第19話 大公ノイマン

 「父上は?」

「お部屋で殿下をお待ちでございます」

執事長のティールニーが答える。わかった、軽く応じて父ノイマンの居室へと向かった。


「父上、ただいま戻りました」

入室の許可を得てドアをくぐると、ノイマンは何か書き物をしていた。ヤーデを見ると、深い青色の目を細めて微笑んだ。


「ご苦労だったな。お前からの書状とゴードンらの報告でおおよその事態はわかったが、王都あちらはかなり悪いようだな?」

「はい・・・特に港はピリピリしているようです」

「一触即発もあるかもしれん。バッコスによれば、コルネの船が帝国との境をチョロチョロしているらしい」


そう言いながら、手紙を一通差し出す。バッコスからだ。あのチャラけた様子からは想像もつかない几帳面きちょうめんな文字で、行き交う船の名と日時などが記してあった。


「良い斥候せっこうをお持ちで」

手紙を返しながら、冗談めかして言う。


「頼んではいないのだがな」

受け取る代わりに指を軽く振り、不要だという仕草をした。


 ポッと紙に火が点る。半分程まで焼けるのを確認すると、ヤーデは燃えかすを火の気のない暖炉に放り込んだ。


「サラハンの動きはどうですか。まさか帝国転覆の目論見もくろみに一枚かんでいたりはしないでしょうね?」


 サラハンは小さな部族連合国だったが、十数年前に帝国に滅ぼされ、人々は難民となって世界に散った。


 海路で逃げてきた者たちをディローゼンは相当数受け入れている。


 万が一帝国にあだなす一派がこの土地から出れば、帝国も黙ってはいないだろう。


「ああ、今のところは大丈夫だ。統領のウィックとはテレンツが密に連絡を取っている」

「そうですか、ならあとは帝国の動向次第でしょうか・・・」


 テレンツ叔父上の領に建設中の街は、ほとんどサラハン難民の為のものだ。そこに落ち着いて大人しくしていてくれればいいのだが。

 あとの心配事は・・・そこまで考えて、ヤーデは視線を床に落とした。


 ノイマンは、息子のその表情に浮かんだわずかな憂いを見逃さなかった。

「なんだ、ほかに何かあったか?」


 若者は顔をあげてため息を吐く。

「父上にはかないませんね」


 これは憶測なのですが、と前置きをしてヤーデは続けた。

「オーヴ公はマリエルを立てるつもりではないでしょうか」

「!・・・なんと、ヨアキンを切るか!」

「あくまでも可能性の話ですが。少なくとも備えはしておいた方が良いかと」


「・・・そうしよう。ところで『聖女』を連れてきたということは、全ての縁談を断ってもいいということだな?」

「はい」

「了承は取ったのか」


「いえ、なにぶんまだ幼いようなので・・・これからゆっくり口説きますよ。もちろん彼女の気持ちは尊重します。わが領には他にも有望な若い騎士はたくさんいますからね。どちらにしても、しばらくは大公国うちにいてもらうことになりましょう」

 

 そうか、重厚な椅子から立ち上がって、ヤーデの方へ近付いていく。

「よく無事で帰って来たな、息子よ」

そう言ってヤーデを強く抱き締めた。


 ヤーデが退出した後、ノイマンは一人、酒の入った杯を片手に、居室の椅子に座って物思いにふけっていた。


〈まさかヨアキンがあれほど愚かだったとは。恐れるべき父親が死んでが外れたか。エスメラルダをやらなくて正解だったな。

 いや、あれもあの子を娶っておけば、こうまで愚昧ぐまいな王にはならなかっただろうに。


 エルヴィンは、わが大公家に少々対抗心のようなものを持っていたからな。わが家の影響力を嫌ったのか・・・息子には唯一無二の伴侶はんりょを選んでやりたかったのだろうが。


 だからと言って、あの子との縁談を反故にするとは愚かだったぞ。エレノール妃が生きていたら反対したであろうな。彼女はあの子の才能を買っていたから〉


 自慢の黒い口ひげを指で軽くしごく。ちょっと機嫌がいい時にするノイマンの癖だ。


〈しかし、あの子供たちは、私には過ぎた宝だな。二人とも加護持ち、しかも世にも珍しい複数の加護持ちだ。それに上に立つ者としても申し分ない人格だ。

 時々メルの方が姉のようなふるまいをするのもまたかわいいしな。 


 私の代になってわが領はますます発展したと言うが、半分はあの子たちの手柄だ。我々商人は、売る物と買う者が揃わなければ何もできない。その両方をあの子らは作り出したのだからな。


 時々、突拍子もないことを始めて吃驚びっくりさせられることもあるが・・・。これは母親似だろうな。アンセルマも、あの子たちの母親もお転婆だった。

 男のなりをして船に乗ったり、腹に子があるというのに、自分できじを捕りに行ったり・・・・〉


 朗らかで美しかった妻を想う。あんなに健康な人でも流行り病で突然儚くなってしまうのだ。


〈あの子たちにも良い伴侶を迎えてやりたいものだ。ゴードンはヤーデが『聖女』を結構気に入っているようだと言っていたが。


『性格は問題ないし、頭も悪くない。少々自己評価が低いが』

殿下がお身内以外の女性を褒めるのは、珍しいですよ、と・・・これが女性を褒めているのかは微妙だが、あの子は少し素直でない所があるからな。


 人柄の良い娘なら、ヤーデも大事にするだろう。あれはそういう男だ。


 ・・・これから口説くと言っていたが、娘が落ちるのは時間の問題だろうな。親の欲目を差し引いても、いや、同じ男の目から見ても、あれの魅力にあらがえる者はおるまい。


 まるで銀色狼に狙われた子ウサギの様で、少々哀れだが・・・まあヤーデの事はいい。あれがいればこの先も領は安泰だろう〉


 〈あとはエスメラルダだ。クレシカの王妃ならば申し分はないと思ったが、彼女に見あう伴侶を見付けるのは難儀になった。


 あの知識と美貌を欲しがる男は後を絶たんが、これという貴族がいないのが現状だ。

 容姿や身分で求婚してくる者など門前払いだがな。あの子は本当に愛すべき娘なのだ。


 いざとなればヤーデはあの子をずっと領にとどめて置くつもりだろうが、まあ、それも悪くないな。


 良い婿むこ見繕みつくろって、ユーロクを継がせてもよい・・・だが、それではわが領に力が集中しすぎるか。


 ふぅ・・・どこかに、あの子を任せられる逸物いつぶつはいないものか・・・〉


 そして、賢君と言われた今は亡き従兄に思いを馳せる。


〈エルヴィンは若い頃から頼もしく王としては完璧だったが、いかな賢王でも子供の事となると判断が鈍るものか。

 厳しくしたのは、気優しい息子の為だったのだろうが・・・それがちゃんとヨアキンに伝わっていればよいのだがな〉


 クレシカは多くを失い、大公国は優秀な後継、「聖女」、もしかしたら新女王への後ろ盾をも得るかもしれない。


 〈エルヴィンよ、結局わが大公家がお前の欲しがっていた物全てを手に入れてしまうぞ。


 お前が下手に欲さえ出さねば、今頃はしゅうと同士、酒をみ交わしていたかもしれぬのだ。私は割と楽しみにしていたのだがな〉


 窓の外には春の月がぼんやりと浮かんでいる。それを相手に杯を掲げると、ノイマンはゆっくりと中身を飲み干した。

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