40になった戦乙女は竜に落とされる

遥彼方

第1話

 立てば灼熱。

 座れば爆弾。

 歩く姿は燎原りょうげんの火。


 誰が言い出したのか。それが女傭兵レヴィアを形容した言葉だった。


「見合いだって?」

「あ、ああ、見合いだ」


 ギルドに併設された酒場で、釣書を持ってきたレヴィアの上司である傭兵ギルド支部長は、震えそうになる声と体を奮い立たせた。


 支部長の目の前では、レヴィアが酒を煽りながら、反対の手に持った釣書に目を通していた。普通の人間ならひっくり返るような強い酒を飲んでいるにも関わらず、潤んでもいない藍色の瞳が、強い光を保ったまま釣書をなぞる。


「『戦乙女』の歌は隣国でも吟遊詩人たちが好む英雄譚。先方は『戦乙女』のファンで、大層乗り気だそうだ」


 続けそうになった、本物を知らないからな、という言葉はごくりと飲み込む。


 吟遊詩人たちの歌では、レヴィアは戦場を駆ける絶世の美女『戦乙女』として歌われている。勝利をもたらす女神であり、その強さもさることながら、神々しいばかりの美貌と乙女の純真さで戦場の荒ぶる男どもを鎮めてしまう。


 もう一つ。吟遊詩人の歌うレヴィアをモデルにした英雄譚に、『戦鬼』というのがある。場に立っているだけで恐怖を焼きつけ、爆弾でも落としたかのように周囲を破壊し、野原に燃え広がる火のごとく誰にも止めることのできない、戦の鬼。


 世間では、レヴィアの二つ名、美しき『戦乙女』と恐怖の『戦鬼』は、それぞれ別物の物語として独り歩きしている。見合い相手は『戦乙女』のレヴィアを強く所望しているのだろう。


「ふん」


 レヴィアが形のいい鼻を鳴らす。長いまつ毛に縁どられた藍色の目を細め、血よりも赤い唇から腰にくるハスキーな声を響かせた。


「どうせ『戦乙女』の噂に惑わされているだけだろう。そんな奴は願い下げだね」


 そうして左手で頬杖をついて支部長を覗き込むと、にぃ、と笑った。机の上に乗った豊かな胸部がくにゃりと形を変え、上目遣いの瞳が艶めかしい。


 ヤられる。

 レヴィアの肉食獣の笑みで、支部長の背に震えが走った。


 ヤられるというのは、もちろん性的ではなく、物理でだ。


 レヴィアははっきり言って美人の部類に入る。

 無造作に後ろで一つにくくった青髪は手入れらしい手入れをしていないのに艶やかだ。きりっと太い眉は猫のような瞳とよく合っている。笑えば目尻にこそしわが出来るが、日に焼けた肌に染みらしきものは見えない。

 出るところは出て、引っ込むところは引っ込む。女性らしい曲線美を持ちながらも、鍛え抜かれ、引き締まった肢体はつい先日で四十という歳を迎えたとは思えない。

 かといって二十代や三十代に見えるほど若作りでもない。その代わりに若い娘にはない、芳醇な色香が漂っていた。


 そんな彼女なら引く手あまた。言い寄る男が後を絶たないと、レヴィアを知らない者は思うだろう。

 実際にレヴィアに求婚する者、下卑た目で見て不埒を働こうとする者は多かった。だがそんな男たちをレヴィアは鋭い言葉と過分な力で叩き伏せてきた。


 ちなみに支部長自身も経験済みだ。レヴィアがもっと駆け出しで支部長がまだ中堅の傭兵だった頃。軽い気持ちで尻を触っただけなのに、医務院のベッドで生死をさまよう羽目に陥った。


「そんなことはない。絶対に」

「分かるものか。もし会ってからイメージと違うなんて言ってみろ。その口をふさぐからな」

「待て、大丈夫だ」


 支部長は背筋を凍らせつつ、慌ててぶんぶんと首を横に振った。


 確かにこれまでにも同じような見合い話が幾度とあった。そしてその度にレヴィアは今言ったことを実行してきた。それはもう、比喩ではなく。

 現実を知った者から語られた真実は、レヴィアの二つ名を『戦乙女』よりも恐怖の『戦鬼』として定着させた。ゆえに国内ではレヴィアに求婚どころか色目を使う男さえ絶えて久しい。


