第6話
「今戻った」
「あら、お帰りなさい。ちゃんと時間通りね、関心関心。ゲイリーにも見習って欲しいものだわ」
「あいつは、本当に守らないといけない時以外は時間にルーズだからな。寿命の違いかは知らんが」
「そうね。その点、貴方は常在戦場で几帳面だもの」
亜人保護管理局の事務所では、待ち構えていたかのようにクレハが席に腰を下ろしていた。戻る時間でも、見計らっていたのかも知れない。それくらいのことは、する女だ。
「遅刻すればそれを理由にして、いくらでも趣味の嫌味も言えただろうに。待たせなくて、悪かったな」
「良いのよ、別に。貴方は時間は守れる素晴らしい人ですもの。ああ、こっちもアザレアちゃんとのお話は終わったから安心していいわよ」
優雅に、ティーカップを手に持ち茶を嗜む。そんないけ好かない姿が、クレハには腹立たしくも似合っている。戦場で剣劇を振るう姿と同じ程度に似合っているのだから、質が悪いと誉め言葉として口に出したくもなるほどだ。
「それで、何か分かったのか」
「いいえ、何も。貴方の聞き出せた情報と大差はないわよ」
「まあ、そうだろうな」
人間、亜人は兎も角、女同士であるからこそ出来る話というのも有りはするのだろ。とはいえ、アザレアはそういうタイプにはあまり見えない。それに少なくとも、情報についてはアルバートに隠し事はしてないはずだ。
「とりあえず、今日のところは適当に切り上げて良いわよ。アザレアちゃんも気疲れしてるだろうし」
「良いのか」
「良いわよ。どうせ、貴方の事務処理能力には欠片も期待していないから。最低限のやることをやって貰えたら、それで十分よ」
ひたすらに、発せられる言葉に棘がある。ある意味平常運転ではあるが、あまり機嫌が良いわけでもないらしい。
「分かった、有り難くそうさせて貰う。それで、アザレアは」
「とりあえず、裏の方でニシキに指導させてるわ。仕事の事もだけど、色々と一般常識にも私たち相違があるみたいだもの」
「成程。そういう意味なら、確かにニシキが適役か」
「そう。同じ亜人として、ね。まあ、ラミアとサキュバスを同じ枠に押し込むのも酷い話なんだけど」
「それを言い出せば、キリがない」
生態的にはかなりの違いがあれど、人間によって亜人という型に押し込まれてしまっている事実に変わりはない。この社会がそうなってしまっている以上、その中で生きていくための基本的な考え方は、同じ側から教わった方が良いだろう。クレハもアルバートも、所詮は彼女たちを圧する側でしかないのだ。
適当に切り上げるため、自分の席に戻り身支度を整える。雑務はそれなりにあるが、日報位は片付けなければならないだろう。
「ゲイリー、残りの書類仕事だが」
「大丈夫ですよ、大した量もありませんから。後は僕が片付けておきます」
隣に座るゲイリーは、話しかけてようやく返事を返す。クレハがアルバートに棘のある小言を言っているとき、ゲイリーは絡んで来ようとはしない。要らぬ火の粉を避けよう思うのなら、恐らくそれが正解だろう。
「アザレアの様子はどうだ」
「一生懸命ですよ。頑張って仕事を覚えて、僕たちの役に。いや、先輩の役に立ちたいんでしょうね」
「そんなものか」
「ええ。ちょっと歪んでいるくらいに、真摯ですよ」
ゲイリーの女性評は、アルバートのそれよりも遥かに信頼性がある。よく分からないことは、好きな人間に聞くのが手っ取り早いということだ。
「歪んでいる、か。メイドだから、というわけでもないのだろう、それは」
「先輩もちゃんと分かってるじゃないですか。あれはもう、ある種の染みついた気質ですよ」
それも、サキュバスとしての性ではない。主人に媚びる。闇娼館の娼婦としての、奴隷としてのものだ。これまでどんな生き方をしてきたのか。あまりにも容易に想像できてしまう。
「それで、どうするんですか。アザちゃんのこと」
「何がだ。と言うかお前、アザちゃんか」
「僕の彼女への呼び方はどうでも良いでしょう。それよりも、ちゃんと責任もって面倒見ないと駄目ですよ」
「犬猫のように言いやがって」
「似たようなものですからね。残念ながら今の時世では」
「お前な。まあ、それはそうだが」
時折、酷く冷酷なことをゲイリーは口にする。深く感情を込めるわけでもなく、達観に近いそれは、時の長さが違うエルフであることは無関係ではないのだろう。ただの陽気な女たらしではないのだ。
「責任、か。まあいい。今日は帰って、話をする」
