第21話 大公女エスメラルダ

 翌朝、ゾフィが目覚めると傍らには犬の頭があった。長く垂れた耳と目のまわりが濃い茶色の斑犬ぶちいぬだ。


 うん、夢?ゾフィが身じろぎすると犬がこちらを向き、茶色の瞳と目があった。あごをベッドのふちに預けたまま舌をペロペロと出す。


「かわいい!」

ガバリと起きて、犬を構う。猟犬種なのだろう、かなりの大きさだ。大きな頭をぐいぐい押し付けてくる。ベッドの上でなかったら細いゾフィは転がされるところだろう。


 笑い声を聞きつけて、サニがやってきた。

「こら、ポティー、ダメですよぅ。聖女様は病み上がりなんですからぁ!」

サニが、おすわりーと言いながらポティ―を追いかけて部屋をぐるぐると回っている。なかなかに面白おかしい光景だ。


 「サニ!何をやっているのですか!」

ノーラが一喝するとサニとポティーが並んでシュンとする。「申し訳ありませぇん」


「おはようございます、聖女様。お加減はいかがですか」

そう言えば、今朝は体が軽い。あんなに痛かった喉ももう何ともない。


「おはようございます。もうすっかりいいようです。ご迷惑をおかけしました」

よろしゅうございました、ノーラが部屋のカーテンを開ける。眩しい朝の光が入ってくる。


「聖女様、朝食は召し上がれそうですか?」

「はい!あの・・・その聖女じゃなくて名前で呼んでいただけると嬉しいんですけど・・・」


「そう?それじゃ俺もゾフィって呼んで構わない?」

いつの間にかヤーデが入り口に立っている。ポティーは主人を見付けると走り寄り、しきりに尻尾を振った。


「まあ!殿下、淑女の部屋に気安く入るものではございませんよ」

ノーラが公太子を軽く押し戻してとがめた。その間にサニがショールをかけてくれる。


「ごめんごめん、どんな様子かと思ってね。入ってもいいかな?」

「は、はい、どうぞ」

「どう?もう熱は下がった?」


 ヤーデはベッドのそばの椅子に腰かけると、ゾフィの額に手を置いた。ノーラの額には小さな青筋が出来た。


「ジェイ、年頃のお嬢さんにすることではなくてよ?」

盆を手にしたアグネスを伴ってやってきたのは、とても美しい人だった。


 カラスの塗れ羽のような艶やかな髪に、双子の兄と同じ色の瞳が、完璧なまでに整った小さな顔の上で優しく煌めいている。


 たおやかな、しかし女性らしい体は匂い立つようだが、その品のある振る舞いと双眸そうぼうに宿る知性が、むしろ清々すがすがしさを彼女にまとわせていた。


 すその長い青いドレスを着ていて、ベルスリーブの袖口からは真っ白な手がのぞいている。おとぎ話のお姫様みたい、とゾフィは思った。


「初めまして、ね?ゾフィさん。ヤーデの妹のエスメラルダよ。メルディと呼んでくれたら嬉しいわ」

「ひゃ、ひゃいっ!はぢめましって」


 しばし、ぽーっと見つめていたゾフィは声をかけられて焦ってしまう。ヤーデが笑いをこらえている。ノーラとアグネスも微笑んでいる。


「お粥を持って来たのよ。食欲があるといいのだけど」

オーツ麦をミルクと砂糖で煮たものだ。甘い香辛料の香りが食欲をそそる。

 ヤーデが受け取って、自然にゾフィに食べさせようとするので、ノーラと妹姫に同時に突っ込まれていた。


「それじゃあ、食べたらまた少し休んだ方がいいわね?良くなったらたくさんお話ししましょうね」

姫君はそう言ってアグネスとともに出ていった。

「じゃあ、俺も退散しますか」

お大事にね、ヤーデもポティーを連れて退室していった。


 部屋が急に静かになってしまった。ノーラが小皿に取り分けてくれたお粥を一口頬張る。甘くてトロトロで美味しい。昨日は何も食べていないから体に直接沁みこむようだ。

 

 お代わりをよそいながら、ノーラが兄妹のことを話してくれる。ノーラは二人が幼少の頃から傍で仕えていて、五年ほど前に退職していたそうだ。

 ヤーデがゾフィのために復帰を頼んできたのだという。


 「お二人ともお小さい時から、それは優秀で。だけどちっともじっとしておられないから、お世話は大変だったんですよ」


 子供だけで街へ出かけたり、森へ入って行ったり。気を抜ける日がありませんでしたよ。


 その他にも色んなことを話してくれた。もう一人年の離れた妹姫がいることや、二人とも四属性の魔法が使えること。


 公都や港の賑わいや海を航行する大きな船のこと。

 お城の中でいろいろな家畜を飼っていること、ポティーは生まれつき足が少し悪くて、処分されそうだったのをヤーデがもらって来たことなど。


 そんな話を聞いているうちにゾフィはウトウトし始めた。お休みなさいませ、ゾフィ様。ノーラはそっと囁くと掛布を整え、天蓋のカーテンを閉めた。


 「かわいい人ね。ジェイが構いたくなるのもわかるわ」

「・・・まあね」


「やっぱり彼女の力は『女神の御垂れ』なの?治癒するところを見た?」

「うん。ゲオルクのおっさんにも聞かれたけど間違いないよ。治癒は、あれは反則だね。俺たちのは精々、細胞の活性化とか免疫力の向上とかでしょ?彼女のはそんなんじゃないんだ。正体不明だよ。ワッと流れ出てギュッと治すような・・・」


「・・・良くわからないけど・・・ちょっと待って!ポチの足、治ってない?」

「えっ、マジ?先天性のものも治るのかよ」


 小さくて毛足の長い先住犬マロンに吠えられて、猟犬はしっかりした足取りで逃げ惑う。

 それを見て、何人たりにとも彼女の力を悪用させてはならない、と二人は思いを新たにするのだった。

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