第13話 決別

 パレードの後、宵には宴が開かれていた。ワインにエールにシードル。豚や鶏、野鳥に川魚。乳製品や砂糖菓子。考え得るすべてのご馳走が卓上にあった。

 

 楽団が掻き鳴らす騒がしい音楽に、大声で喋り、笑いながら踊る男女。すべての喧騒がマリエルにとっては苦い物に思えた。


 傍らのロベルが取って来てくれた果実水をもてあそぶ。


「やあ、マリー、楽しんでるかい?」

「ヤーデ兄様!・・・ううん、なんだかこんな馬鹿騒ぎ、空しくって。それに、聞いたでしょ?私の・・・」

そこで口をつぐんでしまう。マリエルを帝国に差し出そうという話か。


「・・・ああ、アレニウス帝の事だね・・・」

そうヤーデが口にした時、ロベルの無表情がピクリと動いた。

「ええ、もちろんいつかはどこかに嫁ぐとは思っていたけれど、後宮の妃の一人なんて・・・」


 アレニウスは今、国の改革断行の真っ最中だという。そもそも新帝が女好きとは聞こえてこない。そんなに簡単に懐柔かいじゅうできる相手なら苦労はしない。どうせコルネあたりが思い付きか嫌がらせで言い出したことだろう。


 「ねえ、兄様!帝国が勇者をんだというのは本当かしら?」

打って変わって興味津々という顔でマリエルが聞いてくる。


 世界が魔物の危機に晒された時、圧倒的な力を持った勇者たちが現れるという伝説が、世界には根強くあるのだ。だがそんなことをなし得るのは神くらいだろう。


「ええ・・?まあ、全否定はしないけど。相変わらず魔物の数は減っていないしねえ」

そうよねぇ、マリエルががっかりして言う。


 イレーネがこちらに向かってくるのが見える。あの女、兄さまを狙っているのよ、はしたない女。王女が小声で吐き捨てる。


「まあ、ヤーデ様、こちらにいらしたのね。わたくしたちとあちらでお話ししましょう?」

そう言って腕に触れてくる。マリエルに、俺たちはいつだって君の味方だからね、そう囁いて「陛下に挨拶をしてくるよ」と手を振った。マリエルは小さく頷いた。


 しかし、連れて来られたところに王はいなかった。踊りましょうよ、と迫ってくる王妃をかわしていると、コルネとその義息がやって来た。


「おや、殿下。連れて行った聖女は元気ですかな」

「ええ、最近は体調もよろしいようですよ」

「手なずけて私物化するつもりですか」

オヴェンが不遜な態度で言う。

「・・・私物化だと?」

自分が思うより低い声が出たようだ。オヴェンがたじろいで顔色を変えた。

「なに、ここにはあんな少女を無理に脅して手籠てごめにしようという変質者もいるようですからね、身の安全を守ってあげているのですよ」


 今度は、オヴェンの顔が赤くなる。

「何だと、誰があんな醜い娘・・・」

「さて、陛下もいらっしゃらないようだし、俺はこれで失礼するよ」

有無を言わさず話を切り上げる。ああ、ヤーデは振り返って言う。

「子爵、ご子息の殿?にはもう少し口の利き方を学ばせた方がいい。貴族を名乗るのならね」


義父上ちちうえ!何とかしてください」


「まあ、待て。まだチャンスはある。あの生意気な青二才の鼻っ柱を折って、小娘も手に入れられるな。まったく今どき騎士道だ正道だと古臭いことを言う者の多いことよ。しかし、まさか陛下がアッシェンの肩を持つとは・・・イレーネ、陛下を説得できんのか?」


「・・・陛下はわたくしの言うことなんか、そんなには聞いてくれませんわ」

ああ見えて、案外頑固なんですもの。それよりあの方本当に美しいわ。あんな人を恋人にしたいわね。うっとりと男を見送る。


 ヨアキンは、城壁の小塔にいて一人街明かりを眺めていた。この小塔は本来、やぐらの役割を担うのだが、クレシカ城は攻められた事がないのでお役御免となっていた。申し訳程度に簡素な机と背もたれのない長椅子が置いてある。


 八年ほど前、母王妃が亡くなった時も、ヨアキンは一人ここにこもっていた。あの時は、すぐにエスメラルダが見付けてくれた。


 彼女は、長椅子にうずくまるヨアキンと背中合わせに座って、泣いていたの?と聞いた。泣いていない、と答えると、どうして?とまた訊ねた。


「母上が、王になる者は簡単に泣いてはならぬとおっしゃったのだ」

母はヨアキンの教育に熱心な人だった。父王に恥じぬ子になりなさいといつも言っていた。


「そんなの、王様だって悲しい時は悲しいじゃない。それにね、人は人生に三回泣いていいんですって」

「三回?」

「生まれた時と親を亡くした時と、愛する人を亡くした時」

「・・・それは四回ではないのか?」

「そこは深く突っ込んじゃいけないのっ・・・」


振り向く少女の美しい緑色の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れる。

「な、なぜそなたが泣くのだ・・・」

「ジョーが泣かないから、代わりに泣いてあげるのよっ」


少女はしゃくり上げながら再び前を向いてうずくまった。そうか、ヨアキンはもう一度背を少女に預けると、そのぬくもりが小さく揺れるのをしばらく感じていた。


「また、余の代わりに泣いてくれるか?」

「王様は泣かないのでしょ?」

「あと二回は泣いていいのだろう?」

「・・・あなたが泣いて欲しいって言うなら考えてあげる」


 だが、もうそんな日は来ない。ヨアキンはそっと目を閉じる。優しく聡明で、希代の才女と言われているのにどこか抜けた美しい幼馴染。


 彼女を失ったなら自分は泣くだろう。自分が死んだら彼女は泣くだろうか・・・まだ泣いてくれるだろうか。


 その時、コツコツと狭い階段を上って来る者がいた。

「やはりここにいたな」

「ジェイ・・・」

ヤーデが窓辺に寄って来て壁にもたれる。


主賓しゅひんがこんなところにいていいのか」

「余がいなくとも、誰も困っていなかっただろう」

まあ、そうか、ヤーデが小さく笑う。

「明日出立するから、暇乞いとまごいに来た」

「そうか」


 しばらく沈黙が落ちる。街の明かりも徐々に消え始めている。もう昔の様な関係には戻れるはずもない。そんなことは皆わかっているのだ。意を決したようにヤーデが姿勢を正すと、胸に右手を当て敬礼をした。


「ヨアキン国王陛下、これにておいとま致しますことをお許し下さい。この先もご健勝であらせられますように」

「うむ、大儀たいぎであった、ディローゼン公太子」

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