第34話 ワーカホリックたち

 ゾフィが軽食を取り、湯浴みをして部屋に戻ると、チェストの上に新しい花が生けてあった。昼間お祭りで見た南国の不思議な花だ。


 ピンクのぽってりとした花弁の花がふさになっていて、真ん中の濃い色のところが唇みたいだ。黄緑色を帯びたみずみずしい白いユリと、青い小さなアスター菊がその存在感を引き立てていた。


「きれい!ノーラさんが生けてくださったんですか?」

夜具を整えてくれていたノーラに聞いてみる。

「いいえ、公太子殿下が持っていらしたんですよ。今日は何も受け取ってもらえなかったから、と仰って」

確かにアクセサリーはお断りしたけど、たくさんご馳走になったのに。

「ランという異国のお花だそうですね。ユリや他のお花は殿下がお育てになったものなのですよ」


 ヤーデは城内に自分の栽培場を持っていて、色々育てているのだ。デスクワークに行きづまると、こっそり執務室を抜け出してそこで黙々と作業をしているらしい。ザックに「現実逃避をしないでください」と連れ戻されるのが時々目撃されている。


 一人になってベッドに入った後も、ほんのりとユリの香りが漂ってくる。天蓋を出てチェストに近付けば、暗闇の中でユリの花だけが、夜の少ない光を集めたかのように白く浮き上がっていた。そっと顔を寄せる。強くて甘い、しかし優しい香りが鼻腔に流れ込んでくる。なぜだろうか、その香りはゾフィの心をギュウっと掴んで、泣きたいような気持ちにさせるのだった。


 それから数日、ゾフィはディーネ妃とクリスタル以外の大公家の人には会うことがなかった。処務しょむが多くて三人は早朝から夜遅くまで働いているそうだ。そのせいか城の中は、御用商人や官吏たち、領主や農場主などがいつも忙しく出入りしていた。


 ディーネも忙しいのだが、主な仕事は訪ねてくる領主家族のもてなしやその差配さはいで、他の三人のような事務仕事には関わっていない。ゾフィも時々ディーネの手伝いをしている。


 「皆さん、お体は大丈夫なのでしょうか」

今日のお茶はユーロクでとれたミントを混ぜたもので、王城の庭のアンズの実を使った甘酸っぱいカスタードパイといただいている。

「そうねえ、本格的な収穫が始まるから皆さん忙しいみたいね。でもそろそろ一段落つくみたいよ」


 その言葉の通り、まずはエスメラルダがやってきた。少々疲れている様子で、顔色はいつもよりうっすらと白く、髪も無造作に後ろで束ねている。ポスっと布張りの長椅子に座り込んだ。


「あらあら、だいぶお疲れね?」「お姉さま、だいじょうぶ?」母子がいたわる言葉をかける。

「もう次から次へと人と案件が来るのよ。それをほとんど数人で処理しているの・・・いい加減、増員して欲しいのだけど・・・」


 疲れていても美しい人は妹姫を抱きしめると、「癒して~」と頬ずりを始めた。クリスタルもキャッキャと喜んでいる。


 「お、俺にも癒しちょうだい・・・」

そこへさらに深刻そうな人がやってきた。きれいな顔に立派なクマが出来ている。


「あらあらあら、あなたは何日寝ていないの?」「お兄さま、だいじょうぶ?」

「まだ三徹さんてつです。もう一日くらい行ける・・・」

「もう、だから人を増やしなさいって言ったのに。ちゃんとレイは夕方には返してあげてよ?まだ子供なんだから」

結局彼も引っ張り出されたようだ。「うん、わかってる」そう言って背もたれにぐったりと体を預けた。


「ゾフィ姉さまにいやしてもらったらいいのじゃない?」

「いや、病気じゃなくてただの疲れだからね、いくらマールの力でも・・・あれ、もしかして癒せるの?」

その会話に視線を泳がせたゾフィを見て、ヤーデが体を起こした。


「・・・はい、でもあまりおすすめはしません・・・」

あまり偉そうなことを言ったらうとまれるのではないかと語尾が小さくなる。少なくともクレシカにいた頃はそうだった。何か異議を唱えても「いいから、治せ」と言われていた。


「どうして?」

え、と顔を上げると、純粋に疑問を口にする男がいた。女性たちも答えを待っているようだ。


「えっと、一時的に楽にはなるかもしれませんが、疲れがなくなるわけではないからです。そのまま無理をするとお体にさわります」

「なるほど、エナジードリンクみたいだね・・・」「ドーパミンとか?」双子が謎の会話をしている。


「じゃあ、お願いしちゃおうかな」

「あの、でも・・・」

「お願い!今日だけがんばったら明日はちゃんと休むから!・・・明後日の麦刈り競争、連れて行ってあげるから、ね?」


 顔の前で手を合わせて懇願こんがんしたかと思えば、あざとく首をかしげてねだってくる。どうしたらいいのだろう、とディーネとエスメラルダの方を順番に見た。ディーネはにこにこと笑っている。エスメラルダはゾフィの耳にコソコソと内緒話を囁いた。


「あ、いえ、そんなこと・・・」「それくらいしてもらわなくちゃ」「なんて?」面白そうにヤーデが聞いた。

「なんでも一つお願いを聞いてください、って・・・」

「俺の出来ることなら、何なりと」

ふはっと笑ってヤーデが言うと、言質を取ったとばかりにディーネが笑顔のまま大きく頷いた。それでは、とゾフィがヤーデの手を取った。目を閉じて、静かに祈る。


(この方の苦しみが無くなりますように)

「すごいな・・・!本当に疲れが取れた。最後の追い込みに行ってくる!」


一旦部屋を出かけたが、また戻って来てゾフィの前にひざまずいた。

「ありがとう、ゾフィ。なんでも望みを言ってくれ。きっと叶えてあげるからね」

ゾフィの左手を持ち上げて、軽く口づけをすると軽快に出て行ってしまった。ゾフィはあまりの出来事に固まっている。エスメラルダが呆れて呟いた。


「何、あのテンション・・・徹夜のせい?それともやっぱり何か出るのかしら」

「メルディはお願いしなくていいのかしら」

「うーん、わたしは早めに切り上げてちゃんと休みます。お肌に悪いし」

「それがいいわね」


「あのう、大公様は大丈夫なんでしょうか?」

「「ああ、あの人は大丈夫よ!」」

継母子おやこが同時に言う。


 「あの方は息抜き、というか手抜きがお上手なのよ」

「そう、今頃どこかで仲のいい商人とカードかお酒かに興じているわね・・・その分ティールニーが老体に鞭打むちうつ羽目になるのだけど」

執事のティールニーさんはもう四十年も大公家に仕えているそうだ。以前、ひざが痛いと嘆いていたので治してあげたことがある。


 「さあ、私ももうひと頑張りしてきますか」

お茶を飲み終わったエスメラルダが立ち上がって、挨拶をして出て行った。部屋に再び穏やかな空気が戻ってくる。


(あ、お花のお礼をいうのを忘れてしまったわ)

水を毎日変えているので、まだ花は美しさを保っている。それでもいつかは色褪いろあせてしまう。

(ずっと取って置けたらいいのに)

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