「先輩らしいですね」
「嫌味か、お前も」
「先輩だって、対話して解決するとは、本気で思ってるわけじゃないんでしょ」
「まあ、な。とはいえ、しないより良いのも事実だ」
結局のところ、アルバートが彼女をどう扱うのか。それが一番の問題なのだ。今日の一日を踏まえたところで、アザレアが待遇で何かを望むことは恐らくない。それは、アルバートにも分かっている。それでも、アザレアの意思を聞いておきたいと思うのは許されて欲しい身勝手だった。それに、確認しておきたいこともある。
「ご主人様、お戻りになられてたのですね」
「ご主人様は止めろ」
「す、すみません、アルバート様」
ニシキと共に裏から戻ってきたアザレアは、既に外套を身に纏っていた。クレハが、今日はもう帰って良いと伝えたのだろう。
「帰るぞ、アザレア。今日はもういいらしい」
「はい、かしこまりました」
丁寧に、アザレアが頭を下げる。ニシキとゲイリーに対してだ。愛想良く手を振り返すゲイリーだが、女相手なら誰にでもそうするだろう。意外なのはニシキだ。興味のなさそうな表情を作りながらも、視線はアザレアに向けている。色々と口には出していたが、やはり思うところはあるのだろう。
「ニシキ、お前意外と面倒見が良いんだな」
「仕事ですから。帰るなら、さっさと帰ってください」
「悪かった」
思わず口に出たが、当然のようにニシキからは邪険にされる。言わなくていいことを言った、アルバートが悪い。
「ゲイリー、後は頼む」
「了解です。お疲れ様でした」
クレハの面倒をゲイリーとニシキに押し付け、早足に事務所を出る。長居をすれば、それだけその場を出難くなるものだ。切り替えが大事なのは、戦場とあまり変わりなかった。
日が高い内に家に帰る。それ自体は実はそう珍しい話でもない。一度実戦となれば、日が落ちている間に活動し、日が昇ってから休む。そんなことも少なくはないからだ。むしろ、女と連れ立って街を歩く。この方が珍しい状況だろう。
「アザレア、大丈夫か。色々と、初めての仕事だっただろうが」
「ええと、大丈夫、です。皆様に気にかけて頂いていますし、ニシキ様にも優しく」
「そうか。なら、良いが」
「はい」
連れ立って歩いているが、会話はさほど続かない。互いに深く外套を着こみ、フードを被り、静かに暗く歩いていく。もっとも、黙っていても気を悪くしないという意味では、アルバートにとっては楽ではあった。楽しくお喋りをしながら道を歩くというのは、どうにも元々得意ではないのだ。
歩調を、アザレアに合わせる。無論それくらいのことはするが、逆に言ってしまえばそのくらいのことしかできない。
「まだ陽の光も明るいが、それは大丈夫か」
「はい。そちらも、問題はなく。その、得意ではないですけども、外套もしていますし」
「分かった。厳しい時は言え」
「はい」
精一杯考えあぐねた結果が、これだ。何かを聞く、無難な返事が返る。それで終わりだった。考えてみれば、当たり前の話である。アザレアが、何か本当に問題を抱えていたところで、包み隠さずアルバートに語ることはないだろう。限界まで隠そうとする、それを止めることはアルバートにはできない。彼女が、そう生きてきたからだ。
アルバート自身がどう思っていようと、立場としては主人と奴隷のそれでしかない。気軽に、などということは到底不可能だ。少しずつ、頼むしかないだろう。
互いに深くかぶる外套だが、アザレアに被せているのは亜人保護管理局のそれではない。亜人保護管理局の刻印が入っていれば、嫌でも目立ってしまう。それに、デザインがあまりにも武骨すぎる、らしい。アルバートはさほど気にしたこともないが、女の子が着るものじゃないとはゲイリーの談だ。結局、今はゲイリーが見繕ってきた外套をアザレアは着込んでいる。生地が、作りが、目立たないも可愛らしい。アルバートにはよく分からないが、そういう物だ。少なくとも、アザレアが喜んでいればそれでいいのだろう。
会話が続かないまま、家に着く。ある意味では、いつもと変わらない帰路だったといえる。アザレアに対して多少の息苦しさはあれど、静寂そのものには何ら不快感を覚えることはない。
扉を開けて家に入るが、その時もやはり無言のままだ。ただいま、等と普通は言うのだろうが、家を持たない時期と、一人で過ごす時が長すぎた。アルバートを見習ってか、アザレアも何かを言うことはない。それどころか、玄関で固まってしまっている。
