第26話 幕間~ある侍女の事情

 クレシカ城の侍女アニタは先輩侍女ラッタに退職の報告をしていた。

「・・・結婚するの?」

「はい。彼が故郷に帰るというので、わたしも付いて行こうかと」


 夫になる人は王宮勤めの騎士だったが、上司に意見して居辛いづらくなってしまった。「地方で領主に仕えようと思う。付いて来て欲しい」と言われた時には二つ返事で了承した。


 アニタは王城に努めて四年ほどだが、先王が崩御してからはとても居心地の悪い職場となってしまっていた。まだ「聖女」がいた頃はよかった。少なくとも職場の人間関係は悪くなかったのだ。


 王妃にへつらうものが王妃の気を引こうと少女に嫌がらせをし始めた。顔をしかめる者も少なくなかったが、みな権力には弱い。誰も大っぴらに咎めることはしなかった。

 

 ところが少女がいなくなった途端、年若い侍女に虐めをする者が現れたのだ。


 耐えかねて注意しようとしたところ、ラッタが止めた。「もっと要領よくやった方がいい。そんなことしたって次はあんたが虐められるだけだ」


 アニタの実家は貧乏貴族で、仕事を失ったら困ってしまう。曲がりなりにも自分のことを気にかけてくれたのだから、辞める時もすじを通そうとこうして別れを言いに来たのだ。


「あんたの恋人って騎士だったわよね?何をやらかしたの」


 先日、スラム街で子供がさらわれるという事件が起こった。だが騎士団や警邏けいらは、貧乏人の子だから、という理由で深く捜査をしなかった。


 それに異を唱えた者たちが粛清しゅくせいの憂き目にあったのだ。あの人は真面目だから・・・かいつまんで事情を話した後、そう締めくくった。


「あはは、あんたとお似合いだね。あんたと同じで要領が悪いってわけだ。せっかく騎士様を捕まえたのにとんだはずれくじだったわね」


 アニタはこの先輩侍女が、聖人君子でないことくらいわかっている。あからさまに「聖女」を虐めたり小突こづいたりはしていなかったが、差し入れをしている者を密告したり、大公家の若君に夜這いまがいのことをしたのをアニタは知っていた。


 『聖女様っていうのはマールの愛し子なんだよ。大事に敬えばマールの慈悲をもらえるんだ』


 マール信仰者だった祖母が言っていた。「聖女」が次代の王妃に決まった時、祖母は存命でとても喜んでいた。これでこの国も安泰だね、と。もしまだ祖母が生きていて、この王城の有様を知ったなら、さぞかしおそおののくことだろう。


『実際にね、昔聖女様をぞんざいに扱った国があったんだけど、すぐに滅びてしまったそうだよ』

その真偽のほどは学のないアニタにはわからない。けれどこんな話を聞いて育った彼女には、積極的に「聖女」を虐げようとは思えなかった。


「はあ、また人が減るんだね。どんどん仕事が増えてやになっちゃう。あの『聖女』をいびってた子たちはすっかり王妃様の取り巻きにおさまっちゃってさ、大きな顔をするのよね・・・まだ口うるさい侍女長がいた時の方がましだったわ」


 厳格な侍女長や、堅物の女官、職人気質の料理長などはみんな王妃とその取り巻きに追い出されていた。だけど、辞められるなら早く辞めた方が良かったのかもしれない。


 このラッタとて、多少小ずるいところはあったが、ここまで悪辣あくらつではなかったはずだ。きっとこの職場の環境が彼女の性格に影響しているのだ。


「あいつら、いつか見てなさいよ」と爪を噛んでブツブツ言っている先輩を見てアニタはそう思った。


 宮中でいい結婚相手を見つけることを期待していた両親も、最近では王都を離れた方がいいとまで言っている。経済や治安の悪化は、アニタの家族のように、裕福でない者には既に深刻だった。


「・・・ラッタさん、あまり無茶はしないでくださいね。マールが行いを見ているんですから」

マールは他人のために働く者を愛する。逆に他人をおとしめる者には慈悲をくれないのだ。アニタだってそんな褒められた生き方をしてきたわけではないが。


「はあ?なに年寄り臭いこと言ってるのよ。まあ、あんたもえない騎士様とお幸せにね」

 

 「アニタ!」

茶色の髪に青い目の、よく鍛えたたくましい若者が走ってきた。容姿は平凡なほうだが、アニタの目には世界一格好良く映るのだ。


「ニケ!」

アニタは愛しい人の名を呼んだ。ニケ・ディケンズは小さな子爵家の次男で、今日はこのまま彼の故郷へ出発することになっていた。

 ディケンズ領は広大なオーヴ公爵領のはじっこに位置しており、到着まで三日ほどかかる。


「兄さんから手紙が来てたよ」

「なんて?」

「ちょうど領境守備の騎士に欠員が出たから来るといいって」

「欠員?まさか危険な仕事なの?」


「違う違う。俺が子供の頃から務めてた、爺さん騎士が辞めたのさ。隣のドーゲル伯領から侵入してくるのははぐれた羊くらいで、それを送り返すのが主な仕事なんだってさ。のどかだろ?」


 のどかね、二人で笑いあう。羊が相手なら心がすさむこともない。そんなのどかな土地で子供を育てて、毎日家族のためにスープを煮るのよ。

 としを取ったら猫を飼うのもいいわね。祖母が飼ってたような大きな銀色の猫を。


 先輩は外れくじって言ったけど、わたしはこの人の優しい心やあったかい手を知っているもの。絶対に当たりくじなんだから。


 ゴトゴトと揺れる荷馬車からはいつまでも楽しげな声が聞こえていた。

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