殺したい標的を守らなければ自分が死ぬ呪いにかかりました4

八島えく

その脅しはきかない

 いつかはこうなるだろうな、と。

 ネイビー・ピーコック博士は半ば悟りを得た。


 プロキオンの中心都市天球儀市の、民間研究所の地下実験室。

 研究者という職業柄、フリーになる前はいくつもの研究所に足を運んだ。

 今いる研究所もそのひとつ。

 ここで親睦を深めた同業もちらほら見えたが、今この場にその顔ぶれはいなかった。


 実験室の中央には冷たい手術台が立ち。

 あろうことか、自分がこの台に横になる日が来るとは思いもしなかった。

 

(いつかは、こうなるだろうなとは、思っていたが)


 ぼんやりした目で、自分を照らす照明を見上げた。

 そして、「目が覚めたようだ」という声がきっかけでようやく、自分が四肢と口を封じられていることに気づいた。


 両手両足は冷たい金属でガチリと拘束され、口には猿ぐつわがはめられている。

 これでは声を上げられないし、ささやかな抵抗もできない。

 自分に腕力はないから、多少暴れたところで解放されるはずもないだろう。


 しまった。

 この部屋に懐かしみを覚えてばかりで、自分のことがおろそかになる。

 悪い癖だ。

 一つのことにばかり集中して、そのほかの周りのことが見えなくなる。


 自分を見下ろしている者は、施術衣に身を包んだ者が五人、白衣の者が一人。

 顔見知りではないが、彼らが自分に要求しようとしていることは、なんとなくわかる。


   *


「お久しぶりです、ドクター・ピーコック」

「……」


 口を戒められている状態では、相槌も打てない。


「この研究所に身を置かれてからというもの、あなたは”怪物”を生み出した。それは我が国にとっての切り札になりました」

「プロキオンはベクルックス帝国に遠く及ばぬ弱小国家でした。しかしあなたが”怪物”を生産したことで、状況は大きく変わった」

「あれほど恐ろしく素晴らしい兵器は、ほかにない。量産を重ねれば、我が国は安泰になるはずでした」


 施術者たちは、口々に言葉をまくし立てている。

 ネイビーと会話する気はなさそうだ。


「それなのに、どうしてあなたはここを出た?」

「……んむー」


 その理由を、きみらは生涯知ることはないだろうな、と。

 ネイビーは冷めた目で見上げていた。


「我々の要求は一つ。あなたに、”怪物”の生産を再開させることです」

「……」


 猿ぐつわが外された。

 ネイビーは初めて問いを投げた。


「要求一つにこの処遇は、あまりに過剰では?」

「とんでもない。これくらいは必要ですよ」

「きみたちは私を何だと思っているんだ。最近、噂ばかりが先行して身の丈に合わない尾ひれがついて迷惑してるんだ。そのせいで死にかけたこともあるんだぞ」

「仕方のないことでしょう。世にも恐ろしい、”怪物”をいくつも創り上げ、世に放ったのですから」

「……若干、事実の食い違いを覚えたが、ここでは黙っていよう。時間の無駄だ」


 白衣の男が、改めて要求を告げた。


「”怪物”生産の再開を、ドクター」

「参考までに聞いておくんだが、ただ働きさせるつもりじゃないだろうな」

「それはもちろん。破格の待遇です。一日で一生遊んで暮らせる金をお出しします。もちろん、研究にかかわる諸費はこちらでいくらでも用意します」

「で、きみたちにとって、私をここに押し込めたい理由は」

「”怪物”を作り続け、我が国の戦力強化につなげることです。ベクルックスを制すには、あなたの研究が必要だ」

「”怪物”が発現したことで、兵役についている人間は軒並み暇を出され、無辜の民が働き口を失い路頭に迷っている。今日食う飯にも困っているような民を差し置いてまですることか?」

「国を富めるためには、多少の犠牲も致し方ないでしょう。……あなたが、これほどまでに人を思いやる人間だとは初めて知りました」

「私もだよ」


 さあ、と白衣の男が迫った。


「答えは」

「さらに参考までに聞いておきたいんだが。仮に私が拒否したら?」

「承諾するまで、要求しましょう」


 施術衣の者たちが、ふいにネイビーへ視線を注いでいた。

 その手には、鈍く光る器具が握られている。

 小型のナイフならまだかわいい方で、爪を剥がす機械や電動ドリルまでご丁寧に用意されている。

 

