第12話
番頭との最初の勝負は、一先ずアルバートの勝ち、というところだろう。だが、まだ騙し合いが終わったわけではない。
「今更、余計な抵抗はするなよ」
「ご安心下さい。本物です」
番頭の言葉には、やはり感情の色がない。そのまま連れられ、踊り場の近くにある部屋に入る。一見すれば、ただの物置である。不審な点は、特にない。部屋を真っ直ぐに進み、奥の壁を、番頭が押す。種を見せられてしまえば、どうということもない。ただただの隠し扉である。建築技術的な仕掛けであり、魔術的な仕掛けすらない。その単純さが、逆に隠蔽力を高めていたのだろう。
腰を屈めて隠し扉を進み、石造りの塔へと入る。中からは妙な生臭さも感じるが、劣化や風化しているわけではないようだ。最近もこの通路を使っている、その痕跡はそこかしこに感じられる。
「この塔が、はい、ええ。この塔こそが、亜人保護管理局の皆様が、本当にご覧になりたかった設備かと」
「今度は、嘘ではないようだな」
「はい。今更隠しても、仕方ありませんので」
番頭も、淡々と抑揚のない声を発し続ける。諦めや心理的な喪失というよりも、この感情のなさは技術に近いか。感情の色が言葉や表情から消えている以上、会話を重ねたところでその真意を読み取ることは難しい。アザレアとゲイリーも口を挟もうとはせず、黙って様子を窺っているだけだ。
「ここから下りますので、足元にご注意を」
薄暗い螺旋階段を、下っていく。建造物そのものには、大した違和感はない。少々頑強に造られているだけだ。ただ、生臭さが徐々に強くなっている。下層に何かがある、何かが居る、それは間違いない。それが目論見通りの答えなのか、あるいは罠か。ここまで来れば、行くしかない。
「アルバート様、私、この道は、その。知り、ません」
震えるような、アザレアの声だ。
「番頭、らしいが」
「ええ、そうでしょう。此方は男が通る正門。彼女が抜けたのは、女が客間に行く道、その裏口側の方ですので。亜人部屋に着きましたら、そちらもご案内致します」
最早、隠す気など何処にもない答えだ。亜人を売りにしていると、自ら口にしてしまっている。諦めか、何か逆転の策があるのか。素直に協力し、罪を軽くする、そんな男にはあまり見えない。
何かがおかしいことは、言葉にされずとも感覚でも分かる。最初から感じた生臭さも強くなる一方であり、とても娼婦の世話をしている設備とは思えない。心構えは、必要だろう。
「到着致しました。此方です」
番頭が金属製の柵扉を開け、広間のような空間に出る。壁を一周するように魔力灯が灯され、その薄暗い明かりに照らされた開けた空間。これはもう、部屋というよりも、広い檻、闘技場の類と言っても良いだろう。
「それで、此処は何なんだ」
「あちらをご覧下さい。既に、封印は解いておりますので。はい、直ぐにでも此方に飛びかかってくるかと」
生臭さが、実態を伴い眼前に姿を表す。
犬だ。
問題は、それが只の犬ではないということだ。
「ヘルハウンドの成体か。随分とまあ、張ったものだ」
大型犬など目でもない。その体躯は下手な馬を上回るほどか。極めつけは、此方を睨む四つの眼に、唾液を滴らせる二つの口。双頭の魔獣、それこそがヘルハウンドの最たる特徴であった。世には判別の難しい魔獣も多いが、これは分かり易いことこの上ない。
「この種、ヘルハウンドは魔獣の中でも危険種指定されている。法で所持が禁じられているわけだが。これだけで、検挙するには十分だな」
「いやあ、と言ってもですよ先輩。別に魔獣に関しては、僕たち亜人保護管理局の管轄じゃないですけどね」
呑気な声を出しながらも、ゲイリーも剣を抜き、構える。このクラスを徒手空拳で押さえ込むのは、流石に危険が伴う。それに、今は自分たちの身だけではなく、アザレアを守る必要もある。
「さあ、お行きなさい。最早止めるモノは何もないのだから」
「番頭さん、止めておいた方が良いんじゃないかな。それは、人の言うことを聞くような類じゃないよ」
「ええ、普通は、そうでしょうね」
ゲイリーの制止を聞く素振りも見せず、番頭がヘルハウンドを魔術的にも拘束していた鎖を解き放つ。良く飼い慣らされたペット、ということか。正直に言って、場所もペットも趣味は悪い。
「行け」
解き放たれた獣が、首を振るう。宙に舞うのは、番頭の血だ。どうやら肩口を、喰われたか。
「ば、馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な」
番頭の動揺する声を、ようやく聞いた気がする。この種の魔獣を、素人が飼い慣らせるわけがない。大方、バイヤーに騙されていたのだろう。同情の余地は何処にもないが、気の毒な話だ。
