞かないだろう。驚愕を通り越して、冷静に思う。


「黙っててごめん。死ぬまで、誰にも言わないつもりだった」


 手元の草を握りしめる。


「急に何言ってんだ」


 からかわれているにしては、美咲の声が真剣すぎる。


「冗談でもタチが悪すぎるぞ。そんな馬鹿なこと、」


「地球のスパイだったの」


 は。


「まだ学生だし、大した情報を探れたわけじゃないけどさ。内部の暮らしとかロボットの仕組みとか、いろいろ流してた」


 どんどん付け加えられていく、あり得ない情報。


 しかし長年の付き合いのせいか、彼女が本当のことを言っていると、感覚でわかってしまう。


「いい加減にしろよ。地球からここに来るなんて絶対ムリだろ。空から来ても、軍にすぐ見つかる。どうやって……」


 必死に話の穴を探す。嘘だと言わせたかった。


「テレポートしてきたから」


「はっ?」


「テレポーテーション、知らない? 空間移動みたいなやつ」


 怒る気もなくなる。


「……真剣に、信じられない」


「本当だよ」


「別の惑星にテレポートするなんてできるはずないだろ」


「できたから、私がいるんだけど」


 近くに現れたといっても、宇宙空間の距離は相当だ。

 そもそも、そこまで恐ろしく進んだ技術を本当に持っていたとしても、行うには、莫大なエレルギーがかかる。宇宙を挟んだテレポートの実現なんて、惑星にも大きい影響を及ぼしかねないだろう。


「もちろん実験は何百年もかけてるよ。その分、実験台の人も死んでる。成功したのも、結局たった一回だし」


「え?」


「私だけ、なぜか成功したんだよね」


 その後はまた失敗してたから、理由は今だに謎なんだけど、と付け加えられる。

 テレポートの細かい仕組みを聞きたくても、彼女から得られる答えは何もなさそうだ。一旦、実験について突っ込むのは、置いておくことにした。


「だとしても、いつだよ? 小学校の時からいたじゃんか」


「五歳くらいかな? 偶然繋がった場所が小さな村で、お婆さんに拾ってもらった。すぐに死んじゃったから、その親戚の人にこの辺の施設に入れられたけど」


 次々とあらわにされる事実。


「五歳って……地球では子供を実験台にするのか」


「うん。私、実験のために作られた子供だし」


「えっ」


「もし違う惑星に行って言語が通じなくても、疑われないのは子供でしょ? 研究所にはたくさんいた」


 衝撃だった。正気の沙汰とは思えない。吐いて捨てるような、実験用のネズミのような扱いだ。


「ずっと地球との交信機で、命令を受けてたんだけどさあ。本当は今日の任務で、攻撃に紛れてパイロットを殺せって言われてたの」


 呆然とする。本気で、人の命を、なんだと思ってる?


「さすがに、できなかったよ。確かに地球の人間だけど、ここにいるいろんな人と暮らしてきたから」


 静かに微笑み、目を伏せる美咲。


「だからもうやめて、自首することにしたの。明日には、世界中が大騒ぎだろうね」


 そんなことしたら。


「ここにくることも、これで最後」


 声が出ない。

 夜空にぼやけた、地球の青い光。遠くから見ているとあんなに美しい星なのに。

 どうして、人は。


「いいのか、それで」


 美咲が起き上がり、手についた草を払う。


「逃げろよ」 


 声を張り上げた。


「どこでもいいから、今すぐに。美咲らしくない。勝つためだったら、人を蹴落としても足掻くのが、お前だろ」


 俺より一回りも小さいこの身体は、いつも誰よりも強くあろうとしていたのに。 


「生きていくために、そうするしかなかっただけ」


 はためくスカートを押さえながら、美咲が立ち上がった。


「もう一人は疲れた」

「え?」


 街の夜景を焼き付けるように眺める横顔に、心臓が早くなる。


「勇気は、私のこと憎くないの」


「……憎いわけない」


 彼女から、こそばゆい笑いが漏れる。こちらに向けられるローファーのつま先。


「じゃあさ」


 目の前が揺らぐ。


「勇気にとって、私ってなんだった?」


 /


 

