たとえ、君が地球から来てたとしても

ぶるぶるムーン

第1話 前編

 地球は敵だ!


 登下校で通る壁に貼ってある、色褪せたポスター。凶悪そうな目がついた地球が、俺たちの世界を狙っているイラストが書かれている。

 学校につき、音声認識装置のあるエントランスで、同じ言葉を三回呟く。

 

「地球は敵だ、地球は敵だ、地球は敵だ」


 幼い頃から、何百回と唱えてきたフレーズ。

 扉が開き、機械じみたアナウンスが入る。


『地球を滅ぼすために、今日も一日学びましょう』


 ドーム状の校内に、たくさんの生徒や先生たちが行き交っている。

 ここは、地球を滅ぼすために作られた学校だ。最強兵器を作る技術者や研究者、実戦で兵器を操るパイロットを育成している。

 

 徹夜明けなのか、ゾンビのように歩く技術クラスの生徒の群れを避けながら、教室へと歩く。

 突然、めり込んでくるよう刺激が走った。右のこめかみを手で抑えると、ビリビリと痙攣し、熱をおびた痛みに変わっていく。白いボールが床に跳ねた。


「おー勇気か、助かった!」


 走って近づいてくる足音の正体。自分とは違う、赤線が入った特別仕様の革靴が見えた。

 顰めていた顔を無理やりほぐし、ぐっと口角を上げる。身をかがめてボールを捕まえた。


「窓に当たらなくてよかったぜ。ちょっと強く球遊びしてたら、掴み損ねちゃってさあ」


 まるでいつも世間話をする友達だったかのような、あっけらかんとした口調。

 顔を上げ、相槌を打つ。ニイッと歯を剥き出しにして笑う彼に、手からボールをむしり取られた。


「勇気が当たってくれてラッキーだったよ、じゃあな」


 いや謝れよ。


 肩を叩いて去っていく背中に念じる。口には出さない。

 俺だけじゃない、彼はどこにいてもこういう配慮をされるだろう。世界の希望となる、次期パイロット候補生だから。


 小さなため息をつき、保健室へ行こうと思い立ったその時。

 破裂するような凄まじい音が周辺に響きわたった。その場で流れていた時間と会話が、一斉に止まる。

 さっきの候補生が倒れた。額に赤い痕ができていて、よほど痛いのか苦しみ悶えている。指先からこぼれるボール。転がっていく前にどこからか伸びた白い手がそれを掴み、候補生の手にまた戻した。


「ここで倒れてたら邪魔ですよー」


 悪びれない声。艶やかな髪を肩にはらい、立ち上がる女子生徒。見慣れた顔と目があって、呆れた声が漏れる。


 桜美咲。


 何事もなかったようにどんどん距離を縮められ、いきなり右手を握られた。


「な、なんだよ」


 一歩後ずさる。ひんやりした肌と美咲がいつもつけているフレグランスの香りに、鼓動が早くなった。


「ほら。とどめ、刺させてあげる」


 違和感を感じて、手を解く。

 一本の輪ゴムが手のひらに残されていた。


「……おい、まさか、さっきあいつに当ててたのこれか?」


 自慢げに頷かれる。


「ボールぶち当てても、どうせ謝ってこなかったんでしょ? ちょっとした仕返し」


 どんな馬鹿力だったら、あんな人が倒れるレベルの威力を出せるんだよ。


「ちゃんとやり返しなさいよ。名前通り、出して」


 渡された輪ゴムをポケットにしまい、ため息をつく。


「俺は美咲みたいに、誰彼構わず攻撃したくないんだよ」


 美咲が不服そうに声をあげる。小学生の時からの付き合いだが、頬を膨らませて不機嫌になる癖は変わらない。


「仕返ししないことにも、勇気がいるんだぞ」


 でたそれ、と天井を仰ぐ美咲。


「そんなこと言ってるからナメられるんだってば」


「いいよ、別に。誰かと争いたくないし」


「甘々の考えね」


 溜め息をつかれる。


「勇気だってちょっと頑張れば、あんな候補生にだってやられないでしょ」


「俺は一般生だぞ。しかもガリ勉まっしぐらの科学研究コースのな」


「科学研究だって同じくらい立派じゃない。世界滅亡を回避するために謎と向き合ってくれてるんでしょ」


「敵を打ちのめすド派手なロボットを操る美咲たちには負けるよ。俺と絡むより、あいつらと付き合ってた方が、恥ずかしくないんじゃないか?」


 美咲が黙る。じわじわと放たれ始めた無言の圧に、体がぎくっとする。


「あんた、ほんっとに卑屈すぎ」


 睨みつけてくる美咲。口をつぐんで、目を逸らす。


「卑下してばっかりで何もしないから、成長できないんでしょ」


「なっ、別に俺は……」


「人の気も知らないで、何よ」


 美咲の顔を見てギョッとする。ふっくらした唇に歯を食い込ませ、泣くのを堪えるように、眉を寄せる美咲。何かを言おうと口を開いたが、けたたましく鳴ったアラーム音にかき消された。


『緊急アラート、緊急アラート、地球による攻撃が接近中、地球による攻撃が接近中』


 アナウンスが壁を震わせながら響く。電球が赤くなり、校内全体が血のような色に染まった。 

 空気が変わる。一斉に機敏に動きはじめる生徒たち。一般生はすぐに自分のクラスへ向かい、担任の指示に従わなければならない。

 眠そうだった技術クラスの連中も、目をギンと鋭くさせ、設計図や資料を持ちながら入り口へ急いでいる。彼らは学生でも現地でのアシスタントにつかなければならないのだ。動かない俺たちを追い立てるように、騒がしくなっていく校内。