「まあ、こうなりますよね」
「ゲイリー、援護しろ。だからとて、死なすわけにはいかんだろう。アザレアは下がっていろ。絶対に俺たちの前に出るなよ」
番頭は、重要参考人である。罪の有無、善悪の如何に関わらず、見捨てる選択肢は選べないのだ。こうやって、嬉しくもない面倒事が増えていく。
「魔術行使、戦闘用意、行くぞ」
装備の状況は、悪くはない。時計台でヤクザ者を相手にした時に比べれば、正式採用の長剣が手元にある。防具も、魔術の加護を施されて編まれた鎖帷子も部分的に着込んではいる。
長柄の武器やフルプレートの防具はないが、狭い室内であることを考えればむしろ重装備は邪魔になるだろう。そして、眼前の敵は機動力に富んでいる。こちらも軽くなければ対処に苦しむ。彼我の戦力と戦場を考えれば、悪くはない。後は、武具を使う側の腕だ。
「ゲイリー、炎を」
「了解です」
此処が石造りの建物なのは行幸だった。火炎系の術式も火災の気兼ねなく撃てる。ゲイリーの、エルフらしい綺麗な詠唱と共に、火球が矢となり放たれる。実戦で使われる攻撃魔術として、速度、威力共に申し分ない。剣戟の扱いも上手く、接近戦もできるが、ゲイリーの本領は魔術戦にある。
直撃。なおも番頭に食いつこうとするヘルハウンドが、怒りの声を上げる。注意をこちらに引きつけることには、この上なく成功した。アザレアに注意がいかなければいいのだ。
ヘルハウンドの体毛は固く、魔力による攻撃を減衰させる性質もある。この少々の傷だけでは、倒しきるのは難しいだろう。だからこそ、加減の必要はなく暴れることができる。
「次弾」
「ファイア」
第二射の火炎が、跳ねようとするヘルハウンドの動きを抑える。体の何処にでも、それこそ急所に当てても良い。相手は亜人ではなく、魔獣だ。生け捕りにする必要性はどこにもない。殺して良い戦いは、やはり気が楽だ。殺し合い、闘争の本質がそこにある。
「先輩」
「任せろ」
アルバートは、魔獣の唸り声に負けないだけの声を張る。相手は魔獣、野性だ。気合いで負ければ、それだけで一気に押し込まれる。
大きく踏み込んでの、一閃。首の血管、その一本からヘルハウンドの青い血が舞い上がるが、浅い。だが浅い分、爪を後ろに飛び、身体を逸らして躱す余裕もある。
反撃の爪を避けられた以上、ヘルハウンドの取る行動は一つしかない。続けざまに、もう一つの首で再度の突撃。迷いのない、野性的な速さは脅威的だ。だがその分、動きも本能で読むことができる。突撃を跳び避けながら腕を払い、剣先で切り返す。
斬った手応えは、あった。少し遅れて先程以上の勢いで飛沫が上がる。飛び散る青いそれは、ヘルハウンドの命の力そのものだ。まだ致命傷とまでは行かないが、確実に力を奪いつつある。
その身を傷つけられ、獣らしく当然のように怒り狂った唸り声があがり、部屋に響く。恐ろしさを感じるほどだが、耐えられる。飛び掛からんとするヘルハウンドに、跳躍を許さない。飛び交う火炎が、獣の速さを殺していた。
「先輩、次弾以降も問題なしです。このところ、魔術戦をやってなかったですからね。魔力はまだまだ余裕ですよ」
「元気なのは良いが、無駄弾は撃つなよ。有り余って塔を壊しても困る」
「それは当然」
妙にテンションの高いゲイリーの周囲に、多数の魔方陣が浮かぶ。魔方陣の中央には、放たれるのを待つだけの火炎。ヘルハウンドが、低く唸る。二つの顔が、イグナーツとゲイリー、それぞれが双方を向いて睨み付け、敵意と殺意は剥き出しのままだ。響く唸り声はどこか焦りを感じさせるのだが、ヘルハウンドは攻めの一歩を踏み込めずにいる。アルバートたちは、複頭の利点が欠点に変わる状況を作りだしていた。
通常時であれば、複頭は多方向の隙を殺すことが出来る利点を持つ。しかし、一度に複数の敵意を露わにしたとき、同等の強敵を複数前にしたとき、注意が散漫となる欠点を併せ持っていた。一つに、的を絞りきれないのだ。どちらにでも対応出来てしまう以上、思い切ることができない。理性ではなく野性で動き戦う存在にとって、一瞬の逡巡は致命的だ。
「剣魔一体」
好機。
唸り続けるヘルハウンドが、飛び掛かってくる。ついに標的を定め終えたようだ。ゲイリーがばら撒き飛び交う炎を避けながら、悩み、惑い、定めた動きだ。それでも、野性の動きである以上、動きの先を読むのは不可能ではない。
溜が、深い。後衛から魔力弾を撃ってくるゲイリーが目障りだと、先に片付けようと、飛び込むための筋肉の溜めだ。その瞬間を狙い、ゲイリーが下がり、アルバートが先に切り込む。
