揺らぐ想い、揺るがぬ事実


「おうアンタ等、もう発つのかい?」

「はいっ。楽しい場所でしたが、そろそろ帰らねばなりませんから」


 その日の午後。

 勇者一行と魔王の5人は、事件解決を見届けてエインカイルをあとにしようとしていた。ゲイルはあまりに浮いているので街の外で合流する予定だ。


「目深の嬢ちゃんがいなくなると、寂しくなるねぇ」

「それに例の失踪事件も解決してくれたし、世話になったよ」


 すっかり街に馴染んだ上に、深刻な事件を解決した魔王は、町民から旅立ちを惜しまれている。市場の者から特に関わりのない者まで、10数人の見送りが来ていた。


 一通り話し終えて、さて出発という頃合いになる。


「では皆様、またいつかお会い──‬」


 一陣の強い風が吹き、街の風見鶏をクルリと回す。

 そして魔王が被っていた麦わら帽子を空中に連れ去り、その真の姿を露にする。


「ま、目深の嬢ちゃん……アンタ、魔族か?」

「あっ、こ、これは」


 見送りに来てくれた町民達の表情にヒビが入る。

 ある者は怯え、ある者は怒り。腰を抜かす者までいる。


(ああ、そうでした。これが、これが魔族わたし人間かれらの間にある、致命的な溝)


 近頃はフレイ達と交流していたためか忘れかけていた、人類側から感じる恐怖、嫌悪。

 角を隠して過ごし、街の者達と話しているうちに、まるで自分がこの街にいる事を当然の様に思ってしまっていた。


 自分は人間とは『違う』。

 その違うという事が、どれだけ深い隔たりを産むか理解していなかったわけではない。


(ですが、こうして先程まで仲睦まじく話していた方々に向けられると、辛いモノがありますね)


 沈痛な面持ちで目蓋を閉し、哀しみに歯噛みさせられる。


「何で魔族がこの街に……?」

「何だって良い! 魔族がこのエインカイルの敷居を踏むなんざ──‬!」

「ちょちょ、ちょっと。確かに彼女は魔族だ。だけど聞いた事はないか。ここより西にある山道を、山魔族ゴブリンが拓いたって話」


 そんな魔王と町民の間に入り、剣呑な雰囲気に風穴を開けようとするフレイ。


「ああ、聞いた事があるが、それが何だってんだよ」

「それはここにいる彼女が、山魔族達に『人間との友好の証』として拓く様提案したんだ」

紅葉舞フレイムリース森精族エルフとの交易が始まったのも、まお──‬この人がいたから実現できた事なのよ!」


「そんな眉唾ものの噂話で……」

「でも聞いた事あるぞ。紅葉舞の森に迷い込んだ人間を、森精族と森魔族オークのカップルが案内したって」

「森精族と森魔族がカップル!? そんなのもっと信じらんねえぞ?」

「でも、この街を救ってくれたのは本当じゃないか」



「ねぇ、今のうちに逃げた方が良いんじゃ」


 騒つく町民をフレイの後ろから覗くスピカが、小声でフレイと魔王に逃走を打診する。


「いや、そういうわけにもいかない」

「何で?」

「今逃げちゃうと、私達に後ろめたい事があると言っている様なものですからね」

「んだなあ。どうなるにしても、ここを動かねえ方が無難だなあ」


 一行のリーダー格である魔王と勇者、そして年配のガロッサは泰然とした様子で白渓石の門の真下に立ち続ける。


「アラちゃんもそう思う?」

「まぁ、言われてみればそうだなー、くらいかな。あれあれピークちゃあん、もしかして人見知りがお顔を出してる?」

「こんな時に茶化さないでよっ」


 などと仲睦まじく女子同士で会話していると、町民のうち数人が2人の姿に目をやる。


「なあ。見た目だけの話で言えば、森精族と人間おれたちだって違いはあるだろう。なのにああして普通に接している。魔族だってできるんじゃないか?」

「いや、それは森精族が『人類側』に属しているからだ。魔族は魔族側。人間の敵じゃないか」

「でも、ここ最近は近辺で魔族の被害を聞かないぞ?」

「そうだよ。森精族にだって人間と関わらない奴もいる。魔族にだって色々いてもおかしくないんじゃないか」


 議論は続く。

 魔族が敵であるという認識は、長年かけて培われた本能に近い感覚であるため拭い難く。

 だが目前の魔王に敵意がなく、エインカイルに広がる事件の霧を除いたという事実に変わりはない。


 認識と真実の両天秤に揺れる町民が再び魔王やフレイに向き直ったのは、1時間も経ったあとであった。


「アンタは魔族だが、俺達を助けてくれた。正直言って動揺は隠せねぇ。だが少なくとも、助けてくれた恩を仇で返す様な真似はしねぇ。だから、今日のところは客人として見送らせてもらうよ。目深の嬢ちゃん」


「──‬──‬は、はいっ! ありがとうございます!」


 自分の事を渾名で呼んでくれる町民に、魔王は深々と頭を下げる。


 元の和やかな旅立ちに──‬とはいかなかったが、ぎこちなさがありながらも魔王達の出立は穏便なものとなった。





「王よ、帽子が飛んでおりましたが」

「わっ!」

「あら、ありがとうげいるーくん」


 エインカイルから出て暫く歩いていると、突然目前にゲイルが現れた。

 スピカは驚いて耳をピクンと上向きにする。


「ちょっと、もうちょっと驚かせない様に出て来てよ」

「む? すまん」

「ピークちゃん、いい加減慣れた方が良いかもね。ゲイルさん中々直せないんじゃないかな」

「私もそう思うわ……」


 恐らく長いこと気を遣わずに現れてきたのだろう、ゲイルはどう直すのか判らなさそうに首を捻っている。


「ところでゲイルよお。人魚に変な指示してたけんど、あれは何だあ?」

「あー、それ私も気になってました」

「彼女は人恋しくて犯行に至ったのだろう。だから住む場所には他者がいなければと思ってな。ちょうど良い場所がある事を思い出したんだ」


 言って、ゲイルは南方に広がる蒼い海を見渡す。


「気に入ってくれると良いがな」


 呟くゲイルの青い顔は、ひどく優しげに見えた。

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