「まあ、なんだ。此処はお前の家でもある。好きに寛いで構わないからな。奥の小部屋が開いているから好きに使っていい。物置にもなっていなかった部屋だ」
「ありがとう、ございます。その、すみません、私その、普通の家は初めてで。気が回らなくて、申し訳ありません。私、家のことをしないといけないのに」
「いや、別に構わん。あまり無理はしなくてもいい」
「大丈夫です、ニシキ様から一通り教わっていますから」
ニシキの奴が余計なことを教えた、そう思うわけにはいかない。アザレアが望んだからこそ、ニシキも教えたはずだ。少なくとも媚びるため、家のことをすれば気に入られるはずだから、などといった入れ知恵は確実にありえない。ニシキは、そういう女である。
「分かった。お前がそうしたいのなら、好きにしろ。迷惑な時は、止める」
「はい、ありがとうございます、ご主人様」
「それは、止めろ」
「あ、う、あ、申し訳ありません、アルバート様」
「すまん、きつく言いすぎた」
「い、いえ、アルバート様の言うことを守れない私が悪いのですし」
「まあ、いい。兎に角部屋に一度言って落ち着いてこい」
「分かり、ました」
主人と、呼ばれる。それだけは、アルバートには耐えられなかった。何か特別な理由、トラウマの類があるわけではない。ある意味自分勝手な、責任逃れの感情だ。世間的にはどう見ても、アルバートはアザレアの飼い主、主人でしかない。それを否定したい、綺麗ごとを装えば良心の呵責とでも呼ぶべき感情だった。アルバートのエゴである以上、強く当たりすぎるわけにもいかないだろう。
部屋に向かうアザレアを見送り、小さく息を吐く。やりにくさは、ある。アザレアのことは嫌いではないが、やはり女と過ごすのは不得手なのだろう。その相手がサキュバスである以上、苦手意識を持つのも尚更か。
「申し訳ありません、遅くなりました」
「ああ、そんなに待ってはいないが。まて、お前、その恰好」
「その、おかしい、でしょうか。労働をする際の衣服、と教えて頂きましたので。私もその、この服は好き、ですし」
「まあ、間違っては、いないが」
身に着けていたのは、メイド服だ。アザレアの格好は、亜人保護管理局事務所での仕事中、それと何も変わらない。むしろ帰り道、メイド服の上から外套を身に纏っていただけなのか。
「他の服も、クレハやニシキが見繕っていたと思うが」
「はい、下着類や寝間着などは」
「私服はどうした」
「その、私には勿体ないと言いますか」
「それは、ああ、いや、分かった。とりあえずは、それでいい。クレハとニシキに、頼んでおく」
本人が、これを、メイド服を気に入ってる。それだけでも既にとやかく言う必要はないのだが、アルバートが引いたのにはもう一つ理由があった。アザレアはサキュバスである。生半可な恰好では、ただただ煽情的になるだけだ。本人の意思は、そこには介在しない。色気のないメイド服ですら妖しくする女である以上、地味な恰好で居るというなら反対する理由もないのである。
「さて。ああ、そうだな。まずは、そこに座れ」
「失礼、します」
これまでは一人で使うだけだったテーブルを挟み、それとなく視線を外してアザレアと向かい合う。目と目を合わせるような、直視をしての会話はしない。アザレアだからどうこうは関係なく、サキュバスと接するときの基本姿勢である。
催淫の魔眼を持つサキュバスと話すときに、視線をどこに向かわせるのか。これは、難しい問題だった。瞳を見ないようにするとはいえ、胸元に視線を遣るなど論外だ。指先でさえ、見つめていれば不埒な動きを連想しかねない。結局は虚空を見つめるように、視線を漂わせるのが一番ましな対処法になるか。
どうしてもサキュバスの性を防ぎたいのならば、より強力に魔力的な拘束をする方法もある。しかし、それは罪人に対する拘束と遜色がない程度の拘束になってしまう。亜人保護法において、その行為自体は違法ではない。ただ、あまりにも強力な規制は、体の自由を奪いすぎる。少なくとも、メイドなどをさせることは不可能だろう。
「アザレア。お前に、確かめておきたいことがある」
「申し訳ありません」
「まて、俺はまだ何も言っていない」
「その、私が何か至らぬことをきっとしてしまったから、そのお叱り、なのですよね」
「違う。そんな話をするつもりはない。少し、落ち着いてくれ」
「も、申し訳ありません」