刀身に魔力を流し込みつつ、同時に肉体にも魔力を巡らせる。魔力による、身体と武器の強化。魔力の操作としては、基本の技術だ。その分、血反吐が吐くほど鍛錬し、磨き上げた技術でもある。脚力を上げて突撃し、剣を抜き放つ。
「剣魔、一閃」
手応えが、はっきりと手元に残る。魔力を流し込んだ切っ先で、肉を断つ感触。骨にも達し、切り裂いたか。
「しぶといな。流石、なんだろう、が」
これでもまだ、ヘルハウンドは動く。魔獣の生命力は伊達ではない。我を失い暴れ振るう前脚の爪は、下手な刀剣等よりも余程鋭く、とてもではないが貰ってはやれない。ただ早さ兎も角、既に狙いは甘くなっている。返した刃で切り上げ、更に肉を斬り落としていく。
「ゲイリー」
火炎弾が、無防備に曝け出されたヘルハウンドの脇腹を襲う。言葉にはしたが、指示の必要がなくとも問題はなかっただろう。完璧な連携だった。実戦で、阿吽の呼吸を期待出来る仲間がいる。この事実は、やはり大きい。普段の言動に文句がありつつも、ゲイリーが居なければ困るのはアルバートの方なのだ。
「終わりだ」
なおも足掻き、激しい唸り声を上げるヘルハウンドの前に立ち、剣を構える。もう勝負は付いていた。既に唸っている頭部は片側だけだ。こうなってしまえば、バランスが悪く、巨大で力強いだけの狗にすぎない。厄介な野性的な動きも、意識を向ける先は一つだけだ。
再び刃に魔力を込め、上段に大きく構える。一呼吸、二呼吸、静かに、一人と一匹で呼吸を読み合う。ヘルハウンドに、逃げる選択肢は与えない。
動く。
右足で踏み込み、思い切り剣を振り下ろす。手応えは、感触として確かに手元に残る。脳髄ごと、両断した。これ以上の抵抗は、ない。ゆっくりとヘルハウンドの体躯が崩れ落ち、少しの時間を置いて、青い血が再び吹き上がった。
「お見事。流石ですね、相変わらず、見ているだけで背筋が凍り付くような太刀筋でしたよ」
「皮肉のつもりか」
「いえ、事実です。先輩のこと、ちゃんと褒めていますからね、これ」
「ふん。それよりも、番頭の方を頼む。俺はヘルハウンドをみる」
「面倒な方を押し付けましたね」
横たわり魔力を感じなくなったヘルハウンドの死体を確認し、ゲイリーに番頭の確認を押し付ける。その間も、にゲイリーから飛んでくる軽口は止まる気配がない。そんなものは真面目に聞かず、聞き流すに尽きる。
傷を見られる番頭の顔が青いのは、怪我だけが理由ではないだろう。自分たちの切り札である、ペットであったはずのヘルハウンドに襲われた。そして、その切り札が討伐されてしまったのだ。身体以上に、心が受けた傷は浅くないだろう。
「で、だ。そいつの怪我はどうだ」
「まあ、大丈夫でしょう。それなりに血は失ってはいますが、無理をしなければ命に別状はないかと。応急治療のポーションで傷は塞がっています。毒消しの効果も問題なく働いてるみたいですし」
アルバートにしろ、ゲイリーにしろ、治癒魔術は本職ではない。自己治癒の魔術は最低限修めてはいるが、自分を治すことと、他人を治すことは別物だ。他人の治療には、どうしても道具頼りになってしまう。そして当然ながら、道具の経費は馬鹿にはならない。無駄遣いはしたくはないのだが、この場合は仕方ないだろう。死なれては困る相手だ。
「この、化け物共、め」
人間を、見る目ではない。番頭の、アルバートとゲイリーへの視線だ。恐怖と軽蔑の入り交じる、人が人には向けない視線。良くも悪くも、慣れた視線である。人間は、自分よりも強い存在を恐れるものだ。それが、同族であるのかどうかは関係ない。むしろ同族、似た造形であればあるほど、強大な力への反応はより厳しいものとなる。
「ああ。化け物だ。自分でもそう思うさ」
前の戦争中には嫌と言うほど見てきた光景だ。村を、街を、人々を救うために魔族を、魔獣を、亜人を切り伏せる。その結果に得られる、仲間の犠牲と、敵の返り血と、救った人々からの視線。その時の視線と、同じ類だ。
平和になって、やれ魔術武官と持て囃されても、現実を突きつければこうなる。慣れてしまえ、化け物扱いの一つや二つ、今更増えたところで心が揺れ動くこともない。
「さて。今度こそ、正しく案内して貰うぞ。まあ、後は進むだけなのだろうが。悪いが、お前の言うとおり化け物だからな。遠慮はしない」
番頭の、俯きながらも苦虫を噛み潰したようたような表情に、忌諱と畏怖の感情を隠せない視線。そこに言葉はないが、返事としては十分だ。この男に、最早逆らう意思の力はない。勝負は、終わっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます