第32話 治療院の下見

 「いや、俺は反対だ。治療はこの城の中でしたらいい」

ヤーデが眉間にしわを寄せる。ゾフィはエスメラルダと連れ立って公太子の執務室に来ていた。


「もうっ、それじゃクレシカと同じになってしまうわ。あの人たちはゾフィさんを閉じ込めてお偉いさんの治療をさせていたのだから」

「だからといって、市井に降りて治療を行うなんて危険じゃないか、彼女は『聖女』なんだぞ」

珍しく言い争う双子を見てゾフィはオロオロする。


「そこは、そのために護衛騎士を選んだのでしょ。それにジェイだって分かってるはずよ、大事にするのとただ閉じ込めておくのは違うんだって」

う、それはまあ・・・された公太子が口の中で何か言った。


「ほら、週二回だけだから。あとは人数制限とか予約制とかにして、負担は最小限にしましょう。私の工房の一画でよかったら貸すし。若い治癒師も付けるわ」

もう一押しとばかりに姫様がたたみかける。はあ、と根負けしたヤーデが口を開いた。


「わかった。場所はメルの工房、週二回。人数制限を設けること。まあ、急患はその限りではない。給金は大公家が払って、護衛は最低二人以上連れて行くこと・・・これでいい?」

「やったあ!それでいいかしらね、ゾフィさん?」

「は、はい!ありがとうございます」


 本当にこんなわがままを言って良かったのだろうかとヤーデをうかがうと、さらさらと何かを書き付けている。

「これが雇用契約書だよ。一度目を通してサインをして返してくれればいい」


 自分のサインの上にバラの印璽いんじを押して、紙をゾフィに渡した。書面にはゾフィの守るべきこと、例えば必ず護衛と行動すること、必要以上に魔力を使わない事とか、雇い主がちゃんと給金を払うこと、無理に治療をさせない事などが書かれていた。かなりの好条件にゾフィはすぐにサインをした。


「そうと決まれば、明日にでも仕事場になる場所を見に行きましょう。サムが言っていた通りお祭りだから楽しいわよ」

「・・・俺も行く」

「あら、忙しそうじゃない?」

「今から片付ける。寝ないでやる」

仕方ないわね、手伝ってあげるわ。そう言って執務机に向かったエスメラルダを残してゾフィは自室へ戻って行った。

 

 翌日、ゾフィは町娘のような格好をして皆と合流した。白い木綿のワンピースの上に緑の袖なしのドレスを羽織り、髪は編み込んで後ろで一つに纏めてある。最近は、ぱつっと切りそろえていた前髪を伸ばしていて、真ん中で分けてサイドに流していた。

 エスメラルダはシンプルな水色の丸首のドレスに、白くて薄いショールを羽織っていて、夏らしい装いだ。サムエラは白いシャツにオレンジ色のスカートを履いている。赤毛が映えて年相応の華やかさがあった。


 青いチュニックに薄茶のタイトなパンツを身に着けたヤーデが、手を取って順番に女性たちを馬車に乗せると、最後に自分も乗り込んできてゾフィの横に座った。あくびをかみ殺すヤーデにサムエラが訊ねた。


 「・・・お二人とも寝不足なんですの?」

「そうなの。年々収穫量が増えてるでしょう?処理事項が多くなっちゃって・・・」

「そろそろ人を増やそうかな。レイを貸してくれない?」

「だめですぅ~。あの子は優秀な私の助手なので。即戦力になる子なら学問所にいるのじゃない?」

「いいなあ、俺のまわりは脳筋率が高いからなあ。ちょっと行ってスカウトして来ようかな。でもそんな暇あるかな・・・」


 そんなことを話しているうちに目的地に着いたようだ。水路の傍にある、間口の大きなレンガ造りの建物で、中から鍛冶屋のような音がしている。珍しい引き戸の扉をガラガラと開けると、双子は遠慮もなく入って行った。


「おや、これは殿下方。いらっしゃいませ」

若い鍛冶師が、三人がかりで鉄を打っているのを立って見ていた、がっしりとした中年男性が振り向いた。


「お邪魔するわね、セイルズ。今日は隣の部屋の使用を許可してもらおうと思って」

ほう、と言いながら、セイルズと呼ばれた親方らしい男は、壁際にある長椅子とテーブルに四人を導いた。


「道理でレイの坊主が今朝から片づけをしているわけだ。で、何にお使いになるんで?」

「治療院を開くんだ。彼女はゾフィ・マルガ嬢。週に二回治癒師としてここで働かせて欲しい」


「!もしや、その、いやそちらのお方が聖女様で?」

セイルズの驚き様に気恥ずかしくなったが、ゾフィは挨拶をした。毎日は来られないが、若い治癒師を研修も兼ねて常に何人か置くということもエスメラルダが話した。


「いや、大歓迎でさ。ここいらの奴らは荒っぽくて生傷なまきずが絶えませんからね。水路を使って港の方からけが人が来ることもありやすし」


 親方と鍛冶の話をするというヤーデを鍛冶場に残して、女性三人は隣接する建屋へと移動した。ドアを開けて入ってみると奥行きがあって、天井も高い。壁の上の方に窓が二つもあって光も良く入るようだ。


「姫様!お待ちしておりました」

白いシャツを腕まくりした人物が、積み重ねた荷物の山からひょこりとのぞく。サラハン人らしい褐色の肌と銀の髪をした顔立ちのいい少年だ。


「いかかですか。この荷物は全部運び出しますからね。ベッドも何台か置けるし、仕切りを付ければ診察室も出来ますよ」

「急でごめんなさいね。でもさすがにあなたは有能ねえ・・・」

そう言ってエスメラルダはレイの頭を撫でた。エヘヘ、とレイも嬉しそうにしている。「どうかしら」とエスメラルダがゾフィの方を向いた。


「素敵です!こんなところを貸してもらえるなんて!わたし、精一杯頑張ります」

「あんまり頑張りすぎるとヤーデ兄様に叱られるわよ」

サムエラが茶々を入れる。「そうね」エスメラルダがうふふ、と笑う。


「治療を始めるのは来週以降ね。今日はお祭りを楽しみましょ。レイも来る?」

そう訊ねられた少年は「いいえ」と首を振った。

「僕はもう少し片づけをします。どうぞ楽しんでいらして下さい」

エスメラルダは少し残念な素振そぶりで「あまり無理をしないでちゃんと休むのよ?」と声をかけると、少女たちとともにレイのいる部屋から出て行った。


 鍛冶場に戻ると、親方とヤーデが鍛冶師たちと輪になって話をしていた。

「なるほど、これが竜王国の刃物ですか・・・よく切れそうだ。それに折れにくい」

「うん、それで鎌を作って欲しい」

「鎌ですか、剣じゃなくて?」

「いや、そんな刀、この国の人間は誰も使えないでしょ。刈り入れの効率を上げた方が有意義だよ。・・・いや、やっぱり料理用のナイフも作って欲しいな」

「殿下らしいですな」ウハハ、と親方が大声で笑っている。


「あら、刀が打ちあがったのね」

「ええ、試作品ですが。お二人のおかげでさあ。公太子殿下は料理用のナイフをご所望だそうですぜ」

「そうねえ、それでお魚をさばいたらさぞかしおいしく出来るでしょうね」

「くぅー、姫様もですかい」

「だって、その刀は騎士には似合わないわ。親方の打った剣は逸品いっぴんだもの。皆満足しているわ」

「わかりやしたよ。料理用ナイフ、二丁ご注文承りました!」

いや、まずは鎌の方を頼むよ、ヤーデが忘れずに注文を付けた。

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