これまでの生き方、そのせいだろう。逃げの一手、自分が悪いという前提。そうでなければ、生きていられなかった環境だったということだ。
「怒る時は、先に言う。そうでない時は、もう少し楽にしてくれて良い。なんだ、あまり緊張しなくて良いからな」
「すみません。分かり、ました」
決して、堅苦しい話をしたいわけではないのだ。怯えられて構えられても、逆に話し難くなる。謝るな、そう伝えたいところだが、言うだけ今は逆効果か。
「亜人保護管理局で、メイドとして働いて、どうだった」
「どう、というのは」
「そう、だな。自然に、思ったことを言ってくれればいい。これは叱責でも、追及でもない。お前の想いを、考えを、素直に聞きたいだけだ」
相手が人間であれば、視線を合わせて語るような場面だろう。視線を浮かし、泳がせたままで真剣な話をする。技術として身に着けていても、どうにもおかしな気分は拭えない。
「その、楽し、かったです。す、すみません、お仕事を楽しいなんて私」
考え込んだアザレアの選んだ言葉が、楽しい、であった。
「大丈夫だ。別に仕事が楽しいことは、悪徳ではない」
「そう、なのでしょうか」
「ああ。働かなければ生きていけないのならば、辛いよりも楽しい方が良いだろう。少なくとも、俺はそう思う」
それが、生活する社会の中で許さる仕事であるのなら、楽しんだ方が得だろう。少なくとも、生活のために苦しむのは、やはり辛いことだ。生きるということは、それだけで苦難の道なのである。許されるなら、楽であるべきだ。
もっとも、社会的な苦痛を亜人に与え続けているのは、アルバート達人間の生み出した社会である。楽しめ、と言うのも些か傲慢ではあるか。
「続け、られそうか」
問題は、そこだった。アザレアが、続けられるのかどうか。無理だというのなら、家に閉じ込めておくなり、また何か考えなければならない。
「はい。大丈夫、です。むしろ、続けたい、です」
「そうか。なら、いいのだが」
無理をしている、わけではないか。アルバートに気に入られようと、肯定的な返事をしている様子は感じられない。
「分かった。暫くは、あそこで働いてもらう。大丈夫、なんだな」
「はい、むしろ私からもお願いしたいくらいで。その、ニシキ様にも色々と教えて頂きたいことも沢山ありますし」
「随分、仲良くなったんだな」
「はい。私なんかに、本当に手取り足取り親切に教えて頂けていて」
ニシキは、別段面倒見が良い、親切な女というわけではない。だが、アザレアは嫌味抜きに、純粋に感謝の言葉を述べている。同族、ではないが、同じ境遇の亜人同士、思うところがニシキにもあったのだろう。庇護欲でも、駆り立てられたか。何にせよ、話せる相手が居るのは良いことだ。
「それなら大丈夫そうだな。クレハには俺からも、暫くは亜人保護管理局で働かせると伝えておく。まあ、駄目だということはないはずだ」
「はい、ありがとうございます」
一先ずは、アザレアの処遇はこれで良いだろう。家に軟禁するかの二択と考えれば、外に出している方がアルバートの罪悪感も幾らかは薄れる。自分勝手な都合ではあるが、アザレアも嫌がってはいない、その事実は自分を騙すには十分だった。
「それでは、家の仕事も始めますね」
「無理は、しなくても良いのだからな」
「いえ、大丈夫です。その、意外と私には合っている気もしますので」
「分かった。無理だけは、するなよ」
言っても、あまり意味のないことだろうとは分かっている。アザレアの性格を、思考を考えれば、アルバートに嫌われないため、間違いなく無理はしてしまうだろう。それこそ、此方が何を言っても関係なく、そうするはずだ。今は少しずつ、伝えていくしかない。
女を相手に、丁寧に少しずつ、相互理解を深めていく。アルバートには、やはり向いていない作業であった。今は兎に角、様子を見ながら一歩一歩進んでいくしかないのだ。
次の日も、その次の日も、アザレアは問題を起こすことなく、メイド業を続けていた。困り事が出れば、ニシキが教える。重要参考人であるからか、クレハも何かと気を掛けているし、女好きのゲイリーも当然のようにアザレアに構う。環境自体は、アザレアにとっても悪くはないのかもしれない。家でのメイド業もそつがなく、何より余計な話をしないので、アルバートにとっても居心地が悪くないのだ。それが良いのか悪いのか、判断するには難しいところではある。
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