第6話 聖女ゾフィ1

 聖女ゾフィは西の果て、アッシェン辺境候領で生まれた。父親はアッシェンの兵士で、西の砦の街で暮らしていた。


 ゾフィが生まれた時には、すでに兄のギルベルトは十七歳になっており、騎士としてアッシェン候に仕えていた。


 しかし、ゾフィが赤ん坊の時に父親が魔物討伐で殉職し、残された母親も次の年に病にたおれた。一人ゆりかごで泣いているゾフィを見つけたのは父方の祖母アリーであった。


 アリーは夫と息子を亡くしてから、女神マールを祀る神殿で働いていた。その縁でゾフィも神殿で暮らすことになった。

 孤児院も併設されていて、同じ様に戦や病で親を亡くした子が二十人程いた。


 そんな身の上であったが、ゾフィ本人はそれほど自分が不幸だとは思っていなかった。いつもお腹一杯とはいかないが、ひもじい思いもしたことがなかったし、読み書きも教えてもらえた。


 祖母も孤児院の「お母さん」も優しく、秋の討伐の時期には年の離れた兄が土産を手に会いに来てもくれた。


 ただの気がかりと言えば、自分に魔力がない事だった。この世界の人間は、四大精霊・地風水火どれかの、または複数の加護を得ていてそれに応じた魔法が使えた。


 例えば二属性以上の加護があれば、より強力な魔法が使え、衛士えいしや技術者など良い職についたり、運が良ければ良家の養子や配偶者として迎えられた。


 かといって、魔力がないからといって、大して差別をされるわけではなかった。貴族でも魔法を使えない者はいたし、大半の市民は魔力なしか、あっても日常で使えるほどではなかったのだ。


 だがゾフィの兄は英雄であった。四大精霊の加護のさらに上に、十三柱神・六英雄の加護というものがあり、ギルベルトはこのうち一英雄の加護を持っていた。


 その妹が何の加護も持たぬというのは少々肩身が狭かった。

 意地悪な男の子にその事を揶揄されることもあった。


 そんな時、女神マールを深く信仰している祖母アリーは決まってこう言うのだ。

「女神様は、一つだけ誰でも使える魔法を授けてくれているのよ。それは、誰かを幸せにする魔法よ」


 どうやって使うの、むくれる幼いゾフィを抱きしめて、今もあなたはおばあちゃんに使っているわ、と笑う。

「いつかあなたにもその魔法をかけてくれる人が現れるわ、きっと」


 さて、その孤児院にはどこから来たのか、雑種犬が住み着いていた。白い毛に茶色のぶちがある、子供が抱くには少し大きいくらいの中型犬でキュビットと呼ばれていた。


 子供たちのおやつの時間に現れては、ちょこんと座り、つぶらな瞳で首を傾げ、特に女の子からビスケットの一片なりをせしめるのを日課にしていた。


 野外に行くときにはトコトコと付いてきて、小さい子の相手になったりした。子供たちはキュビットが好きであったし、小犬も子供たちによく懐いていた。


 その日は、刈りの日であった。街には伝令用の馬が何頭かいて、年長の子らがその作りの手伝いをし、幾ばくかお小遣いをもらうという、小さな公共事業であった。


 年少の子はというと、九才になったゾフィを筆頭に五才までの幼子五人が、牧柵ぼくさくに沿って生えているトゲイチゴの実を摘むのを任されていた。大して甘くもないが、煮詰めて保存すれば冬場の栄養の一助となるのだ。


 かごを手にした少女たちの傍には、例のごとくキュビットがうろついていた。そのキュビットが、鼻と耳をピクピクと動かした。


 同時に柵の向こうの灌木の茂みがガサゴソと揺れ、大人の倍はあろうかという獣が現れた。魔獣だ。砦をすり抜けて街へ侵入したのだ。魔獣は人や家畜を襲う。


「みんな、走って!」


 ゾフィが叫ぶ。子供たちは一目散に駆けていくが、一番年少の子は、恐怖からかあるいは無知からか、ポカンとして立ちすくんでいた。


 だめ、間に合わない、ゾフィはとっさに、無駄ではあろうが、少女を庇うように抱きしめた。


 目を固くつむって、覚悟を決めた時、キャウン、という悲鳴と共に何かが地に落ちる音が聞こえた。どうやらキュビットが果敢にも跳びかかり、鋭い爪に弾き飛ばされた様だった。