 そんなレヴィアに、十数年ぶりに舞い込んできた見合い話。


 可哀想に。生け贄だな。


 対する見合い相手の絵姿にちらりと目を走らせた支部長が、心の底から絵姿の男に同情した。同時に、絶対に逃がさない決意も固めていた。

 そのための先手も打ってある。


「噂ではない真実は先方に伝えている。それにこれは王命だ。そんなことをしたらレヴィア。お前の首も飛ぶんだぞ」


 支部長はコネというコネを使い、ギルド本部を通して国王に直訴状を出してもらった。


 この国の為に長年戦ってきた『戦乙女』にどうかいい伴侶を紹介して頂けないでしょうか。このギルド周辺には、残念ながら彼女の眼鏡に適う男がいないので、出来れば遠方から、と。


 国からの要請なら、見合い相手が実際のレヴィアに怯んでも、断れない。

 そしてレヴィアも。国王からの命令となれば、いかにレヴィアでも断れないだろう。


「ふうん。まぁ、いい」


 レヴィアは今年で四十になった。支部長と同い年である。男でも傭兵としてはとっくに引退していていい年だ。それなのに今尚、戦場に君臨していてレヴィアを超える強者が現れない。


 一体何歳まで最凶なんだ、この化け物女め。


 忌々しいが誰もレヴィアに逆らえない。立場的には上の支部長も例外ではなかった。


 おまけにレヴィアは嗅覚も異様に鋭い。それは戦場以外でも発揮された。


 お陰でギルドの金の横領も、受付嬢との火遊びも、町役人との癒着も、ついでにこれ以上の出世も阻止された。


 レヴィアは支部長にとって目の上のたんこぶ。なんとしても取り除きたい。これからの悠々自適な生活の為に。


 支部長は遠い目をして、今までの失敗に思いを馳せた。


 盗賊団討伐と偽ってアジトに誘い込み、仕留めようとしたこともあった。結果、こっちが全滅させられた。

 竜王がいるという葦沼の竜の巣に放り込んだこともあった。無傷でけろっと帰ってきた。


 今回の見合いが頼みの綱だ。

 目指せ、円満な寿退職。

 支部長は机の下で、冷や汗を掻く拳をぐっと握った。


****


 見合い当日。

 とくとくと早まる心臓を押さえようと、レヴィアはふう~っと深呼吸した。にやついてしまいそうな頬を引き締める。


 レヴィアに飲み物を持ってきたウェイトレスが、ざあっと顔色を青くして、そそくさとカウンターの中に引っ込んだ。

 見合い会場はギルド支部。支部長の計らいで今日だけは受付業務を臨時休業だ。いつもは柄の悪い傭兵たちでごった返している支部のど真ん中で、レヴィアと一人の男が席に座っていた。


 見合い。この私に見合い! しかも。

 ああ、どうしたらいい。めちゃくちゃ好みだ。


 実はレヴィア、この見合いに乗り気も乗り気。小躍りしていた。しかし年甲斐もなくはしゃぐのは恥ずかしく、上手くいかなかった時を考えると、つい消極的な態度をとってしまったが。


「はじめまして。レヴィアさん。ベヘモットといいます。本日はありがとうございます」


 緊張した様子で対面に座る見合い相手は、レヴィアより二歳若いだけのはずだが、とてもそうは見えなかった。


 くるくると癖のある緑の髪。くりくりとした茶色の瞳。線の細い優しげな顔立ち。

 童顔で少年のように可愛らしく、三十代、いや、二十代でも通るかもしれない。

 一般女性ほどしかない、低い身長にもときめいた。小動物みたいで可愛い。


 何を隠そう、レヴィアは小さくて可愛いものが大好きだ。犬や猫、小鳥などの動物。赤ちゃんや子供。雑貨や小物。ぬいぐるみ。見た目も可愛い話題のスイーツ。全てが好き。


 しかし動物には縁がなかった。なぜか遠目でしか見ることが叶わず、絵やぬいぐるみで我慢している。

 赤ちゃんや子供は人見知りされたり、ご機嫌の悪い時ばかり。

 雑貨や小物を買おうとすれば、なぜかシンプルなデザインのものか、ごつくていかついものを勧められる。

 話題のスイーツを食べにいけば、いつも売り切れて閉店するのだ。


 とにかく大好きな可愛いものとは縁がない人生。目の前の男を逃がしてなるものか。


「はじめまして、ベヘモット。レヴィアだ」


 第一印象が肝心。ここは最大限の笑顔でいかねば。

 レヴィアはにっこりと微笑んだ。


 ガタッ。ガシャン。


 受付カウンターの向こう、ギルドの調理場から派手な音がした。対面のベヘモットは柔和な笑顔を浮かべたまま、動きをとめて固まっている。


 大丈夫か。皿でも落としたのではないだろうか。

 ギルドは元々食堂も併設しているが、荒くれの傭兵相手に簡単な食事と酒を出すのみ。今日のように見合いの席となると不慣れなようで、調理のおやっさんもウェイトレスも、裏で見守っている支部長たちも、やけにぎこちなかった。