 背を向ける美咲を、慌てて止める。


「おい、美咲……」


「桜、そんなところで何してる」 


 突如、上の階から降ってきた声。首を上げると、候補生の訓練教官が、怒りの形相で見下ろしていた。


「緊急アラートだぞ。候補生も現地で隊に加わることになってる。早く来い」


「すみません、今行きます」


 美咲が声を張り上げ、駆けていく。結局何も言えなかった。


「そこの一般生、さっさと中に入れっ」


 後ろから怒鳴られる。後ろ髪を引かれる思いで、自分の教室へと走った。

 

 

 歴史の教科書をめくる。体力訓練の授業はさっきの騒動で中止になり、一般科目の授業になってしまった。


「えー今から百年前、突如、上空に地球が現れ……」


 老人の先生が語尾を伸ばしながら、黒板に文字を書く。

 いつも通りのクラス。机の上に突っ伏している生徒が数人、隠れて携帯をいじっている生徒もちらほらいる。


 その時代の話は、勉強しなくても、皆分かりきっているのに。


 窓の外を見れば、本物の地球が、相変わらず浮かんでいる。やはり、今朝のポスターのようなイラストでは、あの迫力を到底表せていない。 


「惑星が突然出現した原因は、いまだに解明されていません。最も有力なのは、異なった宇宙空間に存在していたのが、同じ宇宙空間に移動した、という説ですが、これには理由がありましてー」


 物心ついたときから、地球は空から見えるのが当たり前だった。


「地球と我々の星が、全く同じ惑星であったことです。大気、生命体、人種はおろか、国境も瓜二つ。住んでいたのが宇宙人であった方が、まだ普通でしたねえ」


 しゃがれた声で笑う先生。


「そして十二年前、地球との戦争のきっかけである事件が起こりました。地球と我々の惑星の距離はどんどん縮まり始めたのです」

 

 チョークの粉が、太陽に透けて舞っている。


「調査では、莫大なエネルギーがなんらかの理由で加わり、その影響で惑星の“磁力“の極が変わったと言われていますね。分かりやすくいうと、磁石です。」


 先生がチョークを置き、白く汚れた指を手を叩いて落とした。


「プラスとプラス同士、くっつかない極だった我々の関係が、プラスとマイナスに変わってしまい、引き寄せあっているということですね。地球とこの星はいずれ衝突し、どちらかが本当の地球として生き残るか、このままぶつかってお互いに滅ぶか、二択だったのです」


  蝉が鳴いている。校舎の近くなのか、まとわりつくようにしつこく、先生の声が聞き取りづらい。


「お互いの惑星を守るため、研究者たちがエネルギーの原因を探り続けましたが、結果は今も続いている戦争を見れば分かりますね。地球からの攻撃が始まり、私たちの世界の多くでは、たくさんの犠牲者が出ています」


 俺には、世界がが、昔からよくわからない。 


「そうして私たちも対抗すべく作り上げたのが、あの宇宙戦闘ロボットなのです。ちょうど今戦いに行っているパイロット候補生も、これに乗り、人類を守るために頑張ってくれています」


 命を張って戦うパイロットは、世界中で特別扱いをされる。小学生の将来の夢ランキングでもいつも一位。パイロットになるための塾もある。候補になれるだけで衣食住は支援され、いい暮らしができるのだ。


「我々は皆、地球と戦う同志。パイロットでなくとも、皆さんには、ぜひ世界に貢献できる人材になっていただきたい限りです」


 握っていたシャーペンに力がこもり、芯が折れる。


 俺の高校は、防衛軍に入れる人材を育てることに特化した学校だ。しかし、一般生全員が軍に入るわけではない。

 戦うことが向いていなかったら、普通に勉強して、大学に行く未来に進む。ここはエリート校だから、進学には困らない。

 俺も研究者になるために、そうするつもりだ。


 だが美咲は今年度、たった一人の女子パイロット候補生。男に紛れながら、今も戦っている。

 まあ男と混じってもなんてことないほど、美咲は気が強い。いや、向上心が高いというのだろうか。出会った時から、年齢性別関係なく常に誰かと争い、上を目指していた。彼女はいつも敵対視されるか、一目置かれるかなのだ。

 しかし俺には、美咲の弱々しさがよく目についた。誰も気づかない、それが現れた瞬間を、いつも見つけてしまう。あんな表情を見せられたら、こっちも放っておくわけにはいかない。そうやって気にかけて話していくうちに、美咲とはここまで長い付き合いになってしまった。


 別にパイロットになりたかった訳でも、エリートになるために進学したわけでもないのに、この学校に来てしまったのは、きっとそのせいだ。



 /



 おかしい。


「何がー?」


 口から出ていたのか、夕飯のカレーを鍋でぐるぐるかき混ぜている母が反応した。

 スマホの画面に出ている時刻を眺めて、眉間に皺がよる。


「美咲と、全然連絡取れないんだよ」


「そりゃあ忙しいんでしょう。今日は地球からの攻撃もあったんだし」


「そうは言っても、候補生がこんな遅くまで働かされるはずない。任務があった日は、ノート写させろって連絡が来るはずなのに」


 ブツブツ気にしている俺を、振り向いた母が呆れたように笑った。


「いつもの場所じゃないの」


 ガバッと、息継ぎをするように顔を上げる。


「ちょっと行ってくる」


 腰を上げ、玄関へ走る。ご飯までには帰ってきなさいよという声に、適当に返事をして、家から出た。


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