 巨大な獣は、地に転がる小犬を獲物に定めたらしく、少女らの方には見

向きもしなくなった。


 キュビットが、死んでしまう!しかしゾフィはただ震えながら、魔獣が小犬に近付くのを見ていた。


 トスっ。矢が獣の頭部に刺さる。もう一本、二本とさらに矢は増え、今度は、痛みにもがく獣の脳天めがけて大きな戦斧が飛んできた。

「大丈夫かっ!」

弓を持った若い兵士が少女らを抱きかかえた。

「ア、 アルテさん・・・」

「もう大丈夫だ、よく頑張ったな」


ゾフィがほとんど止まりかけていた息を吐き、魔獣の方を見ると、もう一人の砦の兵士ガルドが、斧で巨体にとどめを差したところだった。

「こんな所まで入り込むとはな。だが間に合って良かったぜ」


「ああ・・・だが、コイツはもうだめだな・・・」

ガルドは小犬をのぞき込んだ。小さな胴体は血にまみれて、爪跡も生々しく、ヒューヒューと苦しそうに息をしている。


 可哀想だが、ガルドは呟いて腰に下げた短剣を抜いた。


「ガルドさんっ、待って!」

キュビットを殺さないで!ソフィは夢中で走り寄った。

「嬢ちゃん・・・あのな・・・」

ガルドが少女をどう説得しようかと思案したその時。

「クゥーン・・・」

瀕死だったはずの小犬が立ち上がり、こちらを見上げ尻尾を振っていた。


「な、何?!何が起こった!」

相棒のアルテも目を見開いて固まっている。


 夢でも見ていたのか。いや、しかし小犬の毛皮には新しい血がべっとりと付いている。驚きと困惑で少女と小犬を見比べる。


 犬はしばらく首を傾げて男たちをうかがっていたが、相手にされないとわかると幼い少女たちの方へ駆けていった。


 これが、ゾフィが「聖女」と呼ばれるようになったきっかけだった。


 過去に、「聖女」と呼ばれた者は何人もいない。それゆえ、「聖女」の定義はかなり曖昧なものとなっていた。


 直近の「聖女」は百五十年ほど前の人で、海辺の国トリテリアの王妃だった。そのトリテリアも、今は帝国に滅ぼされて存在しない。


 記録によれば、彼女は市井の生まれで、どんな病や怪我もたちどころに癒し、女神のように慈悲深い人だったという。


 鑑定人はゾフィが癒しに特化していて、この力はトリテリアの「聖女」と同じものだろうと判定した。それは正しかった。


 だが、もう少し優れた「心眼」を持っていたなら、そう例えばディローゼン公太子ヤーデのように、ゾフィやかの「聖女」の力は、「女神の御垂みたれ」と呼ばれるべきものだとわかっただろう。


 その名の通り、慈悲の女神マールがその恩恵を垂れるために、彼女らに与えた力だ。彼女らが慈悲の気持ちを持てば、対象者のいかなる疵病しびょうも治してしまう、そういう力であった。


 一方、伝説やおとぎ話に出てくる「勇者」に寄り添う「聖女」は、強い魔物や死霊をいとも簡単に倒してしまう魔導士のような力を持っていたと記されている。


 その後、彼らはどこそこの国王の祖先になったなどと、王家の正統性を主張するためか、国史に組み入れられていることもあった。


 だが、ゾフィは、女神の恩恵を垂れる以外は、普通の無力な少女であった。この世の理なのかはわからないが、自らに自分の魔法をかけることは、非常に効率が悪かった。


 もしゾフィが大けがをしたとしても、自分で治すのは難しいだろう。実際、トリテリアの「聖女」もあちこち遠征へ出向き、最後は戦場で命を落としていた。


 ゾフィの運命は、そんな事実を知る者、考慮する者の出現にかかっていたのだ。


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