 レヴィアは少し心配に思ったものの、まあいいかと流した。自分のために動いてくれている彼らのためにも、見合いに集中だ。


 ああ、見合いを持ってきてくれた支部長に感謝しなくては。


 思えば、彼には今まで迷惑をかけ通しだった。


 若い頃、レヴィアの自意識過剰から、ついうっかり・・・・で尻を触ってしまった支部長を半殺しの目に合わせてしまったり。

 盗賊団討伐の依頼で、支部長が寄越した前途ある若手の傭兵ごと殲滅してしまったり。

 『葦沼の主』という竜討伐の時も、同行していた傭兵たちまで気が回らなくて全滅。結局不老不死の血肉も持ち帰れずに一人だけ帰還したし。


 まあレヴィアだけが悪くないとは思う。うぶな若い娘が尻を触られたりしたら、驚いて反撃くらいしてしまうものだろう。といっても四十になった今でもレヴィアはうぶで、つい反撃してしまうのだが。まあ、屈強な傭兵仲間だ。ちょっと突き飛ばしたり殴ってしまったくらいでどうということはない。


 殲滅してしまった若手については、本当に悪いことをした。若手の傭兵たちは経験不足からか、盗賊団のアジトに入った途端、いつの間にか盗賊たちと同じ立ち位置でいたのだから、味方かどうか区別がつかなくなったのだ。


 『葦沼の主』という竜王討伐失敗は痛かったが、そもそも誰も成功したことがないのだから仕方ない。


 そんな数々の失敗があるのだが、どんな時でも気の弱い・・・・支部長は、いつも心労で蒼白くなりながら、レヴィアの起こした騒動を収めてくれた。


 レヴィアも四十歳。体力の衰えは否めない。若い頃は三日三晩戦場を駆けても平気だったのに、今では一晩徹夜しただけで眠くなる。眠くなって動けなくなるのは言語道断なので、手早く片付けていたが。それもいつまで出来ることか。


 それに。口には出さなかったものの、レヴィアは結婚に憧れていた。


 今回の見合いが最後の望みだ。

 目指せ、幸せな寿退職!

