信じるということ


 魔王が三日月の海精女族クレセント・マーメイドを伴って砂浜へと帰ってくる。


「まったく、無茶な事するわよ」

「だがよ、無茶を通せるのは魔王の強さだど」

「うふふ、ごめんなさい。いきなり飛び出しちゃって」


 目に覆い被さった髪を掻き上げ、ウィンクを飛ばしつつ仲間達に謝罪する魔王。

 人魚と共に波打ち際に腰掛け、ふとフレイがいない事に気付く。


「あら? フレイくんはどこに?」

「ごめんミリア。ちょっとやっちゃった」


 白渓石の盾、一夜城砦から顔を出したフレイ。その表情には、苦悶と申し訳なさが混在する苦いモノが見えた。


「さっき風の刃を飛ばした時に、腕が石化してしまったんだど」

「ガロッサが壁の中に引き摺り下ろしてくれたんだけどね。ギリギリ聴こえる範囲内に入ってたらしい」

「まあ……。フレイくん、こちらに」


 魔王の言う通り、フレイは魔王の隣に座る。

 灰色になり固まったフレイの右腕を、魔王は両手で優しく包み込む。


「暴走状態なら能力を吹き飛ばせますが、フレイくんの身体が保つかどうか──‬「待って」


 有り余る魔力で石化の能力を弾き飛ばそうとする魔王を制止して、人魚の女性がフレイの右腕に触れる。


「私が撒いた力だもの。治すくらいできるわ」

「それもそうか。俺はフレイ。一応女神に選ばれた勇者の1人だ。キミの名前は?」

「アスルよ」

「どうしてこんな事件を起こしたんだ?」


 治癒の時間を使い、フレイは人魚の心を紐解こうとする。

 話をしてくれるのが嬉しいのか、人魚──‬アスルは蒼い髪で陰となった目元を緩ませて答える。


「私の故郷は、もっと南にある温かな海域。そこで少数の三日月の人魚だけで、静かに暮らしていたわ。平和だった。悪い人間が現れるまではね」

「……誘拐、かな?」

「ええ。私達は希少種だから。はじめは友好的な人柄を気取って、疑う事を知らない私達に近付いた。数日間の滞在を、私達は快く受け入れたわ。男の人なんて初めて見たから、物珍しさもあってね」


 そこまで語ると、独白によって抑えていた感情を堪え切れなくなったのか、アスルから鼻を啜る音が聞こえてきた。


「ごめん、もう良い。思い出したくない事があるなら」

「いいえ、話させて。せめてもの罪滅ぼしに……。何とか逃げた私は、独りぼっちでこの近海まで逃げ延びた。ヒトのいる場所の近くに住む事になったはいいけれど、あんな事があってからじゃ、人前に姿を表すなんてできなかった。けれど」

「寂しかった?」


 アスルの独白を見守っていた魔王が、波がかった彼女の髪を撫でつつ訊く。

 アスルは堪え切れずわんわんと声を上げて泣き出し、魔王の胸にしがみつく。


「そうよ、寂しかったの! でもヒトは怖くて……でも独りは嫌で。だから私の『歌』を使って、石となったヒトを住処に運んだ。そんな事をしたって、意味がないって判っていたのよ……!」


 美しい歌声の痕跡すら感じられぬ悲痛な叫びを、魔王はうんうんと相槌を打ちながら吐き出させる。


「ごめんなさい。ごめんなさい……。うぅ、ごめんなさい」

「もう大丈夫ですよ。貴女を攫おうだなんて人は、もうここにはいませんからね」




 そんな会話をして、アスルが一頻り泣いたあと。


「石にした人達を陸上まで運んで来るわ。時間はかかると思うけれど、海から運ぶのは二股じゃ難しいでしょう?」

「そうね。水中でも呼吸できる魔法も覚えてないし、貴女に頼る他なさそうだわ」

「じゃあ、行ってくるわ」


 言って、アスルは海底の住処へと泳いでいく。


「でもよ、大丈夫かあ? 反省はしてるみてえだけんど、あのまま逃げちまうかも知んねえぞ?」

「大丈夫だよ!」「大丈夫ですっ!」


 ガロッサが懸念を伝えると、勇者と下着姿のままの魔王が同時に否定する。


「あの子は性根がとても良いんだと思う。だからこそ悪意に触れて一度は捻じ曲がってしまったけど、きっともう大丈夫だ」


 治った右手で拳を作り、ガロッサに力説する。


「出た出た、フレイの女によわよわ病」

「えっ」

「ちょっとでも可愛い子にああいう姿見せられると、ころっといっちまうもんなあ」

「ちょっと」

「そうなんですかフレイくん!? そんなふしだらな病気、私が治して差し上げますっ!」

「待って」


 静かな夜のエインカイルに、そんな平和な会話が響く。


 この静けさも終わり、賑やかな街が取り戻される日も、もうすぐ目の前まで来ていた。

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