第2話 再会

 「やあ、よく来てくれたな、ヤーデよ」

ディローゼン大公国の公太子ヤーデは、クレシカ王ヨアキンの私的な応接室に通されていた。鮮やかな絨毯と豪華な彫刻が施された調度品が目を引く。

「この度はご成婚おめでとうございます。陛下におかれましてもお元気そうで何よりでございます」

「そんな他人行儀はやめてくれ。そなたにくらいは昔のように接して欲しいのだ・・・」

胸に手を置いてこうべを垂れるヤーデを見て、ヨアキンはさみしそうに言った。


 実のところ、この二人は幼馴染であった。幼い頃はヤーデの双子の妹エスメラルダと、ヨアキンと彼の妹マリエルの四人でよく遊んだものだ。父親が従兄弟同士でもあり、今は亡き前王妃がエスメラルダを気に入っていたので、折に触れてはこのクレシカ城に滞在していた。


 「陛下、わたくしにもご紹介下さいませ」

横から王の腕を取る者がいた。

「う、うむ、そうであったな。これがわが王妃イレーネだ」

「お会いできて嬉しいですわ、ヤーデ公太子殿下」

「こちらこそ、ご拝謁かないまして光栄です、麗しき王妃殿下」

ヤーデは王妃の左手を取り、形ばかりの口づけを落とした。ちらりと見上げ微笑むと、王妃は頬をポッと染めた。

「さあ、座ってお茶にいたしましょう。南方から珍しい茶葉をとりよせましたのよ」


 王妃イレーネ・フォン・クレシカ。父親のコルネ子爵は、最近クレシカ港の使用権を独占し、物流を牛耳っているという噂がある。ヨアキンが一目惚れをし、王妃にと請うたという話だ。


 茶色の巻き毛にはしばみ色の瞳、小さいあごに厚めの唇、女性らしい体つき。すこぶる美女とは言えないが、男ならふるいつきたくなるタイプの女性だろう。


 ぽってりした上唇うわくちびるの上の大きめのほくろが、彼女をより色っぽく見せている。豊かな胸がえりぐりの深いドレスによって強調され、やや背が低いためか、男の顔を上目づかいで見る仕草が癖になっているようだ。


 年頃の男がこういう女性に引かれるのは仕方がない。ヤーデとて本来ならば祝福してやりたいのだが、ディローゼンとクレシカには少々特殊な事情があった。


 五年ほど前まで、王太子であったヨアキンは大公女エスメラルダと婚約していた。ところが、その頃「聖女」が市井に現れた。


 先代王エルヴィンはその「聖女」を次期王妃にと望んだのだ。そのため一方的に大公国との婚約を取り下げたいと言ってきた。


 父大公はたいそう立腹で、一時は国交も危うかったが、王国諸侯の計らいで何とか関係を保っている状態だった。


 しかし昨年エルヴィンが死んだ。すると即座にヨアキンは「聖女」を捨て、このイレーネ妃と結婚したのだ。


 この男はそんな無分別な人間だっただろうか。子供の頃からなかなか本音を言わない男ではあったが、エスメラルダには懐き、彼女の言うことは素直に聞いていた。


 彼女への思いは深いように見えたが・・・と幼馴染の方を見遣ると、ヨアキンもこちらを見ていた。


 「ヤーデ、その・・・メル、いや、エスメラルダ姫は息災か」

「・・・ええ、変わりなく。相変わらず公務やら研究やらに忙しくしておりますよ」

「そうか!最近よく思い出すのだ。毎年そなたらが来るのを心待ちにしていたな。あの頃は何の憂いもなく・・・」


 懐かしそうに細める父親譲りの赤茶の目に、暗い影が揺らめくのが見えた。ヤーデが口を開こうとした時、着座を促す声がかかった。


 甘く強い香りが鼻孔をくすぐる。南方の珍しい茶葉を手に入れたと言っていた。コルネ子爵は独自に貿易ルートを持っているのだろうか。


 それにあれは、オーリス王国の白磁の茶器だ。輝く白い肌に青い染付が美しい。かつては貴族の間でもブームになったが、オーリスの港が他国の手に落ちてからは、すっかり手に入りにくくなった。


 「さあさあ、わたくしの実家から届いた希少なお茶なんですのよ。きっとヤーデ様も初めてお飲みになりますわ」

「恐れ入ります。なるほど、良い香りですね。茶器の趣味もいい」

そう言ってにっこり笑う。


「そうでしょう!これも父が手に入れてくれたのです。わたくし美しいものが大好きですの!」

王妃は胸の前で手を合わせると、また頬を染めて嬉しそうに笑った。


 王との茶会を終えて、ヤーデはあてがわれた客室へと向かっていた。四人の護衛騎士も一緒だ。


「くそっ、この絨毯歩きにくいっすね。あっ、拍車に引っかかった!」

毛足の長い絨毯に悪態をつくのは、新しく近衛に入ったディーだ。


「殿下の御前ごぜんだぞ、少しは言葉を慎め」

真面目なセルカがお調子者をたしなめる。


「はっはっは、しかしこれほど変わってしまうと、懐かしさの欠片かけらもありませんな」

顎ひげをいじるゴードンが、ぴかぴか光るよろいをのぞき込みながら言った。兜にはど派手な羽飾りがついている。


「何すか、この羽飾り。魔物の羽っすか?」

「こりゃあ、コカトリスの羽だな」

「マジっすか。俺も早く魔物狩りに行きたいっす」

「愚か者め、物見遊山ものみゆさんではないのだぞ」


 城の内装は、先王の生存中とはまったく変わってしまっていた。豪華なタペストリーや蜜蝋で出来たロウソクのシャンデリア、南方の絢爛けんらん豪華な壷や瀟洒しょうしゃな家具がところせましと飾ってある。


 武人でもあった先王の、実用的で質実剛健な趣味とは大違いだった。


「すごいですね。地方を見る限り豊作でもないようでしたが、どこから資金を調達しているんですかね」

農家出身のザックが皮肉っぽく言った。


 王都に来る途中、すでにこの国にはほころびが見え始めていた。気力のない目の痩せた人々と放棄された耕作地。


 王都などの都市部ではまだ目には見えていないが、そろそろ肌で感じている者もいる頃だろう。民が飢えれば、もう国としてのていは成り立たないのだ。


『人っていうのは、お腹がいっぱいになって初めて人らしくなれるんだよ』

懐かしい祖母の言葉が甦る。実りの季節、金色の穂の中に立つ祖父母は誇らしそうだった。戦火や貧困を乗り越え、国中の人の腹を満たしているという誇り。


『不幸な人間の中におったら、自分も幸せになれるわけねえさ』

これは祖父の言葉だ。俺たち兄妹に生きる道を教えてくれた人たち。自分もいつかあんな風に立てたら、と思う。


 客間に入って再びげんなりする。煌びやかな螺鈿細工のテーブルにゴブラン織りの派手な長椅子。真っ赤な絨毯。すべて国外からの輸入品だ。一体どれほどの血税が使われているのか。


 ヨアキンは愚かではなかったはずだ。民をないがしろにすれば、自分の身に帰ってくる。それが為政者というものだ。そんな道理がわからぬ者ではなかった。


「頼むから道をたがえてくれるなよ、ジョー」

ヤーデは誰もいなくなった部屋で、幼馴染の名を呟いた。




 


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