第10話 王都ディローゼン邸

 翌日の朝、ゾフィの部屋には、ザックが訪ねて来ていた。

「お迎えに上がりました、聖女様」

「は、はい、ありがとうございます。騎士様」


ゾフィは、実は、迎えが来るかどうかは半信半疑だった。相手は大貴族だし、ただの気紛きまぐれかもしれないと思ったのだ。


 けれど荷造りといっても数枚の衣服とわずかな私物を小さなトランクに詰めるだけだ。荷解にほどきだって知れている、と自分に言い聞かせて昨夜の内に用意をしておいた。


「ザックとお呼び下さい。お荷物はこれだけですか?」

ザックはゾフィの手から荷物を受け取ると、先を歩き始めた。馬車留めには二人乗りの馬車が待っていて、ザックが手を取って乗せてくれた。御者に合図をして、一緒に乗り込む。


「あの、ザック様・・・本当によろしいのですか、私なんかがお邪魔しても。それにお城の人に何も言わないで・・・」

「様は要りませんよ。大丈夫です、ちゃんと話は通してありますから。今日は殿下に来客があるので、私が参りましたが」


 馬車は一度市街の方へと下り、再び高台を目指し上って行った。やがて日のよく当たる、見晴らしのいい場所に建つ立派なお屋敷へと到着した。


 ゾフィは促されて屋敷の中へと入る。広々とした玄関では、初老の男性と、二人の女性が出迎えてくれた。

 男性はこの屋敷の執事でシュルツ、中年女性は女中頭のジョア、若い女性は侍女のアンネと名乗った。


 案内された部屋は、二階にある客間で、広くて明かりが充分に入り、何よりのぞむ景色が素晴らしかった。


 奥には清潔で快適そうなベッドがあり、傍らの小さなサイドテーブルには水差しとカップが乗っている。一対の物書き机と椅子、かわいらしいチェストが置いてあって、花まで飾られていた。


「すてき・・・!」

思わずつぶやく。


「そうでございましょう?ここから見える街は、本当にきれいなんですよ」

そういってアンネが窓を開けてくれる。春の穏やかな風が入ってくる。太陽を浴びてキラキラ光る白い街並みは、湖の水面みたいに美しくて眩しかった。


「聖女様、お腹が空いておいでではありませんか?」

ジョアが尋ねる。


 ゾフィは朝食を食べていなかった。一日に一食二食抜かれることは、特に最近では珍しくなかったが、そう尋ねられて空腹を自覚してしまえば、空っぽの胃袋が主張を始める。


 赤くなるゾフィに「すぐにご用意いたしますね」と微笑んでジョアが退出した。アンネが、今日は暖かいからお庭で召し上がりませんか、と言ってテラスに案内してくれた。


 南向きの庭はすばらしく手入れがされていて、ここからも街が一望できた。大きなバラの生垣があり、残念ながらまだ芽吹き始めたばかりだが、花の時期はさぞかし美しいだろうと思われた。


 スミレやデージーと一緒に植えられたハーブが、良い香りを放っている。神殿にも小さなハーブ園があったな、とぼんやり考えていると、食事が運ばれてきた。


 食事は本当においしかった。カリカリのベーコンに、ソースとチーズをかけて焼いた半熟卵は割ればトロリと黄身があふれてくる。


 温かくてふわふわのパンに新鮮なサラダ、果物のジュース。なんだか人間らしい食事をするのは久しぶりだ。ゾフィは感動して泣きそうになってしまう。


「・・・お口に合いませんか?」

アンネが茶色の瞳を心配げに揺らして聞いた。

「え、いえっ、すごく・・・すごくおいしくって」

「良かった、ここのお屋敷のごはん、とっても美味しいんですよ」アンネが笑った。


 ゾフィが食後のお茶を楽しんでいると、一人の若い男がやって来た。商人のバッコスと名乗ったその男は、くすんだ金髪に青い目の、なかなかの美男子だ。


 聖女様に会えて嬉しい、聖女様に相応しい物を取りそろえている、というような口上をペラペラと述べた。なんだか人当たりの良さと抜け目のなさが同居している。


「あの、ごめんなさい、私お金を持っていなくて」

「いえいえ、代金はみーんな殿下持ちで・・・」

「バーッコス」

「おや、殿下。父との話はお済みで?」


 呆れた顔のヤーデと、その後ろから二人の男性が歩いて来るところだった。ゾフィは立ち上がって挨拶とお礼の言葉を述べる。

「うん、くつろいでね・・・こちらは伯父のドーゲル伯爵と長男のオイヒン殿、そっちが次男のバッコスだよ」


 優しそうな二人の紳士たちと挨拶を交わす。商人じゃなくて伯爵子息・・・ゾフィの疑問に気づいたのかバッコスがゾフィの手を取った。

「私はご所望しょもうとあらば何でもご用意する、あなたの商人バッコスでございますよ」

と、そのまま手にキスをしようとしたが、父と兄に両腕を掴まれて阻止される。

「では、殿下、我々はこの辺で失礼致します」

二人は礼をするとバッコスを引きずって出ていってしまった。


「・・・」

「・・・ああ見えてドーゲル家は名家なんだよ。ちょっと変な人が多いけどね」

うふふっ、なんだか可笑しくて笑ってしまった。


 それから、ヤーデとお茶を飲みながら少しおしゃべりをした。ヤーデの生母は十五年前の流行り病で亡くなったが、今でも兄である伯爵が気にかけてくれる事や、バッコスがヤーデの父親、ノイマンに憧れて商人になった事などを話してくれた。


「そういえば、ゾフィ嬢の母上もあの流行り病で亡くなったのだったね?」

「はい、でもまだ赤ん坊の時でしたから、母の事は何も覚えていなくて」


 だから、さみしいと思ったことはあまりないのだ。そう思って少し俯く。大きな手がふわりと髪をなでる。驚いて見上げると、ヤーデが優しい顔で微笑んだ。

「二・三日はゆっくりするといい。祭りが始まったら街へ行こう」


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