 目が覚める。

 カーテンの隙間から漏れた朝陽が眩しい。スマホを起動させて、床から飛び起きた。


「やばい、寝たのか俺」


 散らばった資料にシワが寄っていて、慌ててかき集めて鞄にしまう。昨日着ていたジャージのままだが、とにかく急ぐ。

 その時、母の怒鳴り声と怒涛な喧騒が聞こえた。窓から、たくさんの人の声とシャッター音のようなものが巻き起こっている。

 荷物を持って玄関にいくと、閉じられたドアの前で、顔面蒼白な母が立ち尽くしていた。


「何かあったの? すごい騒がしかったけど……」


「絶対に出ないで。早く中に戻りなさい」


 まるで俺に聞かせないように、遠ざられた。


「地球から来た桜美咲について、何か知ってることを!」


 心臓が飛び跳ねる。


「スパイのことは知っていたんですかー?」


「彼女は普段どのようなことを? 息子さんとよく一緒にいたという情報が入っていますが」


 鋭いナイフのように飛んでくる質問。気まずそうに、母は部屋に入ってくる。


「朝っぱらから、世界中で大変な騒ぎになってるわ。ただでさえ、パイロット候補生だったしね」


「本当に、もう知れ渡ってるのか」


「まさか、ずっと知ってたわけ」


 母の顔が険しくなった。

 ずっとじゃない、と呟いて目を伏せる。昨日、帰ってくるなり部屋に閉じこもった俺の様子が思い当たったのか、「そう」と溜め息をつかれる。


「それでも、外出は禁止ね。あんたの身も危険になる」


「……今、どうなってる?」


「幼少期に送られてるから、地球の情報をあまり知らないってことまでは報道されてるわ。でも、やっぱり情報は流してたわけだから……死刑の可能性もあるって」


 喉が急速に乾いていく。外は塞がれている。

 でも、この計画を研究所に直談判にしにいくより、ずっといいかもしれない。

 顔出しだから、人生もかけることになる。


 でも今、やってやる。


 母がリビングのカーテンを閉めにいった隙をつき、俺は玄関の扉を開けた。

 水をかけられるようにフラッシュが焚かれ、目を覆う。距離をぐんと詰めかけてくる記者の質問の勢いに押し倒されそうになりながらも、必死に声を張り上げる。 


「地球と、協力しましょう!」


 一瞬で、喧騒が止む。母が悲痛な声で俺を呼ぶのが、空しく響く。


「……いきなり、何ですか?」


 冷静に、記者の一人が呟く。呼吸を落ち着かせて、資料を掲げた。


「これは桜美咲から提供されたテレポートの情報と、それを元に考えた磁力を打ち消す機械の計画書です」 


 怪訝な顔をする記者たち。 


 そう、原因は、テレポートだ。


 地球が現れて百年間、距離が縮まることはなかった。

 しかし、距離が縮まり始めた十二年前。ちょうど美咲が五歳で、テレポートしてきた時なのだ。

 つまり、テレポートに使われた莫大なエネルギーで、地球の磁力を変えてしまった可能性がある。

 それ以来、テレポートの失敗をし続けているのは、圧倒的に使い果たしてしまったエネルギーを、再度集めるのに時間がかかっている。

 しかしテレポートでなくても、同じ惑星である俺たちのエネルギーを分け、また莫大のエネルギーを地球に流せたら。


「地球と協力して、テレポートに使われていた莫大な電流と熱をエネルギーに変え、惑星に流すんです。そうすれば、引力が打ち消される可能性がある」


 馬鹿げた科学の話が聞きたいんじゃない、と野次を飛ばされる。諦めずに続けた。


「引力が消えれば、縮まっていた距離は止まる。とにかく、衝突で惑星が消滅するのは、避けれるでしょう。研究者の方なら、きっとあり得ない話じゃないことがわかるはずです!」


 証拠のように資料を突き出す。大声を出しすぎて、喉が枯れてきた。


「確かに美咲は地球の人間で、ずっとこの世界の情報を流していたかもしれない。でも俺たちと同じ人間だ」


 グッと唾を飲み、カメラのレンズを見つめる。


「彼女が生きている今なら、地球とも穏便に交渉を取りやすいはず。これが最後のチャンスかもしれない」


 記者の一人が、嘲笑う。


「敵にやられっぱなしのまま、おまけに我々の大切なエネルギーを分けてまで、地球を助けるということですか?」


 別の記者からも、怒りの声が上がった。


「あり得ない。地球のおかげで、どれだけの被害があったか。死んでいった人たちも無念だろう!」


「でも俺たちだって、地球で誰かを死なせてる」 


 胸を張って叫ぶ。


「本当に守るべきなのは世界じゃない。人だ!」


 ギュッと握り拳を作る。

 家族、友達、公園で遊んでいる子供たち、生きている人みんな。

 たとえ、それが敵の人間だったとしても。


「俺にとっては、桜美咲も、守りたい命の一つなんだ」


 歯がカチカチとあたる。口も、手も、震えていた。


「どうか、お願いします。同じように守りたい人がいるならば、俺に力を貸してください」


 静まり返る中に、虚しく響く。


 偉そうに言っておいて情けないけど、俺一人じゃ何もできない。


 少年少女が憧れて夢中になるような物語の、スーパーパワーをもつ主人公ではないのだ。

 頬が濡れていることに気づいた。汗かと思って拭うと、目からどんどんこぼれていく。泣いていた。腕で顔を隠し、勢いよく擦る。


 突然、手を叩く音が鳴った。

 ぱち、ぱち、と遠慮がちに続き、それに一つ二つと加わっていく。どんどん拍手になり出して、自然と腕が降りる。

 たくさんの人の目、それぞれの表情が、最初の時とはまるで違う。大きな拍手の只中で戸惑っていると、褒められるような声で名前を呼ばれ、振り向く。

 嬉しそうに笑っている母に、リビングのテレビに映った、俺の間抜けな顔。


「皆の命のために!」


 結局、運命を動かしたのは、どこからか飛んできたその叫びだった気がする。


 

