第9話 庭でのできごと

 ゲオルクとヤーデと対面した二日後、ゾフィは城の庭の植え込みの陰に隠れていた。オヴェンが来ていたのだ。少しの間見付からなければ、あの男は割とすぐ諦めて帰っていく。次会った時にひどく罵倒されるけれど。


 膝を抱えてため息をついたその時、隣から声がした。

「こんなところで何をしているの?」

「ひわわゎっ!」

声がひっくり返るほど驚けば、秀麗な笑顔が頬杖を突いてこちらを見ていた。


「こ、公太子殿下?!どうしてこんなところに・・・」

「うん、君がこちらに入っていくのが見えたからね。誰かから逃げてるの?」

「え・・・っと」

どう言い訳をしようかと考えを巡らせていると、男が何か怒鳴る声が聞こえてきた。ビクリとしてそっとそちらをうかがう。オヴェンが侍女に当たり散らしているらしい。


「あれかー。ってか、あれ誰?」

ヤーデが一緒にのぞき込んで言う。距離が近くてゾフィはどぎまぎしてしまう。

「あ・・・の、コルネ子爵のご子息です」

「ああ、王妃の従兄殿、だっけ?」

ふむ、とオヴェンを見つめる緑の目が一瞬深く煌めいた。


「・・・良かったら、うちの屋敷に来るかい?」

え、とゾフィは立ち上がったヤーデを見上げる。この前の騎士服よりは簡素なチュニックを着ていて、腰には、象嵌ぞうがん細工が美しい短剣を差していた。今日はまったく嫌な感じはしない。


「いえ、そんなご迷惑は・・・」

「ここよりはずっと快適だと思うよ。それに祭りが始まったら、街にも連れて行ってあげようか」


街と聞いてゾフィの目が輝いた。年相応の反応にヤーデも笑みをこぼす。

「あ、でも・・・」ゾフィが視線を泳がす。


「ここだけの話、うちは王家より裕福だからね、甘いお菓子もあるよ?」

ヤーデのダメ押しに、ゾフィの期待はより大きく膨らむ。そんな表情を見て思わずヤーデは噴き出した。

「いや、ごめんね、あんまりかわいい顔するから」

ゾフィは真っ赤になる。


「じゃあ、明日迎えをよこすよ。王家にも話を通しておくから、荷物をまとめておくといい。部屋まで送ろう」


 お手をどうぞ、と手を差し出されてゾフィはおずおずと右手を乗せる。その様子にヤーデがまた自然と微笑んだ。ゾフィは、昨日は冷徹な印象だった公太子がこんなふうに笑う人だったことに驚いて、また顔を赤くするのだった。



 「明日、ゾフィ・マルガ嬢をこの屋敷に迎えようと思う。ザック、迎えに行ってくれ」

ヤーデは、ディローゼン邸の書斎で四人の騎士を前にしていた。

「承知しましたが・・・急な話ですね。何かあったのですか」

「ああ、あそこに彼女を置いておくのは危険だ」


チラリと見えた彼女の手首にはいくつか青あざがあった。それにあのコルネの義息、あれは女性をいたぶる趣味があるようだ。

「それは、良くないですね」

「でもいいんですか、あの聖女サマ、殿下のこと、なんか怖がってたじゃないっすか」

「あれは俺を怖がっていたわけではなくてだな・・・」


 そう、あれは魔剣を恐れていたのだ。まさかそんなものが見える人間がいるとは。興味深い子だ、しかし。

「ちょっと痩せすぎだな」

「そうですね。あまり城で厚遇はされていないようです」

「確かに、うちの妹なんてパッツパツですもんね」


 ディーには十四才の妹がいるのだ。ちょっとふっくらして口数の多い、ディーによく似た少女を思い浮かべる。


「まあ、年頃の子ならあれくらい普通だろう」

「・・・それ妹には絶対言わないで下さいよ、調子に乗るから・・・」

「うちに来ればすぐミリーくらいポッチャリになるさ」

ゴードンがおどける。

「今、ポッチャリって言いました?それも絶対妹に言わないで下さいよ、暴れるから!」


「しかし、王城の風紀の乱れ様は目に余るものがありましたな」

真面目なセルカが言う。「まさか殿下に夜這いをかけようという不届き者がいようとは」


 夜着や薄着でヤーデの居室付近を何か用はないかとうろつき、あわよくば目にまろうという、「夜這い」というにはお粗末なものであったが、いくら下級とはいえ貴族令嬢のやることではない。


 また、野心をき出しにした貴族が、直接押しかけては縁談を持ってくる。ヤーデの母親は確かにクレシカ貴族であったが、そんな礼儀もなく下心も隠せないような家の娘を誰が娶るというのか。


 警備もまったく杜撰ずさんで、なじみの従僕や侍女、女官は皆いなくなっていた。王妃の息のかかった者ばかりなのだろうが、ああして見えぬ所で好き勝手しているのだろう。


 「では、各々、報告を聞こうか。」


 街の様子をそれとなく探って来ていた騎士たちによって、貿易船の往来は増えたが思うように物流は増えていない事、物価が上がっている事、街にスラム街が出来つつあることなどが挙げられた。


「王都はもともと物価が高いが・・どんなものが上がっているんだ」

「ほぼすべてです。建築材から小麦粉まで」セルカが答えた。


「なんだって?少なくともここ数年は不作ではなかったが・・・大公領うちからもかなり入って来ているはずだろう」

ヤーデが眉根を寄せる。


「そういえば酒場で、大公領のエールとワインが高値で出されていましたぜ?」

そう言ったゴードンを皆が白い目で見る。


「いやいや、れっきとした調査ですよ。そこのオヤジが言うには外国産の酒は手に入らないし、国産も高くなっちまって、国軍の兵士ぐらいしか客として来ないらしいですよ。あいつら金払いが悪いから、廃業する者も出てるとか」


「ああ、そんな話は俺も聞きましたよ。小さい店なんかは、借金残して真っ先に潰れちゃったそうで。貧民街に人が増えてるって話です。ゴロツキも多く、治安も戦後すぐより悪いって噂で、女の子が一人で歩かないようにって親に言われたそうです。人さらいも出るとか」


 ディーが街でナンパしていたのは置いておくとして、事態は結構深刻な所まで来ているらしい。人身売買はエルヴィン王の父の時代に禁止されている。


「買占めか、出し渋りか・・・」コルネのでっぷり太った姿と王宮の煌びやかさを思い出す。民を飢えさせたら国としては終わりだ。あいつは何をやっているのだ。オーヴ公は策があると言っていた。もしかしてマリエルを・・・。


「ボーデ伯の事はどうなった?」

ザックは、自分と一緒に幼い時から城に出入りしていて顔が広い。

「はい、ボーデ伯爵家は最近お家騒動があったそうで、長男が父親との口論の末、勘当されたようです。次男が跡目あとめを継ぐとのことです」


「三男は?」

「ロベル卿は近衛に在籍しており、一年半ほど前、王妹殿下の護衛となったそうです。家にはあまり帰らないようです。彼もまた、父親との折り合いが悪いらしく」

「そうか」ならば、しばらくは様子見か。


 今できることは最悪の事態に備えることか。あとは奴らから使えるカードをできるだけ取り上げておこう。

「では、現在の最優先事項は『聖女』ゾフィ・マルガの保護と護送だ。明日からよろしく頼む。以上だ」

「「「「はっ!」」」」

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