 レヴィアは拳をぐっと握った。



****


「どうだ。いけそうか」


 支部長と傭兵たちは、こそこそと調理場から二人をのぞいていた。


「順調そうだぞ。あのレヴィアがまだ相手の男を殴ってねえ」

「気を抜くな。あいつ、まだ尻もさわってねぇからな」


 当たり前である。初対面で殴るのも、尻をさわるのもおかしい。

 しかし。チンピラ同然の野郎どもからすると、女の尻を触るくらいは挨拶がわり。


「はじめまして。レヴィアさん。ベヘモットといいます。本日はありがとうございます」


 それにしても相手の男、ベヘモットは絵姿通り。小柄で少年のような外見は、レヴィアの前にいるとますます悪魔に捧げられる生贄のようだった。


「はじめまして、ベヘモット。レヴィアだ」


 レヴィアのこめかみに青筋が浮かび、唇がにぃっと吊り上がった。


「ひいっ」


 あの笑顔を浮かべたレヴィアに殴られた経験のある支部長たちは、思わず後ろに下がった。支部長たちの背中に調理机が当たる。


 ガタッ。ガシャン。


 上に並べていた食器が音を立てた。慌てて顔を見合わせ、動きを止めた。そっと二人の様子を伺う。

 レヴィアの凶悪な笑みを向けられたベヘモットが固まっていた。


「まずいぜ。そろそろレヴィアの本性に怖気づいてきやがった」

「いや、国王の命令だからな。いくらレヴィアが怖くても逃げられねえ。死刑にされるか、レヴィアに殺されるかだ」

「それだったら、死刑の方がましじゃねぇか?」

「「「……」」」


 シン。張りつめる痛い静寂を、ベヘモットの声が破った。


「お会い出来て光栄です。実は僕、貴女に一目ぼれだったんです」


 ぽっと頬を染めるベヘモットに支部長たちは驚愕する。


「なにぃいいいっ。あの戦鬼に一目惚れだとっ!」

「しーっ、落ち着け、見た目だけならいい女だ」

「確かに」


 こそこそと騒いでいる間にも、二人の会話は続いていた。


「『葦沼の主』の竜の巣でのご活躍をこの目で見たあの時から、貴女のことが忘れられませんでした」

「竜の巣だと? あの時にいたのか?」


 レヴィアが驚きに藍色の目を見張る。


 竜の巣、という単語に支部長たちは小躍りした。


「物好きがいたーーーー!!」

「やったな、支部長」

「もうあいつ、一生ギルドにいるのかと」

「あいつさえいなければ、俺たちの天下だ」


 竜の巣でのレヴィアの戦いぶりは、いつも以上だったと本人から聞いた。竜の巣で惚れたということは、戦乙女としてのレヴィアではなく、戦鬼のレヴィアに惚れたということだ。


 しかし、あの時に部外者が紛れ込んでいたとは。手練れの傭兵たちですら全滅したというのに、運のいい男だ。


 まあ、そんなことはどうでもいい。後はレヴィアさえその気になってくれれば……!


「はい。是非にと国王にお願いして、貴女を落としにきました」


 支部長たちの期待を一身に受けたベヘモットは、大きく頷くとテーブルの上に置かれたレヴィアの手を取り、ひしと握った。


「あああああ! それはヤバい!!」


 支部長たちは頭を抱え、声なき声で悲鳴を上げた。尻でなくてもレヴィアにいきなり触るのはまずい。


「落としに……そうか。そういうことなら受けよう」


 ところがなんと、がしりとレヴィアが手を握り返した。

 奇跡だ。


「おめでとう、レヴィアあああ!」

「やったな、レヴィアッ!」


 嬉しさのあまり滝のように涙を流し、支部長は我慢できずに飛び出した。後ろには、やはり流した涙を袖で拭っている傭兵たちが続く。


「お前たち。そんなに私の結婚を祝福してくれるのか」

「も、もちろんだとも!! 引退後のギルドは心配しなくていいからな! 幸せになれよ!」


 支部長たちの涙を勘違いしたレヴィアが、流石に瞳を潤ませた。鬼の目にも涙である。


「ありがとうございます。あの、お願いがあるのですが、結婚式で見届け人になってもらえないでしょうか」

「お安い御用だ!」


 がははと笑う支部長の耳元に、ベヘモットが口を寄せた。懐から紙を取り出して支部長に渡すと、ぼそり、と囁き、すぐに離れてレヴィアの横に並ぶ。


「ありがとう、支部長。この恩は必ず返そう」

「二人きりになりたいので、場所を変えます。今日はありがとうございました」


 獰猛な笑みを浮かべるレヴィアの横で、輝くような笑顔を振りまいた。


「……あ、結婚しても彼女を家に縛るつもりはありませんから。安心してください。レヴィアさんと共に、末永くよろしくお願いしますね」


 バタン。


 扉が閉まる音と、白目をむいて支部長たちが倒れる音が重なって響いた。


****


 愛しい人の横で満面の笑みのベヘモットは、しみじみと思った。


 長かった。恐ろしく長かった。


 ベヘモットは飽いていた。戯れに人間を蹂躙し、国を潰すのにも飽いた。生贄を要求することも飽いた。

 飽いて、飽いて、住処の沼に引きこもった。暴れることにも飽いたのでじっとしていたら、温厚な存在として崇められたがそれもどうでもいい。獣という獣、竜という竜に崇められることにも飽き、時々やってくる人間の相手をするのにも飽いていた。

 他の竜の話にも飽いていて、人間たちが歌っているという『戦乙女』や『戦鬼』の物語も、聞き流していた。英雄も、勇者も聖女も、戦乙女やら戦鬼やらも、ベヘモットにとってはちっぽけ過ぎて区別がつかない。


 そんなベヘモットのもとへやってきた、人間の女。またかと思って気にもとめなかった存在が、他の竜たちをねじ伏せ、ベヘモットの前までやってきた時、少しだけ興味が湧いた。