 /

 

 

 美咲の名前を叫ぶ。鉄柵の中にでうずくまっている背中が、ゆっくりとこちらへ向く。


「ここから出れるぞ!」


 叫びなが駆け寄ると、状況を掴めないのか、美咲は目を白黒させた。


「どういう、こと? なんで勇気が」


「迎えに来たんだよ」


「今日、死刑になる?」


「まさか」


 檻の扉が開かれる。手錠も、兵士によって外された。


「もう誰も、死ななくていいんだ」


 首を傾げっぱなしの彼女の手を握り、外へと連れ出す。


「な、なんで自由に歩けるの。私の処分は?」


「いいから着いてこいって」


 収容施設から出て、戸惑ったままの美咲を、目的地まで引っ張る。

 道が見慣れたものになってきて、坂を登り始めると、美咲もどこに行くのかわかったようで、自然と足取りが軽くなった。


「……なに、あれ」


 いつもの丘の頂点に着く。街の中心地に設置された大きい装置が見える。サプライズプレゼントのように、じゃじゃーんと手を上げて紹介した。


「あれが世界を救った、地球との共作“磁力打ち消し装置”だ!」


 目と口を外れたように、呆然としている美咲。

 仕方なくここ一ヶ月の経緯を始めから話すと、ようやく少し事態が飲み込めたようだが、それでも瞳孔は不安げに揺れていた。


「……本当に、そんな嘘みたいなことが、成功したっていうの?」


「ああ! 歴史的瞬間だったよ。科学っていうのはやっぱりすごいな。早く俺も研究者になりたい」


 すると彼女は、研究者ね、と訝しげに眉をしかめる。


「地球と協力する案、勇気が出したんでしょ」


 え、なんでバレた。


「昔から、地球に人がいるなら仲間になるべきだ、とか言ってたじゃない。普通の人は、そんなこと考えつかない」


「そうだっけ」


 首をひねる。覚えてない。


「やばい奴だと思ってたけど」


「なんだと? 俺がどんな気持ちで……」


 言い返そうとして横を向いた瞬間、言葉を止める。


「そんなふうに言ってくれて、嬉しかった」


 きらりと光る目尻のふち。こぼれた雫が、白い頬を伝っていく。

 見つめている俺に気づいたのか、すぐにそっぱをむかれた。初夏の爽やかな風が俺たちを包む。


「叶えられたのは、皆のおかげさ」


 息を吸い、空を仰ぐ。


「地球にも、俺たちにも、同じ命がある。お互い、守ろうとしていたものは同じだったから」


 晴ればれとした青空に浮かぶ地球。


「戦いは、終わりだ」


 地球は綺麗だ、と胸を張って言えるようになるのは、これから遠くないだろう。


 同じように地球を眺めていた美咲が、

「……それなら、あのロボットも無くなるのか」とおかしそうに笑う。


「偉そうにしてたパイロットたちも、新しい就職先を探さなきゃいけないわけね」


「いやあの宇宙ロボット、これからは地球との貿易とかに使うらしいから、パイロットはなくならないんだとよ」


「へえ?」


「いずれは民間人が旅行できるように改良するから、美咲も帰れるぞ。地球の人も歓迎してくれるんじゃないか」


「……どうせ、一人だから意味ないよ」


 彼女の手に力がこもった。その力に返事をするように、俺も強く握りなおす。


「その時は、俺も一緒に行く」


「えっ?」


 素っ頓狂な声が上がる。


「もう、美咲を失いたくないから」


 真っ直ぐと、俺を捕らえた美咲の瞳。映る自分と向き合うのは恥ずかしかったが、それでも目を離さない。


「あの時の返事の、つもりなんだけど」


 数秒後、もっとちゃんと言ってよ、と何故か頬を叩かれ、地面に転がされた。

 手を繋いだままだったから、美咲も一緒に倒れたが、そのまま並んで寝ころんだ。夜になるまで、ずっとこうしていようと思った。



 今夜もきっと夜空に浮かんだ地球は、最高に綺麗だろう。 

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たとえ、君が地球から来てたとしても ぶるぶるムーン @mikaronic

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