第20話 一日目の朝

 並々ならぬ意欲を持って迎えたはずの朝だったが、ゾフィの体は鉛のように重かった。お付きのノーラはサニに水と布を持ってくるように指示すると、ヤーデに知らせに行った。


 ヤーデが部屋に入ると、サニがゾフィの額を冷やしているところだった。

「どんな具合だい?」」

「お熱が高いんですぅ。喉も痛いそうで・・・」


二人の会話を聞いて、ゾフィが目を開けた。

「あ・・・の、すいません、すぐに治しますから」


起き上がろうとして言う。喉が腫れているのだろう、声がかすれていた。

「いや、いいんだ。寝ていなさい」


 治癒はあまり得意じゃないんだが、と言いながらゾフィの額に手を置く。ひやりとした感触が気持ちいい。触られたところがふわっと温かくなって、そのぬくもりが体に流れていく気がした。


「食欲は・・・なさそうだね?」

さすがのゾフィも今日は何も食べられない。弱々しく首を振る。

「それじゃ、せめて頑張ってこれを飲んで」


 ノーラが持って来たカップを差し出す。砂糖水に塩を少し入れたものだよ、ヤーデが背中を支えてゾフィを起こす。

 喉が痛いのを何とか我慢して、それでも喉は乾いていたのか、すべて飲み干すことが出来た。味は良く分からなかった。


「疲れが溜まっていたんだろう。今日は一日ゆっくりお休み」

額をなでる手が冷たくて気持ちいい。そのヤーデの言葉を聞き終わらぬうちに、ゾフィは自分が暗い眠りの淵に沈んでいくのを感じた。


 次にゾフィの意識がほんのりと浮上した時、温かくて柔らかな手が喉の下の辺りにあるのがわかった。とても優しい手だ。

 昔一度だけ熱を出したとき、孤児院の「お母さん」がこんな風に看病してくれた。


「お・・・母・・さん?」

朦朧もうろうとして問う。ふふっ、優しい手は優しい声で笑った。今はゆっくりお休みなさい。


 「助かったよ、メルが帰って来てくれて。なかなか熱が下がらないから」

「そうね、ガイモ治癒師もご不在だものね・・・あんなに細いと肺炎になりでもしたら大変だわ」

「・・・うん、ちょっと配慮が足りなかったかもしれない。強行軍だったからね。少しくらいの不調は無理する癖がついているんだろう」


 体中が痣だらけだったと王都邸の侍女たちが言っていた。それでも文句も言わず他人の治療に従事していたのだ。


「クレシカではひどい待遇を受けていたんですってね。あんな小さな子を・・・いいわ、ここで思う存分甘やかしてあげましょ」

「フフッ、そうだね」


 エスメラルダはふと美しい顔を曇らせた。

「あそこは随分と変わってしまったのね・・・あの子は・・・幸せそうだった?」


いや、ヤーデは暗い塔の中に佇むヨアキンを思う。「そうは見えなかったな」祭りの喧騒の中にあっても孤独に見えた。


「心配かい?」

「そりゃあ、そうよ。あなただってそうでしょ?」

ヤーデは軽く肩をすくめて見せる。


「・・・自分で言うのも何だけど、あの子はわたしに執着していたでしょ?でも何かに執着している方が、ちゃんと成果を出せる子なの。だから、愛する人を見付けたのなら良かったと思ったのよ。それなのに幸せそうじゃないなんて」


 ヤーデはイレーネ妃を思い浮かべる。ヨアキンは王妃の贅沢をなんでも許しているという話だったが、言われてみれば、あれはそんな愛する女を見る目だったろうか。愛情が、いや欲情すらこもっていただろうか。


「あの子は自分が興味のある人たち以外どうでもいいと思っているところがあるから・・・時々、そういう人たちを思うままに動かしていることがあったわ。そんなところはお父さんに似ているなと思ったけれど」


 ヤーデは少し意外だった。妹のヨアキンに対する評価が思いのほか高いのだ。一緒にいた時間がいちばん長いのはエスメラルダだ。他の者が知らぬ王の顔を知っているのだろう。


 子供の頃は父母の言うことをよく聞き、妹姫マリエルのようには感情を露わにしない王子だった。

 幼少期は優秀だったが、今は気弱で争いを好まぬ大人しい王、ヨアキンを知る者はこう評するだろう。 


 しかしエスメラルダの言う王の姿は、女に付け込まれ外戚にいいようにされている今のヨアキンとはそぐわない。


(何か思惑があるのだろうか、何かが引っかかる)

そんな思案もエスメラルダの言葉に散らされた。


「どんな女性だった?美人さん?」

「・・・ああ~、うーん、どうだろ?」

何よ、それ、そう言って笑う双子の姫を見ながら、ヤーデは思った。


(あの王妃とコルネ一家はだめだ。クレシカは遠くないうちに食いつぶされるだろう)


 この目の前の女性が王妃になったところも見てみたかった、そうなればどれほどの民が救われ、俺たちも平穏に暮らせたことだろうか。


「あいつ、バカだな」

エスメラルダに聞こえぬよう、ヤーデはそっと呟いた。

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