だらしのないひとびと
なにかに打込めることは、とても素敵なことだと思う。
部活帰りで汚れた制服の学生を見送りながらしみじみ感じさせられた。晩飯前だろうに、肉まんふたつを食べながら家に帰っていった。あれが若さなのか。
そう気づかされるのは、何回目だろうか。そう思わなければいけなくなったのは、いつからだろうか。もうずいぶんと年を取ったような気がする。たったひとつやふたつの年齢の差しかないのに、制服を着ている彼らを見るのは、あんまりに眩しかった。
あの頃のぼくは、いつもマフラーをしていた。それも首に巻きすぎなくらいになる長さのやつだった。端が暗い色がぼくの方、明るい色は彼女の方だと決まっていた。
「この髪の長さはわたしのものじゃないよね?」
「いいや、最後につかったときはそれくらいの長さだったよ。それに毎日いっしょに学校に行っているのに、他の子の髪がつくなんてないでしょ」
「待ってよ。それじゃあこれ、最後に使ってから洗ってないってこと?」
「そうかも」
それはそれでと彼女に怒られた。ずぼらなぼくも悪かったけれど、自分の髪の毛がどれくらいだったかを覚えていない彼女も悪いと言い合った。ぱっちりしていない目を気にする彼女は、怒っていても微笑んでいるように見えてぼくがそれがとても好きだった。
「それにしたって、おっさんはいつ帰るんだ」
「こんなやついくらでもいるだろ。気にすんな。それよりもレジで君を待つ人がいるぞ。油売ってないで行け行け」
「あ、まずい」
どうして立ち読みをしているやつがこんなに偉そうなのだろう。追っ払ってやろうと思ってもいつものらくらとかわされてしまう。となりの部屋に住んでいることだけはたしかであるものの、それ以外の生態はまったくわからなかった。
「貧乏学生の一人暮らしな。頑張れよ」
「おっさん、失礼だぞ」
おっさんとの出会いはこんなものだった。開口一番、隣に越してきた学生にそんなことを言い放つ大人は、どれだけ余裕がない奴だろう。そう思っていたけれど、おっさんと呼んできた学生を気に入り、いつの間にか顔を合わせれば軽口をかわす間柄になっていた。
近くのコンビニでバイトも決まり、生活のためにも働き始めるとよりいっそうおっさんと顔を合わせる頻度があがった。それでもおっさんが何をしている人間なのかはわからず、たしかなことはいつも家にいて、コンビニに来たかと思えばほとんど寝間着のままやってきて、ときどきスーツのジャケットだけを羽織っているときもあった。
「ほい、これとこれください。支払いはスマホで」
「かしこまりました」
「レジ打ちも板についてきたじゃん。せいぜい頑張りたまえよ」
「静かにお願いします」
たいてい雑誌を立ち読みした後、コンビニ弁当を買って引き返していく。厄介なことにいつも長居していくわりに、店長も注意することもない。かと思えば、他のバイトに対しては愛想がよくたまに差し入れをしているらしく自由気ままに生きているらしかった。
「後ろで待っている人がいるから早く行ってください」
「急かすな急かすな」
手をふっておっさんは帰っていったが、どうせまた会うことになる。きっとぼくだけが思っているわけではないと思うけれど、そろそろひげくらいは剃ったほうがいいと思う。
「おつかれさま。待たされる方の身にもなってほしい」
バイトをあがって家に帰ると、コタツでだらけている彼女がぼくを待っていた。数年前のことをバイト中に思い出していたけれど、あのときから比べれば彼女はずいぶんとだらしなくなったものだと思う。暇なときがあれば勝手に家にあがりこみ、気づけば戸棚に入れて置いたものなんかを拝借するまでになったのだ。
「待たせている方の身になったことは?」
「経験があんまりないからわからないなあ」
「一度体験してみるといい。きっと胸がくるしくてはりさけそうになるはずさ」
「何様なんだい。さては、話をそらしたな?」
そもそもが勝手に待っている方がおかしいのだけれど、という言葉をぐっと飲み込み、身につけていたものをその辺になげうってぼくもコタツに入る。
ゆっくりしようとしていると、彼女はきっと立ちあがった。ひっかけてあったマフラーを手に取り、端が明るい色の方を巻くと、ぼくをコタツから無理に引きずり出そうとしてきた。
「どこかに行きたいの?」
「散歩にでも行こうよ。最近時間なくって、少し息抜きがしたくてさあ」
「そんな話はしてなかったけど、今ってそんなに忙しいんだっけ?」
「そうだよお、大体さあ」
ぼくは彼女の首から垂れるマフラーを拾い、端が暗い色の方を巻き付けながら、彼女の日々の愚痴に耳を傾ける。話を聞けば、忙しない日々と新しい環境にいい加減つかれてしまったらしい。もしかすると、普段はだらしなくふるまっている人ほど、見えないところではなにかに打込んでいるのかもしれない。彼女も、あのおっさんも。
「どうしたの?立ち止まって」
「ああいや、なんでもないよ」
少しだけ、さっきまでより世界が素敵に見える気がする。
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