第11話 ご馳走

 それから二日間、ゾフィは三食おやつ付きの生活であった。ジョアとアンネはとても働き者で、食事、洗濯などはもちろん、湯浴みや寝具の準備もしてくれた。

 ただ、さすがに体を洗ってくれるという申し出は断った。


 ホカホカのお風呂にフカフカのお布団。こんな生活をするのはアッシェン城にいた時以来か。いや、それでもここまで至れり尽くせりではなかった。


 王城の冷たい生活ですっかり縮こまってしまった心と体が、ゆっくりとほぐされていく様な気がした。


 ヤーデは多忙らしく、昨日朝食を共にしたきり会っていなかった。

「殿下は今日は農場の方へお出かけですから、晩餐にはお帰りだそうですよ」

「農場、ですか?」

「郊外に大公家の農場があるんですよ。お屋敷で出される食材はだいたいそこの物なんです」

「なんたって殿下は、農神のご加護をお持ちですからね!蜜蜂も飼ってるんですよ!」


 なぜかアンネが得意げに口を出す。そういえば、昨日の朝食のパンケーキにはイチゴと蜂蜜がたっぷりかかっていたわ。思い出して、頬がゆるむ。それにしても農神の加護なんて、やっぱりすごい方なんだなあ。


 「さあさあ、こちらも召し上がれ。ジャム入りのクッキーですよ」

そう言って赤いジャムが渦巻き模様になった丸いクッキーを出してくれた。程よい甘さの生地に甘酸っぱいキイチゴのジャムが絶妙だ。


 さすがに何もしないというのは気が引けたので、何かお手伝いは出来ないかと聞きに来たのだが、結局またお茶を飲まされている格好だ。


 まあ、魔法が使えないのであまり役には立たないだろうけど。そう告白した時も、二人の侍女はゾフィを馬鹿にするでもなく、うかがっておりますよ、とサラッと流してくれた。


 ゾフィは二枚目の菓子をかじる。ここに来てしたことと言えば、シュルツさんのぎっくり腰を治したくらいだ。


 その日、晩餐の席にはヤーデもいた。丸首の簡素な白いシャツと共布のパンツを身に着け、その上から長い紺色のガウンをはおって寛いだ様子だった。


 大公家では、食事の前に短いお祈りをするそうだ。家長や身分の一番高い人が、今日の糧を神様に感謝する言葉を述べる。食事を共にする者が最後の言葉を繰り返せばそれで終わりだ。ゾフィも見よう見まねで付き合う。


 今日のメニューは、野菜と肉の塊を煮込んだスープ、二種のソーセージにキャベツの酢漬け、ますと芋と青菜のパイだった。生姜の香りのするプルンとしたミルクのデザートもついていた。


 野菜も肉もトロトロで美味しい!とろける顔でスープを食べるゾフィを、ヤーデが優しい目で見ている。これは?とゾフィが黒いソーセージを見つめる。


「それは豚の血のソーセージだよ。好き嫌いがあるから、口に合わなかったら残しても構わない。君みたいな貧血気味の子には食べて欲しいけどね」


そう言われてゾフィは一口食べてみた。

「どう?」

「・・・レバーみたいな味がします。美味しいです」


そもそもゾフィには好き嫌いがない。子供の頃は出された物は何でも食べるように言われてきた。それに比べて、ここでの食事と言ったら!自分が実は食いしん坊だったんだとゾフィは初めて知ったのだ。


「それは良かった」

フフっと笑ってヤーデはグラスの白ワインを一口飲んだ。お屋敷のワインは大公領の物だとアンネが言っていた。よっぽど豊かな土地なのだろう。


 ゾフィが飲んでいるのは、ブドウに貴重な砂糖とヴィネガーを入れて漬けたものを、水で薄めたノンアルコール飲料だ。色は赤ワインと同じで、とろりと甘い。


明後日あさって、街へ行こう」

そう聞いてゾフィは顔を輝かせる。


「でも、お忙しいのではないですか?」

「俺にだって息抜きは必要だよ。その後、陛下たちのパレードと宴に付き合わされるからね。それが済んだらいよいよアッシェンへ出発だ」

くるくるとグラスを手でもてあそびながらヤーデが笑う。ゾフィは嬉しくて、はい、と明るく返事をした。


夜、ベッドに入ってからゾフィは気付いた。

「街に来ていく服がない!」


 普段の衣服は、砦の同僚ササが、成人した娘さんのお古を譲ってくれたものだ。下着は兵士への支給品を、本人曰く「年寄りの権限で」ヨハンが余計にもらってきてくれたもので、大きいので直して使っている。


 あの二人にはお世話になりっぱなしだ。アッシェンから持って来たものはサイズが怪しくなっている。やせっぽっちでも身長は伸びるらしい。


 明日侍女の二人に相談してみよう。それにしても、もうじきここでの生活もお終いかあ。緑の優しい瞳を思い出して、ドキンと心臓が跳ねる・・・ちょっと残念な気がするのは、ここのごはんが美味しいからよ、そう思い込んでゾフィは暖かい眠りへと落ちるのだった。


 だが、そんなゾフィの心配は杞憂きゆうだった。翌日、朝食を共にした後、城へ行くというヤーデを見送ると、再びバッコスが訪ねてきた。今日は若い女性も一緒だ。

「ご機嫌よう、聖女様。殿下にあなた様のご衣装を頼まれておりまして」


 つらつらとセールストークを繰り広げるバッコスの横で、連れの女性が何着か衣服を出していく。ジョアとアンネも加わって、よそ行きのワンピースと普段着が手際よく並べられた。


「さあさ、お嬢様。あなた様の新しいお洋服ですよ、手に取ってご覧なさいまし」

ジョアがゾフィを手招く。アンネは受け取った下着類をクローゼットに仕舞っているところだ。


 こちらは明日、お祭りに着ていかれるものですよ、ジョアが指し示す。青みがかったピンクの、薄手のウールで出来たキーネックのワンピースだ。フワフワでとても肌触りがいい。


 白い木綿のワンピースの上から着るのだそうだが、これもまた木綿とは思えない柔らかさだった。


 もう一着は深緑ふかみどりの厚手の木綿のドレスで、前を紐で閉じるようになっている。裾と袖の縁に黄緑色の糸でアイビーの刺繍がしてある。あとは普段着のシャツやスカート、外へ行く時の外套などがあった。


 こんなきれいな色、わたしに似合うかしら、戸惑うゾフィがつぶやくと、「このバッコスの目に狂いはございませんよ。聖女様の白いお肌には、こういう色が映えるのです」と商人が大仰おおぎょうに言う。

 女性陣はみなうんうんと頷いている。          


 ゾフィだって、年若い女の子だ。きれいな服やかわいい物に興味がないわけではない。だが、ゾフィは今までこういうものに縁もなく、自分の容姿に自信もなかった。


(いくらきれいなドレスを着ても、私なんかじゃ・・・あの方と一緒に歩くのに、なんだか恥ずかしいな)


ベッドに座って、吊るされたドレスを見る。この二・三日は色々ありすぎて頭がぐちゃぐちゃだ。

「今日はちゃんと眠れるかしら?」

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