『海の歌声』


 陽が沈んだエインカイル。街から随分離れた岩礁にて、ゲイル・ルゥは1人海を見つめていた。

 思えば、こんなに静かな時間を過ごすのは久々な気がする。長い間主人である魔王と共に過ごしていたからだ。


(故郷にいた頃は、静かな夜を気に入っていたものだが)


 既にない故郷に想いを馳せ、ゲイルは緑の髪を潮風に晒しながら寂しさを紛らわせる。


(はじめは魔族どうほうへの絶望から、人類側との共存に協力した。だがフレイ達と知り合い、私は本当に彼等と共に生きたくなった)


 懐にしまった原初の想いは、主人たる魔王にすら詳らかにした事がない。

 その必要も今はないと考えていた。何故ならゲイルは今、心から魔王が掲げる『人類側との共生』に同意しているからだ。


(というか、連絡の1つくらいくれても良いはずだが。王はともかくとして、スピカやガロッサがそう提案してもおかしくはない)


 何かあったのだろうか──‬という懸念が頭をよぎるが、あの5人がいて窮地に陥る場面が中々思い当たらない。そもそも単純な強さなら、魔王に勝てる者などいないのではないかとすら思える。

 単純に気が緩んでいるだけだ、とゲイルは少しヘソを曲げそうになる。明日会った時の叱責事項その1だ。




『Uh──‬──‬ Ah──‬──‬──‬ Ah〜〜』




 そんな思考に耽っていると、ふと耳を歌声が擽った。

 美麗で洗練された女性の歌声に、民族単位で歌を文化としていたゲイルはどこか寂しげなモノを感じる。


「海の方からか?」


 目を凝らして声のする海の方を注視する。

 暗い夜の海にぽつんと浮かぶ岩。そこに座る人影の様な何かが見えた。

 グググっと膝を曲げて太腿の筋肉を膨張させ、岩の方へ高く跳ぶ。


 ゲイルは鳥魔族ハルピュイアであるが、飛行能力のない個体だ。だがその軽さや脚力は目を見張るものがあり、翼の名残りである肩周りの羽毛で滑空気味に降下速度を緩める事ができる。

 そうして真下にある件の岩を見ると、確かにそこには1人の女性がいた。


 ──‬だが、彼女は人間ではない。

 その証左として、腰から下が二股に分かれておらず魚の様に銀の鱗がびっしりとついていた。


(海精女族マーメイドか。珍しいな)


 海精女族は本来陸地から離れた海溝等に棲む、人類側でありながら他種族と疎遠な種だ。

 その海精女族が砂浜に程近い場所にいるなど、只事ではない。

 もしや海精女族も連続失踪事件に困っているのではないか、とゲイルは一抹の不安を覚えゆったりと人魚の座す岩場へと着地する。


「貴女は海精女族か? 独りぼっちでどうした。この辺りは近頃危険な噂を聞くが」


 海が溶け込んだ様な、深い蒼を帯びた長髪に向けてゲイルは問いかける。


「あら、魔族なのに優しいのね。私好きよ、そういうヒト」


 揺れる水面に尾ひれをつけていた人魚が、波立つ髪を揺らして振り向く。

 その相貌は芸術的なまでに美しく、だがやはり酷く寂しそうな色をその眼に宿していた。

 紫外線が届かない程深い場所に棲んでいるのだろう、肌は白く瞳は空に近い青だ。


「ああ、珍しいだろうな。何せ我が主人──‬いや、私は人類側との共存を野望としているからな」

「野望、ね。夢と表現しないのは魔族らしさかしら? ところで貴方、さっき危険な噂がどうこうって言ってたわよね?」

「あそこに街があるだろう。あそこでは近頃人間が失踪する事件が多発している。我々はその調査に街へ赴いたのだが、何か心当たりはないか?」


 事件の事を切り出したゲイルに対し、人魚は目を細めてその数秒後──‬にたりと端正な口元を歪ませる。

 その表情に肌を泡立たせたゲイルが、本能的に腰の剣へ手を滑らせる。


「ふっふふ。まさか魔族まで出向いて来るなんてね。でも、魔族とて私の『歌声』からは逃れられないわ。さぁ──‬私のトモダチになって!!」

「速いッ!」


 言葉を終えるや否や、人魚は海へ飛び込む。

 その遊泳速度たるや、熟練の剣士たるゲイルにも目で追うのが精一杯。身体を動かして捉えるなど至難を超える所業だ。


 そして人魚は徐々にスピードを上げ、最高速度に至る。その瞬間移動めいたスピードは、もはや常人の目に留まるかすら危うい。


「お耳を拝借」

「っ!!」


 水飛沫を上げながら泳いでいた人魚は、突如潜ってその痕跡を隠したと思うと、直後勢い良く水面から飛び出し高く跳躍する。


 水滴と銀鱗が月光を反射して、暗い海に淡い光をチラつかせる。そして先程まで隠れていた、三日月状の尾ひれが露わになる。


三日月の海精女族クレセント・マーメイドか……!」


 それは稀少種の証であった。

 普通の海精女族は、尾ひれがリボン状に分かれている。だが稀に、三日月状になった尾ひれを持つ者が産まれるという。それが三日月の海精女族だ。

 そしてその種には、ある特殊能力を持つという噂が1つ。


 ヒュン、ヒュン、と空気を引き裂く音。高く細い、だが広い海に響き渡りそうな程の音量で鳴るその音は、間違いなくあの尾ひれが空気を引き裂く事によって起こるものだ。

 その音には、異質な力が宿っている。


「まさか、あんな眉唾ものの噂が真実だとはな」


 そう呟くゲイルの鉤爪は、既に灰色の石になっていた。


「そうよ。私の尻尾が鳴らす音には、聞いた者を石化させる呪いが籠められている。安心して。石になってしまえば海の中でも死ぬ事はないわ。だから深い海の底で、私の話し相手をしてちょうだい!」


 ゲイルの立つ岩を中心にして泳ぎ、また高く跳び上がって尾ひれを振るう人魚。それが空を切り裂く度に、ゲイルの身体はどんどん石化していく。


(できれば逃げてほしいが、私が失踪したとなればより一層事件解決に動くだろうな……)


 もう逃れる術はないと判断したゲイル。彼の思考は既に『どうやって助かるか』ではなく『自分の犠牲をどう主人に活かしてもらうか』にシフトしている。


 そしてたった1つ──‬。

 ゲイルは自身の持つ情報を主人に伝える手段を思いつく。


(細かく傷を入れられるかは判らないが……やるしかあるまい)


烈刃れつじん……!」


 ゲイルは抜いていた剣を手首のスナップだけで小さく幾度も振るい、そこに魔力を籠める。


「今更何をしようと無駄よ」

「フン、それは未来に判る事だ」


 ゲイルは淡い光を帯びた剣を、腰を捻って先程まで自分がいた岩礁へと投擲する。


「我が王、いや、マクシミリアムよ。あとは頼みます」


 捻った腰を正体せいたいに戻すと、途端に腰から胸元までが一気に動かなくなる。


「さ、おいで…………歌を聞かせてあげる。いつまでも一緒に、私と蒼い海の中で過ごしましょう?」


 頭の先までが石になり、意識も夢の中の様にあるかないかの境界線へと達する。


 そんな朦朧とする世界に、人魚の笑う声だけが響き渡った。

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