「さあ、答えを」


 白衣の男が、また迫った。

 施術衣の一人が、ネイビーの手首を掴む。

 爪でも剥がすか、それとも骨を折るか。

 これから行われるであろう『要求』を予想するほど頭は早く働くのに、それによって伴う苦痛のことを想像してもさして恐怖を覚えない。


 心が、鈍ったのだ。

 ネイビーの心は、とっくに鈍っていた。


   *


 ネイビーは、人を小ばかにしたような笑いを上げた。


「あはっ!」


 だが、仕方のないことだ。

 自分は拷問されることもなければ、”怪物”再生産に動くことは生涯、ない、と。

 確信しているからだ。


「何がおかしい? 気でも触れましたか」

「私は常に正常だとも。ああ、きみたちへの答えは”ノー”だ。今後一切、”怪物”の生産にはかかわらない。きみたちに脅されても、その答えは覆らない」

「ほう……? 自らの周囲の者に危害が加わるとしても?」

「あいにく天涯孤独の身でね。いるとすれば一方的に契約を結んだ、可愛いボディーガードくらいだが。

 元同業のよしみで忠告しておこう。命が惜しければ今すぐ私の拘束を解くことだ」

「……本当におかしくなったのですか? それとも一周回って正常になったのでしょうか」


 ネイビーは無視して続ける。


「いたって正常といったはずだ。ほら、五体満足で生き残るなら今のうちだぞ。私を傷つけ、あまつさえ生命を陥れようとしたら、きみたちに怖ぁいことが降りかかるだろうさ」

「何を言って!」

「聞こえるか? しっかりとした足音が。

 最後にもう一度”助言”しておいてやる。最後通告だと思え。

 早く私を解放しろ。それがきみたちのためだ。

 なぜなら」


 荒々しく、厳重に施錠された扉の開かれた音が、背後から響いた。


 ネイビーを手術台に縛りつけた者たちは、全員無造作に蹴り上げられた。

 くぐもった唸り声や悲鳴を上げ、一瞬だけ宙に浮いて落ちる。

 攻撃された場所を庇いながらうずくまっている様は、ネイビーには滑稽に映った。


「殺すな」


 ネイビーは、侵入者に告げる。

 侵入者は律義に守った。

 そして、ネイビーの拘束を解く。


「けがは」

「かすり傷だ。問題ない」


 ネイビーはようやく、身を起こすことができた。

 傍らには、安堵を少しだけ浮かべた表情の侵入者……従者バーミリオンが立っている。

 呪いでもって契約を結ばされたバーミリオンは、ネイビーを守らなければならない。

 研究者たちを乱暴に蹴散らし、ネイビーに降りかかる脅威を払った。


 ふと、バーミリオンが、何かを踏み潰した音がした。


「ぎゃっ!!」


 ネイビーが足元を確認すると、拷問器具を取ろうとしてバーミリオンに阻まれたらしい研究員がうめき声を上げていた。


「助かったよ、バーミリオン。やっぱりきみは良い子だ」

「無駄口をたたけるなら、まだ元気だな」


 手術台から降りたネイビーは、部屋を見回す。

 自分を監禁し拘束していた者たちは、バーミリオンによる制裁を受けたが、命にかかわるほどの傷ではなさそうだ。


「良いのか」


 殺さなくて、と。

 バーミリオンが聞いている。


「きみが手を汚すほどの者じゃない」


 ネイビーは、バーミリオンの左手首にそっと触れた。


「だが、ここで断ち切っておかなければ、また追われるぞ」

「慣れている。追われることも、研究を続けさせようとすることも。それに」

「追手がくるたび、俺が対処しろ、と」

「そう。やっぱり、きみは賢く良い子だ」


 優雅に、扉の前までたどり着く。

 バーミリオンにのされた研究者たちの反撃の心配もなかった。

 

「どうして……」


 白衣の男が、ネイビーのズボンを掴んでいた。

 その手を踏み潰そうとするバーミリオンを、ネイビーはすぐさま止めた。


「プロキオンを……守らなければ、ならないのに……」

「きみたちの愛国精神は尊重しよう。同時に、私のすべきことはそれ以上に重要だからだ」

「この……売国奴め……」

「さようなら、愛国者たち。きみたちが私の手を必要とせずとも国を守れるようになることを、祈っててやる」


 ネイビーは、足を振り払った。


   *


 深夜。

 ネイビーは月明かりの眩しい街並みを歩く。

 バーミリオンを伴って。


「さて、予想外の時間を使ってしまったが、当初の目的を達成するぞ」

「ああ……」


 ここへ立ち寄ったのは、”怪物”の殺害のためだ。

 目撃情報を手に入れたから向かってみたら、ネイビーは熱烈な歓迎を受けてしまったのだった。

 だがその歓迎会からも抜け出し、ようやく目的を遂げようとしている。


「それにしてもどうして夜なんだ。今日はほとんど寝てないんだぞ、俺もおまえも」

「私は寝たがね。……睨むな睨むな。綺麗な顔が台無しだぞ。

 さておき、今回の”怪物”は夜行性だからだ。陽の出ている間は、誰にも気づかれないところでひっそり隠れている。夜になると活動を開始する。だから夜を選んだ」

「そうか」

「きみには期待しているよ、バーミリオン」

「……終わったら、明日あさってはオフにしろ。たまには惰眠をむさぼりたい」

「良いね。一緒に寝よう。それに睡眠不足は良い仕事の敵って言うしな」

「まっぴらごめんだ」


 ざわり、と。

 風が吹き荒れる。

 ”怪物”は目の前だ。


 バーミリオンは剣を抜く。

 その顔は無意識に笑みを作り、その左手首の、空色の呪いが、煌々と光った。


 バーミリオンの一閃が、”怪物”との戦闘を始める合図となった。

 従者も主人も、どちらも笑っていた。


   了 

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殺したい標的を守らなければ自分が死ぬ呪いにかかりました4 八島えく @eclair_8shima

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