第14話 街道

 翌朝、日も出ぬうちからディローゼン邸は忙しかった。朝食もそこそこに、公太子とゾフィたちはアッシェンへ向けて、出発の準備をしていた。


 ヤーデと騎士四人は騎馬で、ゾフィとアンネは馬車に乗り込む。アンネは次の街メネスまで付いて来てくれるのだそうだ。ゾフィはシュルツとジョアにお礼を言った。たった数日世話になっただけなのに、お別れするのがとても寂しい。


「きっとまたお会いできますよ」

ジョアが言い、シュルツも行ってらっしゃいませ、と笑顔で送り出してくれた。


 途中、昼食と小休憩を数度はさみ、夕方には中核都市メネスに着いた。メネスの宿ではアンネと同室で泊まることとなった。


 道中アンネは色んなことを話してくれたが、驚いたことに彼女は既婚者であった。鍛冶師の旦那さんとお店を持つために、大公家の館に住み込みで働いているのだそうだ。 


 メネスに付いて来てくれたお礼を言うと、「特別手当をいただけるからいいんですよ!」と気さくに言った。


 アンネとお別れをした後、再び馬車の旅が始まった。ヤーデの話だと、メネスから直接アッシェン方面には向かわず、ポルテの街で一泊する予定らしい。


 ポルテはディローゼン領の都市で、マルサレック伯爵が治めている。

「君の世話をする侍女が要るからね」


 自分の世話ぐらい自分で出来るのに、誰かに世話をしてもらうことに慣れていないゾフィは思うのだが、やはり「聖女」のような女性が侍女も付けずに男に混じって旅をするのはよろしくないという。


 お城にいるときはあちこち連れ出されたけれど、いつも男性兵士が一緒だっただけだ。それは普通ではなかったということなのだろうか。


 いくつかの小都市や村落を通り抜けると、国境に向かって荒涼とした野原の道が続く。

「しばらくお邪魔するよ」

小休憩の後、ヤーデが馬車に乗り込んで来た。


「少々、荒事あらごとが起きるかもしれない。何か起こっても君はここでじっとしていて」

荒事!オヴェンの野卑やひな笑顔が思い浮かぶ。乱暴に掴まれたことのある腕を無意識にさすり、ブルッと震えた。きっとわたしのせいだ。


「ごめんなさい」 

小さな声をヤーデが聞きとがめた。


「君のせいではないよ。断じて君が悪いのではない。安心して、必ず君を無事兄君のところに連れて行くから」


 温かな手の甲がゾフィの頬に触れる。少し驚いて顔をあげると、強くて優しい緑の瞳がゾフィを見ていた。


 コクリと頷くと、ヤーデがふわりと笑う。そうして着ていたマントをゾフィにかけてくれた。


 やがて、一行が人気のないところに差し掛かった時、いななきと剣戟けんげきの音が聞こえてきた。馬車は徐々に速度を上げ、また緩やかになり、やがて止まった。ヤーデはゾフィに目配せをすると、馬車の扉を開けた。


「命が惜しくば・・・」


暴漢の声はそこで途切れた。白目をいて地に崩れる。他の三人のならず者どもはあっけに取られている。


 ヤーデの指先からはパチパチと小さな稲妻の様なものが出ていた。そのまま男達を指さすと頭目と思われる者を残して、同じように倒れる。


「まさか大公家うちにケンカを売る阿呆がいるとはね」

「こ、こんな強えヤツがいるなんて聞いてねえ!」


首領が逃げようと走り出すが、ヤーデが、トンと馬車を降りるのと同時に、ぬかるんだ地面に足を取られる。


 その後ろを大きな霜柱が追いかけて行き、男をからめとった。氷の道はヤーデの足元から始まっていた。


「ふーん?誰から聞いてないのか教えてもらおうか」

サクサクと音を立てて男に近付いた貴公子は、おもむろに凍った足を踏みつけた。男が小さく悲鳴を上げる。


「知らねえっ、街で金をもらって頼まれただけっ…?!」

片方の眉をあげて、踏みつけている足に体重をかける。

「ぎゃあっ、本当に、知らねえんだ、許してくれ・・・」


「殿下、こっちは終わりましたよー」

ディーが緊張感のない顔でやって来た。「ザックさん達があっちで六人ばかりフン縛ってますよ」親指を立てて後ろを示す。


「どうします?ポルテまで連れていけば不敬罪で、しょっ引けますけど」

襲撃で不敬罪となれば、おそらく極刑だ。男の顔色が変わる。


「ま、待ってくれ。俺たちゃ何も知らねえ、アンタらが何者かってのも知らなかったんだ!メネスで金持ってそうな奴に頼まれたんだよ!」


 男の話によると、二日ほど前にメネスの酒場で、ここらで待ち伏せて少女をさらって来いと言われたそうだ。


 場末ばすえの酒場には似つかわしくない、身なりのいい二人組の男で、フードをかぶっていて人相はよくわからなかった、と恐怖と痛みで半ば泣きながら白状した。


「ポルテとさっき通ったハンタ、どっちが近い?」

しゃがんで頬杖をつきながら、戻って来たザックに問う。

「残念ながら、ハンタですね」

「そうか、じゃあ、ハンタの衛士に引き渡そう」


 もう引き出せる情報はなさそうだ。ヤーデは立ち上がった。ディーとゴードンにならず者達を任せて、馬車を進めることにする。御者にはさっさと逃げるように言っていたため、無事だ。


「待たせたね」

再び馬車に乗り込み、ゾフィに声を掛ける。顔をあげた少女は、取り乱す事もなく落ち着いた様子だ。ヤーデのマントの刺繍を見ていたようだ。案外、肝が据わってるな、ヤーデは思う。


「あの、大丈夫だったのでしょうか?その・・・」

自分を狙った賊だったのではないかと不安げに尋ねる。


「ああ、大丈夫だよ。追剥おいはぎだったから街の衛士に引き渡すことにしたよ」

にっこり笑って言う。何か言いたそうだったが、事情をある程度把握したのだろう。はい、と頷いて、たたんだマントを差し出した。


「ありがとうございました。素晴らしい刺繍ですね」

パレードの時に着けていたマントだ。


 白い毛織物に赤い十字と見えていたが、間近で見れば、白糸と銀糸で盾と交差した剣、白薔薇、そして見たことがない、外国語だろうか、文字列が刺してあった。精緻せいちで見事な意匠であった。


「うん、もう寒くはないかい?」

「はい!・・・あのう、それは外国語なのですか?」


 なんて書いてあるのでしょう。好奇心に負けて聞いてみる。


 この世界は、方言はあるが共通語が話されている。しかし、竜王国や海の向こうの国では全く違う体系の言語もある、と授業で習ったのだ。


「・・・ああ、大公家の祖先の国で使われていた言葉だよ。『神の剣、信仰の盾』という意味だ。今となっては読める者もいないのだけど」


 愛おしそうに、少し寂しそうに文字列をなでる。美しい未知の文字に、形のいい指、伏目がちの色っぽい顔。思わずぽやっと見惚れてしまう。


 すべてがゾフィの許容を超えていた。再度にこりと笑いかけられ、真っ赤になってあたふたしてしまうのだった。


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