 汗にまみれて張り付く藍色の髪。返り血か泥かでまだらに染まった肌や鎧。髪と同じ藍色の瞳が冷たく燃えていた。

 人の美醜は分からぬが、女の驕りも怯えもない瞳が気に入った。


 そして戦いが始まると、歓喜した。

 小さな人間の女が、己の一撃を受け止め、笑ったのだ。山ほどもある巨体の己の一撃を。


 女が連れてきた人間は、塵芥だった。うっとおしいから叩けば、あっという間に動かなくなった。


 人など。撫でるだけで爆ぜる。爪先が掠るだけで裂ける。人の剣は鱗の一つに傷も入れられず折れる。魔法は音と光だけ残して消える。


 だが女だけは違っていた。

 女が浮かべるのは、美しく壮絶で妖艶な笑み。女が動く度にひるがえる青髪は水のように煌き、女が操る剣は嵐の海のごとく荒々しい。


 爪を受けきっていなし、鱗を剥がす。ベヘモットの身動ぎで絶えず隆起する地形を軽々と飛び回り、壁といわず天井といわず蹴って、縦横無尽に駆け巡った。


 女との死闘は楽しいものだった。しかし何千年と生きているベヘモットからすると、瞬きのような刹那の時間。女が人である限り、終わりはすぐ訪れる。


 駆ける足が鈍り、受けきれなかった爪が女の肉を裂く。

 ついに女の膝が折れ、地に着いた。己の流した血にまみれ、突き立てた剣を支えに肩で息をする女の、衰えない眼光がベヘモットを射抜いた。


 惜しい。心底惜しいと思った。


 この女といれば、飽きることから解放されるかもしれない。

 もっと楽しみたい。もっと共にいたい。様々な煌きを見たい。


 ベヘモットは女が鱗を剥がした場所を、爪でえぐった。血の滴るそれを、女の目の前に差し出す。


「喰え」


 瞳に戸惑いの色を浮かべ、無言で見つめ返してきた。それを問いかけと解釈する。


「我が血肉だ。これを獲りに来たのだろう」

「施しはいらないね。戦利品は勝ってこそだ」

「ははははははは! 女。名は」

「レヴィア」

「レヴィア。いい女にふさわしい、良い名だ」


 ベヘモットは目を細めた。女――レヴィアの、低くよく通る声も美しい。


「施しではない。レヴィア。強く美しい君に、これは我からの贈り物だ」

「はっ。まるで口説き文句だね」

「その通り」

「くくく。竜も冗談を言うんだな」


 レヴィアの体が揺れた。気力でもたせていた体の限界がきたらしい。

 ベヘモットは己の血肉を、慎重に倒れたレヴィアの口元へ持っていった。少しでも力加減を間違えれば、レヴィアの体を裂いてしまう。人間の小さな体の小さな口に、巨大な竜の爪で食べさせることは無理だ。断念して血を垂らすと、喉が動いた。


「レヴィア。必ず迎えに行く。その時こそ君を落としてみせる」


 辛うじて聞こえたのか。血よりも赤い唇が笑みの形になった。それきり意識を失ったレヴィアを、小型の竜を呼び寄せて運ばせた。


 己の大きすぎる体では不便だ。彼女らと同じ姿を取ろう。体を小さくするのは時間がかかるが、問題ない。己を飲んだレヴィアは不死身となり、同じ時を生きられるはず。

 その力ゆえに己を狙う人間たちが後を絶たなかったわけだが。今は感謝しよう。


 そうして人間の姿をとり、国王に働きかけレヴィアに会う算段をつけた。国の守護神となり、平和を約束してやる代わりに、レヴィアをもらい受ける誓約も。


「二人きりになりたいので、場所を変えます。今日はありがとうございました」


 勘違いしている支部長という人間に、ベヘモットは輝く笑顔を向けた。


 レヴィアが信頼しているのだから、相応しい幸せと振る舞いでいてもらわなくちゃ、ね。


 ベヘモットは能天気に笑うクズの耳に、国王の書状を渡しながら囁いた。


「国王からの勅命をもらっておきました。金の横領も、受付嬢との火遊びも、町役人との癒着も、ついでにこれ以上の出世も許しませんので」


 ビシリ。支部長が凍り付く。


 ベヘモットは満足して、レヴィアの隣に戻った。止めとばかりに、レヴィアに傭兵稼業は続けさせることを宣言すると。


 バタン。


 上機嫌で扉を閉めた。


 やっと見つけた、可愛くて愛しい竜の番。

 もう逃がさない、離さない。

 ベヘモットはレヴィアの手をぎゅっと握った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

40になった戦乙女は竜に落とされる 遥彼方 @harukakanata2021

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