第29話 コンテ村

 夏至げしが近付く頃、大公領は慌ただしさを増していた。秋にいた小麦がこれから一斉に収穫期を迎えるのだ。


 農務官と財務官を派遣して、だかと値段を決める。そうして収穫した小麦は、正当な値段で大公家が一括して買い取るのだ。

 そこから各商人や仲買人の流通に乗り、一部は国の貯蔵庫へとまわる。


 これは農民が不当に買いたたかれたり、市場の値段が不安定になったりしない様にという仕組みだった。


 ただ、この収穫の始まりはお祭り騒ぎの合図でもあった。小麦だけでなく様々な作物が実るこの時期は、市場しじょうも活気づく。

 あちこちで小規模なお祭りが開かれ、夏至の日には夜中よじゅう火を焚いて、踊ったり酒を飲んだりするのだ。


 ヤーデは農地の視察や収穫・徴税の段取り、エスメラルダはサラハン難民向けの街が完成したことで双方忙しいようだった。


 ゾフィはというと、ヤーデやエスメラルダに会えないのは少々寂しいが、相変わらずディーネやクリスタルと刺繍をしたり色々なレッスンを受けて、まったりと過ごしていた。


 ある日、ゾフィは農地視察について来ないかと誘われた。

「視察、といってもザックの出身村なんだけどね」

何でも一番最初に妹姫と二人で管理を任された集落で、自分たちの畑もあるそうだ。


 そのコンテ村は首都を出て、すぐの所にあった。公太子とザックが現れると、あっという間に人だかりが出来た。気心が知れているのか、公太子相手に親しげな者が多かった。


 ザックの母親、マルタは健在で、ザックの妹夫婦と一緒に農地を切り盛りしていた。息子と同じ濃い茶色の髪と目をした恰幅かっぷくの良い女性だ。


「いらっしゃいまし、殿下」

「やあ、マルタ、元気そうで何よりだ。ちょっと畑の具合を見に来たんだ、気を使わないでくれ」

ゾフィも挨拶を交わす。後でお茶の約束をして、ヤーデの後を付いて行く。


 城から見える麦畑は、黄色い幾何学模様であったが、近くで見れば、さわさわと風に揺れる麦の穂は金色の波の様だった。

 きれい、殿下の髪の毛みたい。思わずそう考えてしまって、一人恥ずかしくなる。


 やがて整然とした長いうねの麦畑に到着した。

「ここは麦刈り競争の会場だよ。この一列を一番早く刈った者が優勝、一番遅かった者が・・・まあ、結構ひどい目に会うというお祭りだね」

魔法に妨害、なんでもありの競争だそうだ。この界隈で一番盛り上がるのだとか。


 おしゃべりしながら一通り畑の様子を見た後、夏野菜の畑でズッキーニやアーティチョーク、アスパラ、インゲンなどを収穫した。「明日はピザを焼こう」ヤーデの言葉にゾフィの顔が緩む。


 マルタのもとに戻ってみると、村人たちが外で火をおこし、大きな鉄板の上でパンケーキのようなものを焼いていた。


「お、戻ってきたな。久しぶりに鉄板パーティーしようぜ」

若者がヤーデとザックをみとめると手を振った。やっぱり随分と馴れ馴れしい。ゾフィの後ろにいるアウグスト卿は少々不満そうだ。


「今は繁忙期はんぼうきじゃないのか。いいのか、こんな事してて」

当の公太子は全く気にしていないようで、車座くるまざに置いた切り株の一つに腰を下ろした。

 お嬢さんはこっちだよ、とマルタが椅子を出してくれる。


 若者がにへら、と笑ってゾフィのところにもパンケーキを持ってきてくれた。生地の中には野菜や塩漬け肉が入っているようだ。


 甘じょっぱいソースとマヨネーズがかかっている。野菜と砂糖とヴィネガーを煮込んで作るこのソースの匂いはどうしようもなく食欲をそそる。


 マルタがお茶を持ってきてくれた。お礼を言って、パンケーキを頬張る。少し緩めの生地で作ってあるのだろうか、中は熱々でトロトロだ。


 若者たちは、火のまわりで収穫祭の話や、次の作付さくつけの相談をしている。お酒も出ているようだ。


「皆さん、殿下と仲がよろしいんですね」

「まあねえ、子供の時からの付き合いだからね」


 マルタによれば、十四・五年前はこの村も貧しく人手も足りなかったそうだ。「うちも亭主を戦でなくしてねえ・・・子供たちはいつもお腹を空かしてるし」


 ザックも小さい頃から農作業を手伝っていたが、ヤーデに見出されて側仕えになった。ヤーデとエスメラルダはちょくちょくこの村に来て指揮を執っていたらしい。


「最初はねえ、こんな小さな子が何言ってるんだい、と思ってたもんだけどね。今じゃこの通り、論より証拠だいね。息子はいつの間にか騎士様になってるしね。もうびっくりだよ」

これも昔はクズ小麦と野草ぐらいしか入っていなかったんだよ、手に持つ皿を見て懐かしそうに目を細める。


 ゾフィは麦刈り競争のことを聞いてみた。麦刈り競争で一番になった者は、大公様から最高級の酒樽をたまわるそうだ。


 女性の部もあって、女性の優勝者は小麦粉一袋と、ダンスを申し込んで断られない権利がもらえるということだ。意中の男性がいる者が出場するのだとか。


「去年はね、ダットのカミさんが勝ったんだけど、恐れ多くも殿下に申し込んだんだよ」

思い出し笑いをしながら言う。ダットさんには二十はたちかしらに三人の子がいるそうだ。


「踊られたんですか?」

「もちろん踊ったよ、そもそも女性の部を始めたのは両殿下だからねえ」

今年はどうなることやら、と笑うマルタが祭りを楽しみにしているのがよくわかる。


「お嬢さんは、いい人はいないのかい?ダンスをしたいような」

「えーっと・・・わたしはまだ・・・」

「んじゃ、俺と踊らない?」

村の若者が声をかけてくる。

「いえ、あの、ごめんなさい」

たぶん、そんな自由はないだろう、と思って断る。


「うそっ、俺一瞬で振られたの?・・・なんか後ろの騎士様怖えし」

アウグストが鬼の形相ぎょうそうにらんでいる。男たちがドッと笑う。

「さて、そろそろ帰ろうかな。変なも出てきたようだし」

虫?首を傾げるゾフィの手を、立ち上がったヤーデが取る。皆が「おおー」と歓声を上げた。


「それじゃ、祭りの時にまた会おう。マルタ、邪魔したね」

ゾフィも、お礼とお別れを言って、馬車に乗り込んだ。


 「疲れてはいないかい?」

最近は疲れるということが滅多になくなっていた。外の空気を吸うと調子が良くなる気すらする。


「いいえ、ちっとも。とても楽しかったです。マルタさんがお祭りのことを色々話して下さいました」

「じゃあ、当日は君も来るといいよ。どのみち大公家は総出そうでだからね」


 ヤーデは近頃こうやって優しく笑う。ゾフィはほんの少し落ち着かない気分になるのだけれど。ともあれ祭りまであと一週間、ゾフィはわくわくしてくるのだった。

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