第7話 聖女ゾフィ2

 ゾフィの身の上話に戻ろう。


 十一才で鑑定士により正式に認定されると、王家から婚姻の打診があった。実質、命令であった。お相手の王太子は十三歳で、すでに大公家の姫君と婚約がなっていたが、それを反故にしてまでも王家はゾフィを欲しがった。


 ゾフィは、十一才になると行儀見習いもかねて、アッシェン辺境候の城で暮らすことになった。王家への輿入こしいれは憂鬱でしかなかったが、城での暮らしは楽しいものだった。


 ゲオルク卿の娘アマンダは、一度は隣接する伯爵家に嫁いだが出戻って来ていて、マナーや学問の教師を買って出てくれた。赤毛に空色の瞳の、きつめな美女で、性格も見た目通りさっぱりした人であった。雇われた家庭教師の女性も、厳しいが努力や成果を評価してくれるいい先生であった。


 十三才になると、とうとう王都の城に上がることとなった。王族との謁見の際には、王からは心のこもらぬものではあったが、ねぎらいと励ましの言葉をもらった。

 王太子は、優しげな微笑みを絶やさなかったが、どこか感情の抜け落ちた表情をしていた。妹王女は、無関心を装っていたが不機嫌を隠しきれていなかった。


 婚儀は、王子が十八才になった時と決まった。もともと大公女との結婚がその歳でという約束だったそうだ。


 王城はゾフィにとって居心地の良いところではなかった。王族の無関心は、まあ実害がないのでそれ程気にならなかった。しかし、侍女の中にはあからさまにゾフィの身分を見下す者がいた。

 身の回りの世話は最低限しかせず、食事もわざと遅らせて冷たい物を提供した。最も、当のゾフィにはあまり効果的な嫌がらせとはならなかった。ゾフィは普段から自分の面倒は自分で見ていたのだ。


 ただ、陰で教養の無さや所作の悪さをけなされ嗤われることは悲しかった。自分の不出来を恥じ、アマンダや教師の女性に申し訳ない気持ちになった。


 秋になると、北の砦の魔獣討伐への参加を命じられた。北への街道を馬車で三日程行ったところに北の砦はある。砦の手前の街道を西へ行けば、ゾフィの故郷アッシェン、東へと取ればディローゼン大公領というのが大まかな地図であった。 


 クレシカはまだ戦争や災害の傷から立ち直っておらず、魔獣との戦いも苦戦を強いられていた。死傷者が東西の砦よりも多いのだと同行する兵士が教えてくれた。


 戦場は目が回るほど忙しかったが、息苦しい城よりも討伐隊と一緒の方が楽であった。ゾフィの他に二人の治癒師がいて、二人とも水と土の精霊の加護を受けていた。 

この三人で目いっぱい働いても、次から次へと負傷者が運ばれてきた。治療して復帰しても、再びもの言わぬ体となって帰ってくる者もいて、無力感に襲われることもあった。幸い、先輩治癒師は二人とも良い人で幼い後輩を気にかけてくれるのが救いだった。


 二度目の討伐の間に、事態は一変した。エルヴィン王が死んだのだ。

心臓発作による病死ということだった。ゾフィにはそのまま討伐の期間をまっとうせよとの命令が来た。


「随分急な話だね、陛下はどこかお悪かったのかい?」

中年女性のササが聞いた。ゾフィは首をフルフルと振った。

「ううん。見たところご健康だったわ」

「えっ、それってもしや・・・」

「ササ、めったなことは言うんじゃないぞ」

茶をすすりながら、年老いたヨハンが口を出す。ササは両手で口を押えてうなずいた。

「いずれにしてもゾフィはここにいる方が安心じゃろな」

「・・・いや、魔獣がいるところの方が安心てどうなのさ?」

「まあ、それもそうじゃな」

わははとヨハンが笑う。ササもゾフィも笑う。本当はずっとここにいた方がいいのにな、とゾフィは思うのだった。


 実際、城に戻ってみるとゾフィの立場は微妙になっていた。やはりその出自が王妃に相応しくないという者や、王の遺志に従うべきだという者が争っていた。ゾフィが城に居さえすれば、王は死なずに済んだという者もいた。


 一応の後見人であった王がいなくなったからか、侍女の意地悪はエスカレートしていた。身の回りの世話はもちろん、食事の用意も放棄されたり、魔法が使えないことを知っていて、寒い日でも部屋に火も入れてもらえないこともあった。


 あからさまに身分や容姿を嘲笑あざわらう者もいた。ゾフィはこんな悪意にさらされたことがなかった。せいぜい悪ガキに麦わら色の髪やソバカスを揶揄からかわれるくらいであった。


 城には、ゾフィを気にかけてくれる者がまったくいないというわけではなかった。ゾフィは「聖女」なので、時折城の者の願いに応じて傷や病を癒してやることもあった。恩を感じた者や非道を見かねた者が、時々こっそり差し入れをしてくれた。


 だが、イレーネの息がかかった者ばかりになると、嫌がらせは度を越した。イレーネ本人は一言二言嫌味を言う程度だったが、取り巻きの侍女たちがすれ違いざまに足を引っかけたり、見えない所から体を押したりするようになった。ゾフィは細く、押されれば容易に転んでしまう。それを見て彼女らはクスクス嗤うのだった。


 今だって左手には治りかけの捻挫と、膝には新しい青あざがあった。


 ゾフィはあまり泣いたことがない。本人があまり辛いと思わないからだ。慈悲の女神マールに愛されるだけはあるのか、人を妬んだり恨んだり、ということはどうにも苦手であった。ゾフィの様な身の上では辛い事も多いはずだが、ゾフィは小さな幸せを拾い集めるのが得意なのだ。それでも今は泣きたい気持ちだった。


(勝手に連れてきたくせに。こんなところにもういたくない)

けれどゾフィには帰るところもない。孤児院は十六になれば出なければいけないし、年の離れた兄とはお互いどこか遠慮があった。それに今はアマンダと結婚して次期辺境候となっていた。そう考えてますます悲しくなり、掛布の中でもそもそと一人泣くのだった。


 そんな針のむしろでもう一年暮らし、三度目の遠征の最中にまたもやゾフィの環境は一変した。新王ヨアキンが子爵令嬢との婚約を発表したのだ。


 王との結婚が無くなったことに密かに安堵するゾフィだったが、事態はむしろ悪くなった。野心家の貴族たちがゾフィを手に入れようと考える様になったのだ。


 特にコルネ子爵の義息でイレーネの従兄オヴェンが執拗しつように言い寄って来た。拒否をすると、お前の様な醜い女を相手にしてやろうと言うのだ、と暴言を吐かれたり、腕を強く引っ張られることもあった。城での生活はますます苦痛となっていった。



 


 

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