第27話 ゾフィとロバ

 ゾフィの体力は、相変わらず痩せ気味ではあったが、徐々に戻りつつあった。ガイモ治癒師の見立てでは、一年間といえど、成長期の栄養不足はやはり相当なダメージを体に与えたのだろうということだった。

 とは言っても、ゾフィはもともと体も丈夫で、まだ成長期なので回復も早いだろうとガイモは結論付けた。


 それを受けて、今日から新しい運動が始まるらしい。エスメラルダが乗馬がしたくて作ったという、長いキュロットの裾を足首で絞ったパンツをはいて、外庭に行った。外庭といっても馬上試合も出来るくらいの広さだ。


 そこにはヤーデと二頭のロバがいた。

「今日はロバに乗ってみよう。慣れたら少し遠くまで行けるようになるよ」


 ロバは体高が大人の胸下ほどしかない。乗っても大丈夫なのかしら・・・ゾフィは少し躊躇ちゅうちょする。


「ロバは力持ちだから、人間一人くらいどうってことないよ。大人しい子を選んで来たからね。大丈夫、すぐ乗れるようになるよ」


 大きな耳をピコピコしながらゾフィを横目でうかがっているようだ。目のまわりが白く、ちょっと意地悪そうな瞳がかわいい。茶色の短いたてがみをそっとなでてみても、嫌がるそぶりもない。


「その子にするかい?名前はホーテさん。で、こっちの黒いのがドンキさん」

「はい、ホーテさんにお願いします」

嫌がられなかったし、何より向こうもゾフィに興味を持ってくれているようだ。


 毛織物の鞍の上に、ヤーデに手伝ってもらってよじ登る。思ったよりも高いが、安定感もあった。ヤーデが手綱を引いてホーテさんを歩かせる。


 少し慣れてくると、背筋を伸ばして、とか、内腿に力を入れて、といった指示が飛んできた。広い外庭を何周かしたころにはだんだん楽しくなって来ていた。


 ゾフィがほんのり疲れを感じ始めた時、今日の練習は終了となった。再びヤーデの手を借りてホーテさんの背中から下りた。


「また二・三日後・・・は無理かな。君の体調のいい時にまたお誘いするよ」

「?・・・わたしの体調ですか?」

最近ゾフィは調子がいい。体調の悪い時なんてあまりないのに。ゾフィは首を傾げる。


「・・・明日になったらきっと分かるよ。今日はゆっくり体を休めて」

いぶかしがるゾフィに、いたずらそうな、それでいて気の毒そうな笑顔を残してヤーデは政務へと戻って行った。


 ヤーデの言った意味を、翌朝ゾフィは文字通り痛感した。全身が筋肉痛だったのだ。一番力を入れていた太腿ふとももはもちろん、腹筋も背中も、なぜか腕までも痛いのだ。痛くてベッドから降りられない。


 ベッドの上で悶絶もんぜつしていると、ガイモ治癒師が呼ばれてきた。彼は、老年に差しかかった白髪の紳士で、とても愉快な性格だった。


「まあ、若さの証明という病ですな。我々のような齢になると筋肉痛なんて二・三年後ぐらいにやってきますからな」

達者たっしゃな歯を見せてわっはっはと笑う。


「これに関しては、治癒師に出来ることはあまりないのですがね」

「すみません、こんなことでわざわざ・・・」

「いやいや、良いのですよ。聖女様が到着なされてからは、私も暇でしてな」


「ガイモ先生、それは嫌味にしか聞こえませんよ」

ヤーデが扉から口を出した。


「おや、殿下。いや、実際、時間が出来てありがたいのですよ。私もそろそろ引退を考える齢ですからな。こちらのお嬢さんと姫様がおられたら、他に治癒師は要らんでしょう」

なんだか変な方向に話が進み始めて、ゾフィは内心オロオロする。


「そうだ、いっそのこと私をゾフィ嬢の専属治癒師にするというのはどうです?」

「なるほど!」


「なるほど!じゃないのよ、ジェイ」

ゾフィの心の声が入り口の方から聞こえて来た。朝食を運んできたサニと一緒にエスメラルダが入って来たのだ。


「もう、先生もまだそんなお齢じゃないでしょう?だいたい先生は週に三日いらっしゃるだけじゃないですか。それにジェイ、ゾフィさんにあんまり負担をかけないって決めたばかりでしょ!」


 ゾフィの魔力だって無尽蔵むじんぞうという訳でもない。大きなけがや病気を治せばそれだけ消耗するのだ。


 クレシカでは、今考えれば無茶をさせられていた。魔力切れで直接死ぬことはないが、昏倒こんとうしてその間に事故や事件で命を落とすというのはないこともないのだ。

「いやはや、姫様には敵いませんな」

「・・・ごもっともです」


 ガイモは程なくして帰って行った。エスメラルダが、あの人、口は悪いけど悪気はないのよ、と言ってくれるが、ゾフィにもそれはわかる。

 

 クレシカ城での経験の中で、ゾフィは人を貶めようとする者の雰囲気がある程度分かるようになった。いくら親切な言葉を選ぼうとも、もはやそれは悪意にしか聞こえなかった。


 その点、ガイモ治癒師はいつも皮肉や冗談を飛ばしているけれど、体のことはちゃんと診てくれる。むしろ、ゾフィは同僚のヨハンを思い出して温かい気持ちになる。おそらくヨハンの方がいくらか年上で、髪も歯も少ないけれど・・・。


 「さあ、朝食にしましょ・・・食欲はある?」

そういえば、お腹は減っている。「はい」と答えれば、サニとノーラがテキパキとベッドに簡易なテーブルをセッティングしてくれた。


「あの、こんなことまでして下さらなくても、わたし病気じゃありませんし・・・」

「今日くらいはいいのよ。一日ごろごろしていたらいいわ。痛いのは筋肉が付いている証拠だもの」

「そうだよ、朝食も筋肉重視のメニューだからね。しっかり食べて」


 お盆にはオムレツとベーコン、チーズにミルク多めのお茶だ。野菜・フルーツを盛ったボールとゾフィの好きな三日月パンもある。


「君がロバに乗るのを嫌いになっていなければいいけど・・・」

「嫌いになんてなりません!すごく楽しかったですし・・・」

「そう?それじゃ、痛みが癒えた頃にまた誘いに来るよ」


  二人を見送った後、ノーラがにこにこしながら言う。

「ヤーデ殿下とは随分仲良くなられましたね」

「・・・はい、お二人ともとても良くしてくださいます」


 それはわたしが「聖女」だから。それともゲオルク様に頼まれたから。ギルベルトお兄さんの妹だから。可哀想だから。浅ましい考えが次々と浮かんできて、自分が嫌になる。そんな考えを振り払うように、ゾフィは目の前のご馳走に手を伸ばした。

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